能と同じく、猿楽を源流とする。
能が観阿弥・世阿弥親子によって「謡」「舞」を取り入れ、シリアスな要素を高めていったのに対して、狂言はおかしみ・笑い・親しみやすさを旨とする。
そのユーモラスさは、同じ舞台で演じられる能と、緊張・緩和の関係になっている。
大蔵流・鷲流・和泉流があったが、鷲流は明治に入って廃絶した。
※3歳で『靱猿』、『釣狐』で集大成を迎えることから、狂言の修行を「猿に始まり狐で終わる」という。
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斎藤孝監修。
自然、歴史、文学、科学・技術、芸術、伝統・文化、哲学・思想の7分野からの、日本にまつわる365日分の知識。この本をさらっと読み、知ってるようで知らなかったことをさらっと初めて知りつつ、ああそうなんだね~なんて知ったかぶりしながらほんの少しだけ、書くことを1年間続けます。最低限「350ページ以上ある本を読んだよ!」の事実が残るだけでも、価値はゼロではないはず。いわんや「教養が身につくかどうか」なんて、知ったことかと。
1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365