2018年1月、ようやく追いつきました48巻。
読みました全巻。
秦の始皇帝、嬴政(えいせい)が成し得た、中国全土統一へのすさまじい戦い。「始皇帝」には「皇帝という呼び名を使い始めた人」という意味でもあるんですね。あの万里の長城をはじめ、その後、長く続く制度改革も成し遂げた。そう言えば「グレート・ウォール」っていう映画は、マジでめちゃくちゃだ。その長城を作ったのは蒙恬(もうてん)だとか。
そう言えばアメトーークでの「キングダム芸人」の時点では、まだ読んでなかったので「ああ、それはそれは熱い話なんだろうな」という感じでしかなったのです。
そう言えば印象的なエピソード、ありましたよね。
作者の原泰久先生が連載当初、人気の低迷で掲載場所も後半に滞りがちなキングダムについて、「スラムダンク」「バガボンド」の井上雄彦先生にアドバイスを求めたと。「この人気のなさはどうしたらいいんでしょうか」と正直に聞いたと。
「ストーリーじゃない。絵だ。」
「え?」
「絵じゃねえよ目だよ目。信の黒目を大きくしろ。」
「はい」
「ストーリーはもういいから、とにかく信の目だよ」
と。
信(しん)というのは、主人公、飛信隊の隊長である李信(りしん)。
コミックナタリーのインタビュー
https://natalie.mu/comic/pp/kingdom
目の玉を大きく書いたら、いえその後の原先生の努力がもちろんあって、俄然、人気が出始めたと!すげえ!
中華統一は秦の始皇帝が紀元前221年に初めて成し遂げた、っていうくらいなのでそれまではもう中華全土は群雄割拠っていうか戦乱、とにかく激しい戦乱の世。韓、趙、魏、楚、燕、斉、そして秦。
その後、秦が滅びる過程ですぐに群雄割拠に。
それぞれ各地に王朝ができて、あの「項羽と劉邦」が出て来てまた統一国家「漢(かん)」ができる。
漢字の漢、ですね。
でそれが滅びる過程がこれまた群雄割拠で「三国志」でしょう?
で、猛烈な統一王朝「魏(ぎ)」が出来る。
この魏(ぎ)の時代に書かれたのが「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」ですよね。
卑弥呼とか、金印とか。漢委奴国王、とか。
ということは漫画「キングダム」の時代、日本はどんな感じだったんでしょう。
完全に弥生時代。まだ文字もないぞ。
ローマあたりでは、あのハンニバルが大暴れしてた時代。
この漫画「アド・アストラ」の時代です。
↓
ジャパニーズキングダムは遅れてた、
というかよく追いついたんですねっていう感じ。
「皇帝」の真似をして「天皇」っていう名称を考えて、漢字とか仏教とかを輸入したあと、中国にもなかった「ひらがな」とか「カタカナ」まで考案した。でも「科挙(かきょ)」と「宦官(かんがん)」はなぜか取り入れない。
なんなんでしょうね、その判断というか。
例えば宦官は、「羌(きょう)」とも呼ばれていたらしいです。
「羌」じたいが、男性の局部を切った姿を表してたんだと。違ったかな。
「二輪馬車の御者」という意味であるとも書いてありますね。
とにかく中華(中国の中央部)の民にとって、全方位に住んでいる違う民族は「北狄・南蛮・西戎・東夷」と、すべて蛮族だった。「ホクテキ・ナンバン・セイジュウ・トウイ」。
だから捕まえたら何してもいいっていうことで、局部を切ってた。民族を反映させない仕打ちと、従順で、後宮でも働ける存在。
そう考えると、日本では、捕まえてもまず全員同族ですからね。
局部を切ってまで民族ごと殲滅させるというような発想に、ならなかったんでしょう。
そして科挙は、官吏選別試験。
言ってみれば超・学歴主義。
王朝によって差はあるにせよこれも、日本は世襲主義が根付きすぎてて、採用されなかったんでしょう。
ちなみに日本は、中国にとっては完全に「東夷」でした。
そして、秦もそう、漢もそう、その後1912年になくなる「清(しん)」まで、王朝が変われば前の王朝は皆殺し、になってたんですよね。
家が違うから。
「キングダム」の時代もそうですが韓(かん)・趙(ちょう)・魏(ぎ)・楚(そ)・燕(えん)・斉(せい)・秦(しん)、どの王朝が勝っても他の家は殺しまくられ、逃げ残った一族は恨みを抱き続け、まさに『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)』。生き残った王族は身をやつして隠れ住み、忠義の臣は再起をかけて探し出し、また王位につけて復権を目指す。
臥薪嘗胆というこの四字熟語じたいが「薪の上で眠り、苦い胆(きも)を嘗(な)めて耐える」というような、「いつか復讐してやるぞコラ」という恨みを込めた故事だそうですから、もう「コロシアイ、ウラミアイ」の歴史なんですよね、4000年。
それに比べると一応「万世一系」の建前を貫き通している日本の天皇家では建前上、一度もその王権はひっくり返ってない。
王朝の名前も秦→漢→新→魏みたいに、変わったこともない。
地理的には近い国なんだけど、こんなに文化の違いがあるのって不思議です。
そう言えば昔、サミュエル・ハンティントン氏が『文明の衝突』という著作で、世界を驚かせました。
アフリカ文明・ラテンアメリカ文明・西欧文明・東方正教会文明・イスラム文明・ヒンドゥー文明・そして中華文明に分けた。
ここまででもじゅうぶん画期的だったと思うんですが、ハンティントン氏はここにもう一つ、「日本文明」というのを付け加えたんですね。
決して日本は、中華文明圏に属する場所ではない、と。
今ではこの「文明の衝突」論には否定的な意見も多くあったりするそうです。
でも文明論で分けて行くと、どうも中国・韓国の文化と日本の文化は混ざらない、と考えることは可能ですよね。
日本は仏教や鉄器など、文化的に中国から多くを学び、影響下にあったはずなんですが、どこかでその影響を脱して、独自の文明を築くことに成功した。
それは単純に「日本なんなんだすごいな!」ってことでもある。
史実としては残っていない日本の弥生時代、「キングダム」を見てもわかるようにものすごい発展してる中華文明とは比べる事もできないほどだろうけど、やはりかなり「文字以外」は熟してたんじゃないかなぁという想像を、してしまいますね。
ひらがな・カタカナなんて、それを表現するための「何か」がすでに無いと、成立しないと思うんです。
とにかく線の圧力がすごい「キングダム」。
男なら、女なら、グググググッッと胸が熱くなることウケアイ。
それにしても人の単位がすごい。
何十万人単位の軍勢が一箇所でぶつかり、何万人単位の兵隊が半日で死ぬ。
これって、「史記」を始め、歴史書が下敷きになってるでしょう?
それを忘れそうになるんですが、戦争の当事者ではないというか、当たり前ですけど「死んでない人」が書いた記述なんですよね。
「キングダム」はものすごく迫力ある画なので、うおおお〜っていう感じに読者はなるんですがそのカメラワークというか、画角を覗いている作家としての「神の視点」はあるものの、それ以外に歴史的な「これを冷静に想像してる人」の視点も混ざっているように感じるんです。
絶対に、あのひと塊りに描かれている「一兵卒」が、生き残って書き残したという感じがしない。
最初から絶対に死なない場所にいる、貴族視点というか、別世界視点がある。
それを通して読んでいるから、あまり「残酷さに目をそむけたくなる」っていう感じにならないんですよね、たぶん。
いや、それは原先生のストーリーテリングの妙か。キャラ作りの巧さか。
どう思います?
49巻はいつ出るんでしたっけ。
というか中華統一する頃、何巻くらいになるんですっけ。
原先生、長生きしてください。我々も健康に気をつけて頑張ります。