世界にはたった一つの文明しかない
イスラム教文明とキリスト教文明の衝突、あるいはアラブ文明とヨーロッパ文明の衝突、という図式で語られることが多い昨今です。
だけど、いくら「イスラム国」の人らがヨーロッパ人を憎み、キリスト教を宿敵と定めて殺戮しようとしても、またその逆に、いくらNATO空軍がテロリストの拠点を空爆して破壊せしめようとしても…。
武装したイスラム国の信者たちが、ロンドンの銀行に踏み込んで行員たちを追い出し、金庫を開けることに成功したら、その中にある、ヨーロッパ文明の象徴とも言える、キリスト教文明がなかったなし得なかった資本主義の象徴である、100ドル紙幣を、「悪の根源」と焼き払いはしないでしょう。
NATO軍が焼き払い、焦土となったリビア都市部の地下倉庫に眠る金塊500tをを地上部隊が発見したとしたら、それを「イスラム世界の悪魔的な産物」として、地中海に捨てたりはしないでしょう。
異なった文明を、衝突前提で生きているという風に感じて、お互いの文明は相容れず、伝統と文化を守ることがその地域で暮らすものの使命、くらいの気持ちで生きていたりするものですが、実はとっくにグローバルな、世界基準な、普遍的な文明に下支えされなければ、どんな文明も成り立たなくなっている、という状況なんですね。
違った文明、離れた文化とは「異物と接する気分」を味わいながらそれを繰り返して、徐々に融合していくしかない方向性、が定まっている感じ、しますよね。
そしてそれを可能にするのが、すでに共通の価値観として根付いているもの。
遠く離れた国や地域でも、おそらく病気になったら同じような治療が受けられ、足りない栄養素を同じように診断されて補給を促進されるのでしょう。
それが可能なのはすでに、文明の衝突があり得ない段階に至っているから、ではないかと思うのです。つまり文明どうしでぶつかっているように見えて、実際は「同文明の覇権争い」なのではないか、と。
それでは、細胞やバクテリアは何からできているのか?実際、全世界は何からできているのか?1000年前には、宇宙や、宇宙の根本的な後世要素について、どの文化も独自の物語を持っていた。今日、世界中の学識ある人は、物質やエネルギー、時間、空間について、まったく同じことを信じている。(p.145)
まったく異なった価値観でありながら、ドルを奪い合っている。
まったく違った死生観でありつつも、同じ技術で命が救われている。
ゴリラは何万年経ってもゴリラだし、チンパンジーは何万年経ってもチンパンジーです。
同じ地域に住む◯◯人が、1000年前とまったく同じ思想で生きているか!?
人間は、そんな生き物ではないんですね。
部分的な継承はあるものの、5,000年続いている文明など、地球上にはないし。
単一ではないように見えて、実はまったく同じ価値観の中、争いが続いているようにも見えてきます。
なのに、なぜ「ナショナリズム」は、こんなに盛り上がる要素を含んでいるのでしょう。
第7章、「ナショナリズム」に続きます。