最新作(2018)。
これは、普通名詞としての「プレデター(捕食者)」ではなく(進捗その7を参照)、本家本元、正真正銘の「あれでっせ」を全面に押し出した最新作。
だから「ザ」がついてるんですね。
逆に、第1作(1987年)の作品には「the」がついていません。
それは、一般名詞としての「捕食者」というタイトルで、不気味さを表現してたということですよね。「捕食者?捕食?何だよそれこわい」っていう。
今は全世界的にプレデターと言えばあのプレデターなので、今さらさらっと「捕食者」へ戻ってしかも映画のタイトルとしてそれを使うなよ(進捗その7を参照)…、という、特別な単語になっています。
今回は「あの」プレデター。
こういうタイプの映画には、必ず科学者とか研究者が出てきて信じられないスピード感のものすごい物分かりの良さを見せるんですが、今回も政府側(?)の軍事組織(スターゲイザー)の研究者であるウィルが「プレデターだ。あだ名だ」と、プレデターという名前をつけてしまっています。すごい、偶然か?一般名詞として「狩りが好きなので」という理由ならば絶対に「ハンター」になるんじゃないの。1987年以降、「捕食」してる例はなくて人類を殺してるだけなんだから「slaughterer」とか「butcher」とかを思いつくならわかるけど。シリーズを観てるかのような物分かりの良さ。好きです。
本作では、プレデターシリーズで初めて「プレデターらが地球に来る目的」が明かされます。レベルの乖離した科学技術で、言語すら理解できないテクノロジーの高さを持つ地球外生命体の持つ概念に対して、その辺りもすさまじく物分かりがいいなぁと思います。
その科学技術の絶望的格差を、「サヴァン症候群の天才子供」というアイデアでさらっとすべてを乗り越えようとしてるのもなかなかにワイルドです。よくわからんけどなんか彼らってすごいんでしょ的な。
途中、プレデターのこわい方のやつが、英語に翻訳してメッセージを送るという超絶親切シーンが出てきます。あんなにこわい人(宇宙人)の言うこと、あんまり鵜呑みにしない方がいいような気もするんですけど、目的は「遺伝子を採取し、進化すること」だったと。
小さい方のプレデターを殺しに来た大きい方すら倒せるとんでもない武器(アイアンマン的なやつ)を、小さい方は地球に残します。
おお…みたいな、希望が残るラストシーンなわけですが、「え、そんなにすごいのならお前が最初から身につけてればいいじゃないか」という気もふつふつと観賞後に湧いてきて、涼風が胸に吹いてきます。
最後の方には逃げ惑う登場人物がプレデターに向かって「エイリアンだー!」って叫んでるシーンがあったりして、しょうがないけどそれは言っちゃダメなんじゃないの…?って思ったりもしました。普通名詞としてのエイリアン((異星人))なんだろうけど、じゃあ「エイリアンVS.プレデター」は「エイリアンVS.エイリアン」になっちゃうじゃないか…なんて。
でもだいたいの人類はプレデター、初見ですから、それが正しいんですよね。
異星人としか呼びようがない。それだけに、研究施設でつけられたあだ名「プレデター」は、余計な設定なんじゃないの、って思えてきます。
やっぱり怖かった一作目
「プレデターの恐怖」というのは、「何をやってるやつかわからない。とにかく何もかもわからない。だけどめちゃくちゃに強くてまっしぐらに怖い」という存在に対する恐怖だったんですよね。
だから逃げ惑う人類、そして極限状態で闘う人類を描くというのが、プレデターの醍醐味でした。
2018年にもなるともはや「宇宙人の目的」もわかって、その方法も手段もわかって、それに対する対処法もわかって武器まで手に入る。
確かに最初の「よくわからん」では何も考えてないように思われるでしょうし、考えすぎて設定をつめすぎると物分かりが良すぎるとか言われる…。難しいんですねえ。
もう倒せる武器まで手に入った(あとは科学技術的に追いついてこれを横展開していくだけだ!)ので、渡来するプレデターは怖くなくなってしまいました。
そうなると、続編が作られるとしたら、プレデター側(宇宙のどこかで)の話にするしかないんじゃないですかね。そうなると人類虐殺もしないわけだからもう「プレデター」ではないわけで、「トラベラー」ぽいタイトルになるのか…。
「トラベラー・フォーマリー・ノウン・アズ・プレデター」みたいな。
Huluで見たんですけど、Amazonではまだレンタルですねえ。