去年は、公式参拝しました。
去年の記事。↓
が、今年は行けなかったので、「護国神社」へ行ってみようと思いました。
ここにあります。
行ったことなかったんです。
田舎ですので「参拝客用駐車場」はありましたが、なかなかカオスでした。出れんのかあの車w、みたいな。
駐車場から階段を登ると…
境内に出ました。
あ、ああ…
そりゃ、靖国神社もそうですから予想はしてましたが、右翼の車満載です。境内に。なんなのこれ。
ちょうど慰霊祭が行なわれており、本堂へ近づくのははばかられましたので、遠くからお参りしておきました。
それにしても右翼が…
いつも思うんですけど、右翼っていうことは左翼もいますよね。鳥でもコウモリでも虫でも天使でも、片翼になると飛べませんから、右翼vs左翼、という敵対関係って、成立しないんですよ。「フランスの右翼vsアメリカの左翼」これは対立関係、成り立ち得ます。生えてる背中が違うから。求める結果に最初から明らかに差異がある場合、立場の違いも成立する。でも「日本の右翼vs日本の左翼」は、「どこかで同根」だと見なさないと、矛盾が出てくる気がします。だって「日本に住んでる」は変わらないわけで、思想の違いさえ守れれば家がなくなってもいい、なんてことにはならないですからね。それとも「右翼」「左翼」なんていうネーミングが、すでに時代錯誤なのかも。
最近は「ネトウヨ」なんていう蔑称や「パヨク」「バカサヨ」なんていう罵倒語がネットスラングとして通用していますね。「ネット右翼」というのは、名刺に書ける事(属性)ではなくて、いわば「ネット上の“振る舞い”の名称」ですよね。アイコンに旭日旗があったり、妙に中韓に対するヘイトで高揚していたり。逆に、カタカナで「サヨク」と書かれている場合は、マルクス史観すら通過していない、などの浅薄さを表現しているのだと思われます。ネット上に限らず、簡単な区別の方法として「右翼」は日本万歳。「左翼」は日本ダメ。「天皇陛下万歳」vs「天皇制廃止」。 など。
日本人なら日本大好き、という方向性でいるのが自然だと思うのですが、だからと言って多くの人が好きな日本人の、「日本が好き」という表明の仕方というのは、菊の御紋を車にあしらって、威圧的に大音量で街中を走り回る事ではありません。各地の護国神社に限らず、ことあるごとに集まってる「パッと見て右翼とわかる人たち」は、だめだと思います。
うろ覚えなのですが、「中国は尖閣の領有権を放棄せよ」と書いてある車も停まってたんです(写真に映ってますね)が、それは、中国に向かって言うことでしょう?少なくとも中国領事館の前に停まって主張すればいいと思うんです、中華街とか。バーミヤンとか。
日本国民に向けて「中国はぁ〜っ(怒)!」と怒鳴り散らして、何やってるんだ、と思います。「北方領土返還!」とか書いてある街宣車も見かけますが、モスクワでやったらどうでしょう。もしアフリカの一国が日本國に害なす働きをしたら、「 サントメ・プリンシペ(例えばです)わぁ〜っ(怒)!」と街宣車で都内を回るんですかね…。
内向きに、「ぜったい許してくれる身内」相手にガナリ立てても、問題は1ミリも進展しないと思うんですよね。それどころか、攻撃的で威圧的・暴力的な態度は、国際的な親交をも邪魔する可能性がある。そうなると、国際協調なくしては成り立たない現在の外交において、国益を損ねる事にもなりかねない。国益が損なわれ続けると、国家の存亡に繋がっていきますからその行動の末は、やはりウヨクとサヨクは同じことに向かって進んでるんじゃないかと疑わざるを得ないんです。かたや意図的に。片や無意識に。「悪気がない方が悪い」なんて言いますから、無自覚に無邪気に「日本は神州であり、神風が吹く不可侵の国なのだーーー!」とかの表現方法は、考え直した方がいいと思います。
で、あの特攻服に刺繍、あれなんとかなりませんかねw
今回、そばを通ってチラチラ見てきたんですがw、まるで、暴走族の延長ではないですか。揃えのユニフォームに、刺繍で文言とモチーフを書き入れ、勇ましく見せかけていますが、申し訳ないけど、無意味です。
バカヤンキーや暴走族を怖がるように、怖がられているだけです。つまり軽蔑と嘲笑の対象になっているということです。
すごく威圧的に、サングラスなどをかけ。まるでヤクザ。ヤクザの真似、なんですか。それともヤクザが余技として活動してる、なんですか。
もっとピシッとした、かっこいい右翼団体はないんですかね…ないんでしょうね…。
ものすごく「内弁慶」と言う言葉が脳裏をよぎります。
あれ、コスプレですからね。戦争コスプレ。遊びみたいなものでしょう、なんの精神性が込められてる言うんですか。戦前ならあんなもの絶対に許されません。安全で平和な世の中で、「俺、強そうだろう!?」っていう、仮装パレードです、コスプレですよ。弱い相手に対する、威嚇行為。味方を敵にする行為です。
しかも「公安」の人らに見守られながら、ですからね。ご苦労様です。
戦争だ!となった時、「日本は神州であり、神風が〜!」なんて勇ましく言ってる連中が邪魔でしかないことは、終戦特番を見たことがあるなら小学生でもわかるでしょう。ああいうところから何も学んでない、自分らの、地域の、縦の、関係性に引きずられて、「大人の部活動」としてレクリエーションとして政治活動をやっている。あんなの、政治でもなんでもない。大人の珍走団です。確かに、めちゃ楽しそうでしたw 野球のユニフォームで想像してみるとね。
ああいう、暴力的なルックスの、ヤンキー丸出しの人らのせいで、普通の、柔らかい、遺族の末裔(私とか)が、普通に参拝できないんですよ。もちろん、彼らがなんらかの危害を加えてくるわけではありません、さすがにそれはないでしょう、でも公安の出動があるってことは、それなりに目をつけられてる…って事でもあるでしょう。
右翼あるところ左翼もある、と上に書きましたが、そうなんです、左翼は、今は「市民」と自称することが多い。ニュースでもよく聞く「市民団体」というやつは、いやいや、特殊な市民ですよねそれ?と思う団体だったりする。
そういう人らは、普通の庶民の格好をしてるんです。
ソ連の国章とか五星紅旗とかの刺繍をしたりしないんです。
それだけに物腰とか作戦とかも柔らかで、成就しやすいわけです。
例えば、いくら右翼の主張が全面的にすべて正しくて、左翼の魂胆がすべて悪だとしても、左翼が物腰柔らかく草の根的に老人の手を取って作戦遂行しているただ中に、ウルトラマンみたいな身の丈40mでドッカーンと現れても、勝負にならないでしょう?
「やり方」が幼稚なんですよ、ああいう右翼の人らは。
「右傾化」と彼らは、あまり関係ないとも言える。
つまり、「主張が実現するかどうか」ではなく、「自分らの生きがい」のためにやってるんですね。だから、あれを右翼のすべてだと誤認させているというだけで、ぜんぜんダメってことです。あの勘違いしてる、皇居の周りをトレーラーでぐるぐる回ってたおかき屋さんもそうです。
で、まさかこういうことを書いて「お前はそれでも日本人かー!」とかいう抗議は来たりしないと思うんですけども、もし来たとしたら「すいません、もう一回読んでもらえますか」と静かにお願いするしかないですね。
護国神社は、その地域で国難に遭われた(つまり戦死した)人たちを祀ってある神社です。うちの2じい様も、祀られています。
人が死ぬと「仏になる」なんて言いますが、神社では神様になっちゃいます。その辺は、融通ですw
そこらへんが日本文化のすごいところ。
単位は「柱」。
キリスト教文化圏では、いくら偉人でも、「死んで神になる」なんてことはありません。たとえローマ法王だろうが大司教だろうが、死んで「聖人」になることはあっても「神になる」ということはあり得ない。
靖国神社では「A級戦犯の合祀」が問題視されてきましたが、ああいう「神となった人たち」というのはローソクの火のようなもので、いったん大きな火と一緒にすると、また分けたとしても、その成分(?)は混じり合ってますから、「分祀」してもはあまり意味がない。できないことはないと思います、オリンピックの聖火みたいに。でも、その分祀の結果を人々に敬意と尊崇の念を持てるかどうかが問題で、そのきっかけが「中国政府と韓国政府の抗議」では、まずスムースに納得できるとは思えません。
私の実家近くでは、遺族会は解散してしまったそうです。
遺族じたいの高齢化が主な原因でしょうね。もう、よほど元気でないと、毎年チューリップハットかぶって靖国神社へ観光バスを仕立てて参拝…は、できなくなってきますよね。
ほど近い護国神社への集団参拝もできないくらいに数も減り、高齢になってきているのと、関心が薄れて来ているのでしょう。
その意味では、毎年忘れず、しっかり地域で集まって、神社へ行くことが恒例化しているコスプレ右翼の人たちは、貴重な存在かもしれません。そこから、もっと学習されて、スタイルを変えて行くということを身につけられると、どんどん良くなって行くかもしれませんね。
最後に、「同じ背中から生えている翼は、右が強くなると左へ旋回することになるよ」というのを、忘れないようにしたいと思います。