我がニコ生番組「TOXIC」にもゲストで出演(2018年12月7日)してくれた、ラリー遠田さんの新著。
ラリー遠田さんのサイト
http://owa-writer.com/
平成は長い。
我々は、「昭和」と「平成」を生きてきました。
だけどなんとなく(これは個人的な感慨だけど)、昭和生まれの人は特に、「昭和の後にくっついた平成」を生きているような感覚を、持っているのではないでしょうか。
だけど平成は、30年間もある。
ということは多くの人が(31歳の時に平成元年を迎えた世代でなければ)、ぜったいに「平成を生きてる時間の方が長い」んですよね。
これ、単なる感覚なので「当たり前だろ」と言われてしまうようなことですけれど、30年も前なんですよ、平成になったのは。
「昭和」が「レトロ」を表す語句として使われているのに反して、「自分は昭和な気分を色濃く持っている」と心で思いながら暮らしている人って、けっこう多いのではないかと思うのです。「平成の世は」という言葉は、もう新しいことを表すとも言えなくなっている。
平成うまれの人にとっては「昭和ってのはなぁ」と語られたとしても「そんなこと言われても困る」んです。
そんな中、「平成の、お笑い界を揺るがす級」の出来事を並べた本書は「え、そんなのつい最近じゃないか」と思わせるものから「え、それって平成に入ってからのこと?」とすら思えるほどの懐古のタネまで、実にわかりやすく並べられています。
目次。
1章 1992年(平成4年) 明石家さんま離婚
2章 1994年(平成6年) ビートたけしバイク事故
3章 1995年(平成7年) 山田邦子、不倫報道で人気凋落
4章 1997年(平成9年) 松本人志『ごっつええ感じ』降板
5章 1998年(平成10年) 萩本欽一、長野五輪閉会式の司会
6章 2000年(平成12年) 上岡龍太郎、引退
7章 2003年(平成15年) 笑福亭鶴瓶、深夜の生放送で局部露出
8章 2007年(平成19年) 有吉弘行、品川祐に「おしゃべりクソ野郎」発言
9章 2007年(平成19年) サンドウィッチマン『M-1』で敗者復活から優勝
10章 2010年(平成22年) スリムクラブ『M-1』で放射能ネタ
11章 2011年(平成23年) 島田紳助、引退
12章 2014年(平成26年) タモリ『笑っていいとも!』終了
13章 2015年(平成27年) 又吉直樹、芥川賞受賞
14章 2016年(平成28年) ピコ太郎『PPAP』が世界中で大ヒット
え、さんまさん離婚って平成だったのか…と思いませんw?
並べてもらうと、確かに、あったあった、確かに衝撃だったわ…と思うものばかりです。
平成になった時、すでに物心ついていた人にとっては、印象的に思い出せるものが多いでしょう。
「14章 2016年(平成28年) ピコ太郎『PPAP』が世界中で大ヒット」や「13章 2015年(平成27年) 又吉直樹、芥川賞受賞 」などはまだ最近すぎて、うまく評価をする段階にない人、も多いはずです。
「流行っただけ」「人気がある」という状態と芸人に素直な反応ができないシニカルな人が実は一般の中にもとても多く、それはつまり「凋落を待っている」「人の失落に溜飲が下がる」タイプの底意地の悪い性格の人がけっこういる、ということだとも思われます。
それはさておき。
全国区の芸人が並ぶ中、この中でやはり少しだけ異質さを放つのは「6章 2000年(平成12年) 上岡龍太郎、引退 」ではないでしょうか。「パペポTV」から東京進出し、全国放送の番組で司会を務めていた時代を経ての完璧な引退、という流れはあるものの、やはりかなりベテランになってから「重鎮」としてブレイクを果たした、という意味ではかなり、異色な存在でしたよね。
この「教養としての平成お笑い史」の中でも触れられていましたが、上岡龍太郎さんはオカルト・心霊の類に強い拒否反応と反論する用意を、常に持っておられました。
番組などでそれが表出する際には、凡百の占い師やオカルト専門家では太刀打ちできない論理展開が披瀝され、それが収録現場や客席に笑いを起こすものですからその説得力は増し、逆にそういう場に慣れていないオカルト関係者や占い師はそれを嘲笑とも感じ、顔はこわばり、圧倒的に空気は固くなる、ということがしばしば起こったのでした。
わかりやすいのは、この番組のこのシーンですね(3:43ごろから)。
やはりあの、僕らの年代から言うと、第二次世界大戦でしょう。
いっときに罪のない一般市民が、あの原子爆弾のために、十五万人三十万人が広島長崎で瞬時にして命をなくした。
その広島の球場で、バースがホームランを打つはずがない。
アメリカのヤツにホームランなんか打たすかぁ!!と思てねー
もう原爆の霊がみんなで止めるはずやのにアメリカ人が広島球場でホームラン打つ打つ!
あれ見た瞬間、霊は無いなと思たねえ
知識と教養が織りなす説得力と立て板に水。
これをやられると、今でもですけど、「第二次世界大戦」とか「原子爆弾」とかいう単語を出されると、普通のタレントさんは固まっちゃうんです。何も考えたことがないから。そして、それに対する意見も思想も、まったくないから。なんとなく曖昧な笑みを浮かべるしかない。
その上、あの調子を持って抑揚をつけて進んでいく語り口は、若手やタレントさんに「でもね」なんて意味薄弱の合いの手を入れる暇を与えません。まるで講釈師が語るがごとく。
これ、誤解されている人が多いというか気づいていない人も多いんですけど、「立て板に水という芸」なんですよ。あまりにもオチまでが流麗に早く淀みなく進むので、はぁ、はぁ…と聴いているしかないという反応をする人もいるでしょう。
だけど、言ってみれば「しょーもないことを講釈師が語るがごとく立て板に水の名調子で語る」ということ自体が「芸」なんです。
誰にでも出来ることではもちろんないし、これが成立するには自分で数十年かかって作ったお膳立て、も必要になります。反応としては、「おお、淀みないなぁ」と感じたところでくすくすと可笑しみを感じるのが正しい。そこに「スラスラと何を言うてんねん」が混じってくる面白さ。この意味がわからないとしたら、上岡氏からそれはもう「重鎮感」が出すぎていて「おもろいおっさん要素」が抜け落ちすぎていたということでしょうし、それを自覚されたこともおそらく、引退の大きな原因の一つになったのかも知れません。
この番組は1994.4.14〜1996.9.19だそうですから20数年前。
同じく1994年、あの「探偵ナイトスクープ」で事件は起こりました。
「恐怖の幽霊下宿」という回(放映は4月29日)が収録されていたABCホール(大阪)。
霊媒師を呼んで下宿部屋にいるという霊を検証するという依頼内容。
なんとなく除霊する…みたいなふざけた空気でおもしろ可笑しく締められたVTRに上岡氏は激怒。
「これは、ディレクターが、『霊はこの世にいる』ということにしたいわけ??」と言い出しました。客席含め、スタッフも出演者も「上岡師匠の一節が始まったぞ、どこかにオチが…」と思い始めて数十秒、それが「マジだ」と気づかされることになります。
担当ディレクターを呼び、「これは許せん。」と叱責。
スタッフも、どこの何にそんなに怒ってるのかよくわからない、という空気に。
お客さんは、「それも芸」という雰囲気になっていて、中には笑ってる人もいる。
上岡氏は、収録中でありながら、楽屋へ帰ってしまいます。
もちろん収録はストップ。
妙な空気が流れるホール。
局長不在で、出演者もいったん楽屋へ。
さて、どうしようか…という感じに。
しばらくして、桂小枝・北野誠両氏がステージに出てきます。
「えー、いま、楽屋の様子を見てまいりまして…」
固唾を呑む会場。
「巨人が1ー0で勝っております」
場内は爆笑。
そんなことがあった約6年後、周囲になんの未練も残さず、引退してしまわれました。
パペポTVの最終回では、島田紳助・明石家さんまがゲストとして登場し、有終の美を飾ることとなりました。のちにそのノーカットVTRは、バイク事故で顔を損傷し、もう表舞台ではなく作家として生きるしかないか…と絶望していた千原ジュニア氏を力づけることになるのだそうです(それは東野幸治さん経由で渡った)。
上岡氏は18歳でいきなり「師匠」になった稀有な人。
これは、晩節を汚した…とまで酷評されてしまうこともある、かの横山ノック氏が偉大だったからこそのこと、です。
解散はしたもののすでに人気だった横山ノック(横山ノック・アウト)が考案した「ニュースを取り入れる漫才」、そして「トリオ」の隆盛は、デビューから即人気芸人の仲間入りに拍車をかけるものでした。
「お笑い史」は事件で進むよ
「事件」を取り扱う、というテーマで進む本書は、やはり「離婚」「事故」「凋落」「事故」「降板」「引退」「終了」など、どちらかというとネガティブな印象をもって受け止められる「事件」が多く並んでいます。
それは芸人の毀誉褒貶や盛者必衰な生き方・あり方について、一般的には「それ自体が芸」という認識があるからこそ成り立つことなのかもしれません。
逆に「優勝」や「大ヒット」などのポジティブで喜ばしき事例においては逆に「この先はどうなるかわかったものではなかろうて…」というような、意地悪な視点をもってしまう人もいるでしょう。
やはりそう思うと「引退」を冠する頁は、「それ以上、動くことはない。過去の評価こそすれ、もう、上がりも下がりもしないのだ」という固定したイメージを再確認させてくれるので、少し安心させてもらえるのかもしれません。
年表を活用しよう
「はじめに」の後ろには、1989年(平成元年)から2019年までの年表が付いています。
ここには、お笑い界に起こった「大事件」と、世間の動きが並列されています。
これを見ると、お笑い界の事件と、世間の事件が「え、この頃ってこれがあったの!?」と、ずいぶん自分の認識がズレていると感じます。
社会的な出来事は「ずいぶん前」と感じ、その反対にお笑い界の出来事は「ついこないだ」と感じるんです。
これはやはり、記憶が感情とともにセットで脳内管理されている、ということなんでしょうか。
印象深いことだからこそ、どこかおもしろおかしく何度も心の中で反芻して、理解して、映像も見返したりして、記憶に固着させている。
すべては「1回め」。
お笑い界の事件は、今後はまず、「大物の引退ラッシュ」という形で現れるかもしれません。
あるいは「世界で、アメリカで大活躍」という日本のお笑い史上初の形で出てくるかも知れません。
新元号に変わる今年(2019年)から、また「教養としての○○お笑い史(○○は後で書き換えますw)」は始まるのです。
お笑いの歴史は、「1回め」なんです。
寄席からラジオ、テレビのと主戦場を移し、億万長者やスターが生まれたのも「1回め」、それらが「君臨して引退しない」のも、常に前代未聞の「1回め」。
誰も、この先を予測することはできません。
この先を読んで、お笑いの新しい形を提示することも、出来ません。
なるようにしかならない。
人気と、論理と、破綻と、ミクスチャーと。
ラリーさんの冷静で客観的な筆致は、読んでいて安心します。
そしてカバー(帯のイラスト)が、平成のお笑いの多くを物語ってくれていて素晴らしいなぁ、と思いました(ちなみに東京スカイツリーの開業は平成24年です)。