クローン技術が進んだ描写は、たくさんのフィクションで描かれている。
アインシュタイン・ヒトラー・織田信長・ポルポト…。
恐竜なら、まったく同じ遺伝子でも種の本能が既に個性、と言えてしまうけれど、人間、ましてや社会性の果てに成功した有名な人物、となると、やはり遺伝子情報が同じ、というだけでは「その人」たり得ない。
人間はどんな選択をするか/どんな時代に生まれるかで人生が決まる。
クローン技術がいかに進んで、生物的にまったく同じだと言い切る個体を生むことができたとしても、既に故人である過去の人と、同じ人生を歩ませることは絶対に出来ない。
「あなたはヒトラーとまったく同じ遺伝子を持っています」と聞かされた時点で、もうヒトラーにはなれないのである。
その意味で、クローン技術は「同じ人を生み出す」ということに、メリットがまるでないのだ。見た目がまったく同じな、まったく別の個人を誕生させて、悲劇以外の何が生まれるというのだろうか。
同じ技術で有用なのは、「生きているその人物の、臓器を作る」ことだろう。
自分のまったく同じ臓器であるならば、免疫反応もなく、素直に適合する確率は高い。
クローン技術はしばらくは、限定的にしか実用化されないのではないか。
フィクションに見られる「労働力を得るために作られた同じDNAを持つ人間たち」が生まれるのには、数十万円で1体を作れるようになるようなイノベーションと、それを倫理的に許す新しい世界秩序のようなものが必要になるだろう。
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1日1個、一年続けたら自動的に少しだけ賢くなるんじゃないか実験。
デイヴィッド・S・キダーとノア・D・オッペンハイムのベストセラー。小林朋則氏訳。
歴史・文学・芸術・科学・音楽・哲学・宗教の7分野から、365日分の知識。
この本を読みつつ、知ってるようで知らなかったこともちゃんと知りつつ、ああそうなんだね~なんて思いながら、少しだけ書くことを続けます。
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365