【境界カメラ#62】
徳田神也の理詰め&BLUES +
第10回〜天狗にさらわれた少年の話〜
http://live.nicovideo.jp/gate/lv316742834
著者の平田篤胤は、江戸時代後期の国学者。
文政3年(1820年)、彼のもとに「天狗(山人)に拐われて、戻ってきた少年」が来ます。
「山人」というのは「仙人」のことで、中国の方では「仙人」と言うけれど、日本では古来から「山人」と呼ぶとのこと。
で、天狗のことかと言うと、天狗ではない。
いや、みんなまとめて天狗って呼ばれちゃうこともあるんだけど真実としては、神仙としての「山人」と、動物やダメ人間が転生した妖魔の類である天狗がいて、いっしょくたにされている、と。ムカつく、と。
誰がそう言っているかというと、「あちら側の世界」から戻ってきた、というか行き来してる少年「寅吉」がはっきりそう、言うんです。
まぁものすごい、打てば響くような答え方で、当時の碩学・国学四天王の一人である平田篤胤の質問に、淀みなく言うんです。
「それは知りません」
「それは教えてもらってません」
「わからないです」
と、適当に答えられるところは答えない、みたいな明確な歯切れの良さで「これはこうです」「こう習いました」「まだ習ってません」と、異界のしきたりや風習・過ごし方や考え方などをしっかりと言います。
思わず、大人たちが勝手に解釈して書き間違えていることなどについては
そうじゃならむと云はるる故に、そうじゃうには非ず、そうしやうと清みて唱ふと、返すがえす云いしかど、僧正の字に違ひなしと、押してしか書かれし故に、心善からずは思ひしかど、是非なくさて有りしなり。代答にはかかる類ひなほ多かり。かかる事を思へば、平児代答は世に何ばかり写し伝ふらむ、何卒みな火に焼かれよかしと思ふを、此の先生の、其の事は己が筆記に弁ふべしと言わるる故に少か安心して在るなり。(P.140)
【現代語訳】
私は、師匠の名はそうじょうではありません、そうしょうと清音で発音しますと繰り返し言ったのですが、僧正の字に違いないと、強引に決めつけ、そう書かれてしまいました。何とも不愉快でしたが、どうしようもなく、そういうことになっています。
『平兒代答』にはこのような類の記述が、他にもかなりたくさんあります。それを思うと、『平兒代答』が何冊書き写され、世間に流布しているとしても、どうかすべて焼失してしまってほしいと思います。ただ平田先生が、「それらのことは、わしの書き写す書に述べればよい」と言われましたので、多少は気持ちも落ち着いてはいます。(『現代語訳 仙境異聞』p.106)
と、憤慨しています。
7歳で初めて異界へ行き、この時点で15歳くらいか。なんとも社会も鷹揚さというか、毎日行っては帰り、異界とこの世との往復していたことも、「家があまり裕福ではなく、一人で勝手に遊んでるなら手がかからんでええわい、みたいな感じで放置されてた」と。
どうにもこの子の言うことは「全部本当」っぽい。
だけどまとめて書かれたその文言は、平田篤胤が研鑽・追究していた国学・神道の要素が、最初からぞんぶんに練りこまれている感じもある。
真実かどうかはわからないけれど、どうも平田篤胤の誘導尋問のようにも見えたりもするところもなきにしもあらず。
例えば「山人界」にいる仙人も、天皇家・朝廷を、神を祀る、天に通ずる大切な機関だとし、朝廷の出先機関として現実的に諸国を統治している江戸の将軍家も、その崇拝の対象にすべきだと説きます。
ここ、現実世界である江戸の国学者と、考え方がきっちりマッチしている。そして、とにかく悪し様に仏法僧を罵る。
いや、これは現代の、科学に爛(ただ)れた私たちの、あまりにも狭い、穿った視点なのかも知れません。
うん、こういう見方だって出来る。
例えば現代では「天才少年」と言えば、スポーツとか、将棋とか、音楽とか、芸術やITなどの世界でしか顕現できないというか、発揮できない「狭さ」があるのかも知れませんよね。
この子は大天才!と言ったって、勉強がいくらできると言ったって、それは「学校」システム、あるいは「仕事」システムでアウトプットされるしかない。
すでに国学・神学として研究されていたようなオカルティックな内容を、どこかで「知覚」して、完璧なストーリーとして「全人格による体験」をしたような超感覚をもって語れてしまう頭の回転の早い子供が、なんらかのきっかけで存在していたのかも知れない。
現代の病院へ行けば即座にそれなりの病名を付与されてしまうかのような、世間一般には溶け込めないレベルの超感覚。
それにしても、神界と、人間の世界の間に位置する「山界」。
そこには神通自在の存在「山人」がいて(これが少年寅吉の師匠)、名は明かしてはならないと。
空も飛べれば火も放てる。
人間界のすべてのことを見通して、罰を与えることもできる。
そんな存在が「山にいる」という、このざっくりとした自然観。
「自然は人間が支配して管理するべきもの」という西洋文化が瀰漫(びまん)する以前、山はそのまま「異界への入り口」であり、不可侵の領域であったのですね。
だから、「山へ行く」となると「ええっ!?」とはなるけれど、「山は異界です。」には、まったく異論がない。
そういう自然観、世界観だったんですね。
そして当時の有名知識人である平田篤胤のところに、「その少年の話、絶対聴きたい!」と、多くの知識人や門弟が集まって来ます。
その感じが、どうにもほほえましい。
この文庫の校注をされた子安宣邦氏によると、この『仙境異聞』に出てくる随筆家・山崎美成(よししげ)や国学者・屋代弘賢は、あの滝沢馬琴らと「兎園会」という、奇事異聞を報告し合うサークルを作っていたそうです。今で言う、オカルト愛好家。「好事家(こうずか)」というやつですね。
今でも、オカルト愛好家には知識人も多いですが、オカルティックな領域は、先端の学問の辺縁に必ず現れ出でたる、常に興味をそそらされるカテゴリーだったのですね。
謎ブーム どうして「天狗にさらわれた少年の話」が売れているのか?
岩波文庫『仙境異聞』の校注者も首をかしげるばかり
http://bunshun.jp/articles/-/7148
ふーん、ほえー、と言いながら読むしかないんですけれどこの 『仙境異聞』、現代語訳がないとツラいのは確かです。
だけど、読み進めていくと「国学者の、宗教的な危機」もあり、もしかするとこの江戸後期の宗教観・危機感が、明治維新の「宗教改革(廃仏毀釈)」にも影響を与えているんじゃないか…と思えます。
上のインタビューでも子安氏は
寅吉が出現した10年後には藩校が全国的に設けられ、寺子屋が広く普及し始める「教育の爆発」という天保時代がやって来ます。この時代に青少年として教育を受けた人びとが、明治維新と文明開化日本の立役者になります。
とおっしゃっています。
そうなのか…。平田篤胤はこの後、幕府の暦を批判する書を著して怒られ、お江戸所払い(追放)処分になってしまうのですが、そういうところも、くすぶる一般人や下級武士の、怒りの火種となっていったのかも知れない。
不思議な話があるものですなぁ。