見たもの、思うこと。

『地球 東京 僕の部屋』を聴いて思ったこと

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地球 東京 僕の部屋

実に不思議です。

『地球 東京 僕の部屋』

『eirth,tokyo,my room』

にしても語感が損なわれない奇跡の麗句。

ここに「music」とか「ecology」とかを付け加えたくなったりするかも知れませんがw、まずはこの視点移動。大宇宙から「この星。」と定め、極東の島国の首都に向かう。
そして都会の、あるいは少し下町の、ある建物のある仕切られた空間。それが部屋。僕の部屋。ひょっとしたらそれは時間をさかのぼって、家族と過ごして今はない、古びた記憶の中の、小さな部屋かも知れない。考えたら、世界ってこれですべてじゃないか。

そう思えてしまいます。

 

1. 大きなマンション
2. 1975
3. 矛盾
4. Moonwalk Moonwalk
5. Harajuku-Crossroads
6. 地球 東京 僕の部屋
7. アクマノスミカ
8. 夜の雲
9. Vision Man
10. クリスマスの朝
11. Home

渋谷駅に貼られたポスター、ジャケットアートの写真ですが、通り過ぎながら、多くの人が「これは何…?だれ??」と、不思議がっていたことでしょうね。

JR渋谷駅に貼られた謎のカワイイ男の子のポスターは一体誰?
https://spice.eplus.jp/articles/212474

いやぁもう、私なら一見して服とかで「あらぁ…ええトコの子やがな…」と嘆息。
なんというか「ものすごくちゃんとした、高精細な写真が残ってるんやな!!」という驚きもある。

アルバム2曲め「1975」は、和田氏の生まれ年、なんですね。

1975年と言えば昭和50年。

「ペヤングソースやきそば」発売開始。
「マイクロソフト」設立。
「ゴレンジャー」放送開始。
「キャロル」解散。
「ベトナム戦争」終結。
コクヨ「Campus」発売。
日産「シルビア」発売。

いろんなことが発展していき、バブルと呼ばれる時代を迎える活気ある、希望に満ちることが誰にでもあまねく許された、そんな空気すらあった頃。

『地球 東京 僕の部屋』はトライセラトップスのボーカルとして歌を歌い、ギターを弾いてきた和田氏の、ソロアルバム。初めてのソロアルバム。やっぱり嫌が応にも気合いが入ってますよね、そしてそれは「よし、力を抜いていこう!」という気合いにも見える。

当然だと思いますけれど、バンドと違って、凄まじく内面に向かっています。
聴いている人の内面をすぐさま映し出すというよりは、まず自分自身の内面を、くまなく見つめ直して洗い出し、いったん綺麗に並べてみたい…というような欲求が感じられる。

 

1.「大きなマンション」

アルバムの1曲めを「大きなマンション」から始めたというのは、そんな「まぁ、俺ってこういうところから実は始まってるんすよ」とでも言うような感慨の表れ、なのかも知れませんね。

世界やこの命がこの先どうなるなんて分からないけど
分かってることがある
もっともっと笑顔にするから全てを見せて欲しいんだ

と彼は言います。

大きなマンションなんかを見てると、そこにある「他人の生活」に、私もすごく、苦しいような、切ないような気分にいつもなります。いや、建物の規模が大きくなくても、なるw

それは「あそこには誰かの生活が絶対にしっかりあって、しかも、それが1ミリも自分には関係がない」という部分に、なんだか寂しいような気持ちになってしまうんです。

あの灯、蛍光灯だったり昼色灯だったり家具だったりいろいろ、ちらっと垣間見える他人の生活は、自分にはまったく作り出せなかった幸せの形をしているのかも知れない。だけど、関係ないのは向こうも同じで、自分の幸せは自分でしか作れないんだしな…という諦めと寂寥の入り混じったような、苦しいような気持ち。

いつもいったんそこまで考えて、「まぁ、だけどねえ」と、新しい未来のことを考えるにいたる。

そういう気分が、優しげなイントロから始まるこのオープニング曲には、込められているような気がします。もしかしたらここに出てくる「君」は、自分自身のことかも知れない。そして僕は、架空の、どこかの、いつかの自分。

 

2.1975

そして「1975」です。

Youtubeにはね連れて行けないセピア色の風景に

という歌詞が、Youtubeで見れるというのはご愛嬌、だとしてもw、この時代感、東京にしかない風景が記憶にこびりついている人の、それは田舎者には絶対にたどり着けない懐古なんですけど、過去の記憶と未来への憧憬を行き来するのが人間というものですし、最後に

僕はここにいる

と印象的に語るその理由は、「いま・ここ」に注力することが、実は幸せと直結しているのだ、という達観が、自然に現れているのではないでしょうか。

 

3.「矛盾」

ダンサンブルな雰囲気に乗せて、心情の吐露や皮肉を「矛盾」と表現する3曲め。
いろんな葛藤や寄り道を感じつつ、結局はエネルギーを発散させるなら、人生をどんな方向性にするのあんた??と問いかけられているようです。
このあたりから、「マイケル感」がズドンと突き刺さってきますね。

なにせ4曲めは「Moonwalk Moonwalk」。いやぁ言っちゃったよw

 

4.「Moonwalk Moonwalk」

マイケル感が…いや、これってもしかしたらマイケル・ジャクソンのことを歌ってるんじゃないですか?

想い出して 潤んで 歩けない 君なしで 笑って 進めない

そんな感情をマイケル本人が持っていた…などと考えてみると、彼の持っていた悲哀が、なんだかじわり、理解できてしまうような気持ちになってきます。

マイケル・ジャクソンファンを公言している和田氏。

私の記憶の話に脱線しますが、あれはおそらく1998年か1999年。
大阪の街を車で走っていた私は、ラジオ番組でコメントしていた和田氏の声を聞きました。
彼はそのコメント中で「僕はマイケルジャクソンがものすごく好きで…」と、はっきりおっしゃっていたんです。

私はそれに、少なからず驚きました。
「ロックバンドの人が、こうもはっきりマイケル・ジャクソン支持を、いわば貴重なメディア露出のコメントの時間を使って、はっきり言うなんて」と。

正直、「ニルバーナ」って言っておけばいいじゃないですかw
「レッチリ」とか「オアシス」とか言っておけばいい。
または「ビートルズ」と。

これは空気としてはっきり覚えているんですが、マイケルが亡くなってしまい(2009年)、映画『THIS IS IT』が全世界で大ヒットした後、やっと「マイケル好き」は、誰もがなんのてらいもなく、当たり前のように言えるようになったんです。

マドンナ・プリンス・カーマは気まぐれ。
80年代の4大ポップアイコンと呼ばれる人たちを、惜しみなく賞賛できるのはいわゆる「一般の人ら」であって、音楽好き、ロック好き、ちょっとひねくれた視点を持っていたい若者たちが「ボーイ・ジョージ最高だぜ!」とは、言いにくい空気感が、確かにあった。

その中でも超ド級のスーパースター、キング・オブ・ポップでありA級スターのマイケルを「何より好物だ」と公言することは、なかなかに恥ずかしい、という感覚の人も多かったんですよ。

例えば好きな食べ物は「ハンバーグ」、好きな飲み物は「オレンジジュース」、好きな芸人は「明石家さんま」好きな俳優は「シルベスター・スタローン」、みたいな。

これって感覚なので「それは違うよ!」と言う人ももちろんたくさんいるでしょうけれど、私としてはあの時点で、「マイケルが好きです!」とはっきり言い切る和田氏に、「この人はすごい人だなぁ」と、静かに驚嘆したのです。

悲しみすら漂うベースラインが象徴的な「Moonwalk Moonwalk」は、マイケル・ジャクソンへのエレジー(挽歌)、なのかも知れません。

 

 

5.「Harajuku-Crossroads」

東京に生まれ育った人、オシャレと音楽を興味の焦点として青春を過ごした人にとって、やはり原宿は特別な場所、だったんでしょうね。

5曲め「Harajuku-Crossroads」は、そんな街の、喧騒の、クラクションまで表現されていて、まるで本人の、思い出の中にある風景を、覗かせてもらっているかのようです。

風景というよりは心象か。

地方の、「パルコしかない」みたいな、いやそれすらない服買うには一回ジャスコ見にいくんだど、みたいな我らの少年時代とは違うw、「今につながる全てがそこにある」感、羨ましくも、だけど移り変わりも激しいし逆に「捨てられない」悲しみ、のようなものも滲んでいますよね。

田舎は捨てられるけど、都会は捨てられないから。

 

6.「地球 東京 僕の部屋」

次はタイトル曲「地球 東京 僕の部屋」

冒頭で、世界ってこれですべてじゃないか、と書きましたが、聴いてみると

宛先はそこにいる君の心です

と、さらに絞り込まれていました。

「宇宙」「転生」「魂」など、なかなかにスピリチュアルなワードも散りばめられてw、スペーシーな音色が駆け巡ります。

「宇宙視点」というのは空想でありながら、やっぱり「自分の、そして自分の悩み」を矮小化させるには有効なんですよね。

自分の体にある素材と、宇宙の果てにあるであろう元素が、同じだという事実。
自分は宇宙の塵(ちり)の一部であり、自分が紡ぐ愛は、まるで一瞬、川の水がクルンと滞る、溜まりのようなものでしかない。

だけど、そんな小さげではかなげな自分が、大きな宇宙で「良くして行こう」と決めることしか出来ないじゃない?っていうことなんですよね。

あれ、この感じ、どこかで聴いたことあるぞ…。
そうだ、小沢健二の「流動体について」の歌詞に出てきたんだった。

神の手の中にあるのなら
その時々にできることは
宇宙の中で良いことを決意するくらい

文脈は違うけど、このフレーズで言っていることと、「地球 東京 僕の部屋」で描いている哲学は、とても似ているんじゃないかな、そんな風に思いました。

無理やり小沢健二の「流動体について」について考えてみる実験

 

7.「アクマノスミカ」

7曲めは「アクマノスミカ」
これ、カタカナだからなんだか可愛げありますけど、「悪魔の棲家」と漢字で書くと聖飢魔IIの曲みたいになる。

僕の名前は悪魔です

から始まるこの曲、そういえば「僕はゴースト」という曲がTRICERATOPSにありましたよね。確か最初にライブで披露された時には「ゴースト」というタイトルだったのに、「僕はゴースト」と変えられた。

この事にも、私はけっこう驚いたんでした。

「ゴースト」と「僕はゴースト」では、ぜんぜん世界観が変わってきますから。

一般的な名前から、固有のしかも思いがこもった、個人的なものに一気に変貌する。

「僕は」がつく事で、歌詞のすべて、音色のすべての主語になった。悲しみや憂いの主体が、はっきりしたんです。

そう思うと、「アクマノスミカ」の主体は、「僕」なんですけど、じゃあこの「僕」って誰なんだ?

この歌に出てくる「君」は、「僕」でもあるでしょう?

「君」の中に住んでる「僕」が、人生の不条理と憂鬱を醸し出しつつ、だけど自身の巣でもある「君」を自由へと誘う。

アクマノスミカをノックした君に教えよう
僕は闇の中に住んでる君なんです
そろそろ君を愛してあげてよ

ここ、超ややこしいですよね。
「僕」は「君」なんだとアクマはついに吐露する。

幸せになってよ ずっと大好きだよ

と言ってくれる「僕」は、本当にアクマなのか?
十万何歳なの??

 

どこか、自分を責めたり、自分の不甲斐なさに苦しんだりしている人への、「あなたが悪でない限り、あなたの内面にいる悪は、やっぱり悪じゃないんだ」という、ひねった応援歌に聞こえます。

不器用な「君」なら「僕」も不器用だよ、とでも言ってくれているかのように。

 

8.「夜の雲」

夜の雲って、月が明るいと意識できないんですよね。

サビ部分のメロディがとにかく美しい。
コーラスワークも素敵。

この曲の世界、3:57ある曲ですけれど、こういうことって、1秒くらいで考えていること、のような気がします。ズアーっと映像込みで脳内に浮かぶこもごも、夜空にある光る月のイメージとともに、広げて、敷き詰めて、楽曲にしてくれた、という感じ。

この曲を聴けばその都度、あの時の感情と匂いまで、正確に思い出せるんじゃないか、と思えるくらい。おおお、アウトロでまたマイケル感がw

 

9.「Vision Man」

実は目で見てる世界は、いったん目から上下逆で取り入れた光を、脳内で映像に変換して、そこから認識してるに過ぎないそうなんですよね。

ほら、ガンダムとかで、コクピットの中に外の世界360度がすべて映し出されてるというあのイメージ。造りとしては周りがすべてガラス張りなのではなくて、ロボットのカメラ(視覚装置)から取り込まれた情報が、周りに反映されているという。

そう思うと、例えばまずその「認識」が歪んでいると、目から入ってきた情報も、やっぱりそれぞれ、歪むわけです。

考えが正しければ、見えたものは正しく認識できる。いえ、「正しく認識できる」も正確ではないですね、「ありのままに、そのままに認識できる」と言った方がいいかもしれません。

つまり「見え方」「ビジョン」は、「考え方」「マインド」によって変化せざるを得ない。

これに気づくと、すべてを疑うわけじゃないけど「じゃあどうだったら正解だったの?」と、自分の感情と話し合うことができる。感情は、雨が降ると地面が濡れる、みたいな、勝手に動く肉体的なものです。

本当に精神が自我と張り付いているならば、感情に振り回されている自分にこそ、理性によって制御の手を差し伸べないといけない。「感情に正直なのが素敵な生き方」なんて、嘘っぱちです。衝動的に決めろ!という、「売らんかな」なセールスコピーに過ぎません。

Vision Manは視覚から内面へ飛び込んで、明るい未来へ抜ける道を指し示す可能性を感じさせてくれます。それには「君が君を信じる」だけでいい。そう、教えてくれています。

人生なんてしょせん、「でっかい宇宙のGame」なんだしさ、と。

 

10.「クリスマスの朝」。

変な言い方に聞こえるかもしれませんが、ちゃんとした家には「ちゃんとしたクリスマス」があるんですよ。これって、その家で生まれ育った人には逆に「そんなこと言われて責められたってどうしようもない」ことなんですけれど。

ツリーが飾られて、プレゼントが枕元にあって。
ケーキがあって、安心があってワクワクがあって。
もしかしたら自宅には煙突があって、ということは暖炉もあって(!)。

思い起こせば(私も別に不幸な生い立ちではないですが)、小学3年生くらいの頃、「サンタを信じているクラスメイトたち」に、声には出しませんでしたが飛び上がるほど驚いた覚えがあります。

いえ、「おまえらまだそんなの信じてるのかよー!」という事ではありません。

サンタクロースが「いるか・いないか論争」のタネになるような存在である、という事実を、教室で初めて知ったのです。

マセガキとかヒネてるガキとか言われればそれまでなんですが、だって天狗や河童は、まぁ、いないっていうことで子供でも認識してるじゃないですか。龍とか麒麟とかも。

なのになんで、特定の日にだけ外国から空を動物に引かれた簡易な乗り物で飛んできて夜のうちに他人の家に侵入してもいいことになっている太った外人のおっさんだけが「いる・いない」の的になってるのか、理解できなかった。

なので私個人に限っては、クリスマスにワクワクとかドキドキ、ぜんぜんないんです。
だけどもちろん、こういう世界観を大事に、素敵な物語のバックボーンとしていつでも取り出せる、暖かい世界があることも、ちゃんと知っています。

幸せは「何が揃ってるから」「何がないから」で決まるものではないですし、

思春期にこの日の魔法は
女の子の事に取って代わり大変

という感じも、わかります。

うん、でも「すべての記念日業界からの撤退」を目標にしている私としては、どこか、違う場所を走っている世界線の、優雅でメランコリックな風景を見ているかのようです。

雪がサンに積もった窓から、そういう暖かな家の中を、覗いているような…。

 

11.「HOME」

アルバムの最後は「HOME」

私的なアルバムである「地球 東京 僕の部屋」ですから、和田氏の心象風景を垣間見えるとい意味でとても興味深い。でもそこに、人生を不安を抱えながらも生きる普遍性を感じ、リスナーは自分に引き寄せ、勇気の片鱗をもらう。

君の涙を消したくて
宝物また増やしたくて
僕は帰って来るのさ

と、帰るべき場所ができた感慨が、考えるべき「家」の変遷が、叙情的につづられます。

そして、1曲めの「大きなマンション」にまた、繋がっていくんですね。
この2曲「HOME」と「大きなマンション」は、兄弟のような、双子のような、続きモノなのかもしれない。

日々の暮らしと、暮らしという日常が過ぎること自体の虚しさ、だけどその時間を一緒に過ごせるという愛おしさ。

大切な存在がいるという奇跡的なことへの喜びを、自分が今過去から来て、未来へ続く道の上に立っているという喜びを、グググっと50分くらいに凝縮したら、『地球 東京 僕の部屋』というアルバムになった!!!ということ、なのかもしれませんね。

 

 

 

楽器をすべて自分で演奏して録音されたこのアルバム。

11月からは、たった一人でステージをパフォーマンスするプレミアムな1stソロツアー「一人宇宙旅行」がいよいよスタートする。
https://eplus.jp/sys/web/popular/showada18/index.html







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