原題は「Fallen」。
「堕天使」を表しているんですね。
悪魔を憐れむ歌(「Sympathy for the Devil」)は、「Beggars Banquet」の1曲めです。
ローリング・ストーンズ。
あ、悪魔がいるぞ、どうやら…!ほんとに…!
という、戦慄しかない現象に立ち向かう一人の刑事。
「乗り移る」様子が、「そんな感じなら、絶対勝てないじゃないの」っていう恐怖感を増幅させます。
でもそれを克服すべきアイデアを編み出し、勝つ…勝ちかける…いや、無理だった…。
エンディングでトーンズの「Sympathy for the Devil」が流れ、え!いや、怖いままやないかい…!と、サンバ調のリズムと都会の喧騒が混じり合う。
劇中で出てくるもう一つの曲は、「Time is on my side」。
この映画、公開は1998年です。
この頃って、もう忘れてしまってますけど「1999年、恐怖の大王が」みたいな風潮は確かにあったし、でも「2000年問題、どうすんの?」的な未来へ対しての漠然とした不安、も確かにあった気がする。
悪魔が存在する、というのはこの映画では単純に「悪意の顕在化」とは言い切れない部分もあるけれど、フィクションだとたいていは「悪魔vs神」という図式が出てきますよね。
「アザゼル」という、堕天使の名が出てきました。
乗り移る時、500キュビトしか移動できない、と。
「キュビト」は、古代の長さの単位。中指の先からヒジまでが1キュビトだったそうですが、そんなもんヒトによって違うやん。
だいたい43〜53cmだったんだそうです。おおらか。
いや10cmも誤差があったら建造物とか作れないと思うんですけど、たぶん権力者の身体を基準にしてたんでしょうね。でないと統一できないし。
ヘブライ語の資料には「一呼吸で500キュビト=265m移動する」という記述があることを知るホブズ(デンゼル・ワシントン)。
いや、えらい正確に特徴とらえられて書物に書かれちゃってるんだな、堕天使。
こういうところが「神は全て知ってる」ことの暗示のようで、少しだけ鼻白むところだったりするんですよね…キリスト教系の教義が元になってるお話って。
悪魔はそのものが出てくるけど、「神」は決して出てこない。
どこかで「キリスト教会が言ってることが結局すべて正しい」につながってるようにできているというか、信仰がベースになってるというか、そこはすんなり素直に信じてあげないと話が進まない、というか。
だって人間に害なす悪魔(堕天使)なんですからそんな記述、書き換えるようなことだってできたはずですし、そこを出し抜かないと、出し抜いた事にならないでしょう。なんでそういう「スペック」だけ、どえらい正確なんだ…どこかで捕獲されて、調査されて、実験・研究されないとそんな数値出てこないだろ…いや、天使軍団(ガブリエルとかミカエルとか)からの神情報かそうかそうですか…。
アザゼルはもともと、人間を監視する役割を持っていたそうです。
それを思うと、悪事、というものが人間の性(さが)として定着しているという、象徴のようにも思える。
周囲に人がいない環境で、ホブズはこの古代からの悪魔を策にはめる。
一命を賭したそれは、見事なものだったんですが結局、凄まじい幸運(?)で悪魔は生き残る。
というか、もし成功してたら、本当にああいう感じで死ぬんですかね。
私ならそういう時のために、常に何か小動物をポケットに入れておく、とかしますけどね。最初から鳥を連れて歩く、とか。
人間の怖さ、いや「なんでこんな人がいるの?」という、謎なくらい(それは精神疾患を疑いたくなるほど)に酷さを見せる人らが本当にいる現実にぶつかるにつけ、「ほんと、憐れむ歌でも歌いたくなるぜ…」という思いに、耽ってしまいそうになるのであります。
ジョン・グッドマンが素晴らしい。
まるでディズニーのキャラクターのようだ。
「24シリーズ」のジャックバウワー、キーファーサザーランドのお父さん、ドナルド・サザーランドも出てます。
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ジョン・グッドマンの最後のところは、もう一回観たいかも。
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