自論構築過程

実は、性格はかんたんに変えられる

投稿日:2018年5月11日 更新日:

 

自己啓発本、みたいなことを書くつもりはないのです。
ああ、そうだなぁ、と思うから、そのことを書くだけなのです。

これは考えたら「ああ、そうだな」と納得できることだと思います。
しかも「おお、ほんとにかんたんだな」ともすぐに思えるでしょう。
でも「だからこそ」、やらないんだと思うんですなかなか。
どこかに「嘘だろそんなの」という考えも湧いてくるし。

まず、その性格は「ホンモノ」か!?

「私はこういう性格だから」という言葉、よく聞きますよね。
もう、面倒なので「そうなんですね〜」なんて返しますし、面倒なので「僕はそういう性格ではないですね〜」なんて、場面によってテキトーに返事します。

しかし、「性格」ってなんなんでしょう。

今となってはおそらく厳密には色々あるんでしょうが、ユングが考案した性格分類にはこういうものがあるそうです。

外向 外界の事物に関心が向く。環境適応が早い。周りの意見にあわせる(流される)。
内向 内界の主観的要因に関心が向く。思慮深い。周りの意見に左右されない。
思考 知性によって物事を一貫的に捉える機能
感情 好き嫌いで物事を捉える機能
直観 物事の背後の可能性を知覚する機能
感覚 生理的刺激による知覚機能

※wikipediaより

分類ですから、必ずみんな、どこかには属するでしょう。

だけど、「どれか一つ」ってことはないはず。
「環境適応は早くて思慮深い人」だっているし、絶対に、人間は複雑に複合的な判断をするものだし、そこに「ここではこう思われた(くな)い」みたいな、刹那的な理由もプラスされるはず。

これを、「一生、ずっと、どんな場合でも私はこうです!」と言い切れるなんてことは、ありえないと思うんです。

だけど「性格判断」とか、ましてや「血液型占い」みたいなのをなんの疑いもなく「やっぱりあるものよ!」なんて思って子供の頃から認識を更新していない人になると「そう、私、A型だから几帳面なんですよ」とあっさりおっしゃる。

え、そんな眉毛メイクと服装で人前に出てこられて、そんなレベルの言葉遣いと気遣いで人と接するような貴女が、き、“几帳面”…!?なんて、言いたくなりますけど言いません。

それは性格なんじゃなくて「アホなだけ」なんじゃないの?とか、言えてしまいそうだし。

これは一体どういうことなんでしょう。
こんなこと、無数にありますよね。

問題は、「性格なんてどーでもいいから、どう行動するか」なんですよ。

たとえば、几帳面はわかった。神経質、もわかった。
じゃあ、部屋にゴキブリ出たら、どうするの?っていう。

殺します?即座に殺します?

ちゃらんぽらんで気まぐれな「B型」は、じゃあ、殺したり殺さなかったり、なんですかねえ??
八方美人なO型はどうするんです?
二重人格的なAB型わぁ…??

血液型はどう考えても性格には関係ないので置くとして、「そこでどう行動するか」のみが人間にとっては重要なんだろう、と思うわけです。

もちろん、たとえば虫を屠った後、汚れた壁や床を一切綺麗にしようとしない、なんていうのは問題ですし、元どおり、どころかついでに部屋掃除全体をやってしまう、なんていうのは「人間、やろうと思えば誰でもできること」ですよね。

そこに「強要(やっとけよ!と命令される)」が含まれたとしても。

 

性格とは何か

つまり、性格とは「今まで、どんな行動をしてきたか」で出来上がっていくものなんじゃないかな、と思うんです。

もっと正確に言えば、「どんな選択をしてきたか」です。
生まれてから、無数の選択をし続けて、我々は生きていますよね。

レストランでメニューを選ぶのもそうだし、どの道を通るか、も選んでいる。
学校、仕事、友達、恋愛。
それこそ、右足の次は仕方なく左足を出して歩いているけれど、最初の一歩は、実は毎回選んでやっている。

その名も「セレクトショップ」で洋服服を選ぶのは「選ぶ」と意識してやってますよね。
そこには「このアイテムで、あんな気分になりそう」「こう思われそう」なんていう思惑が楽しさを呼んで渦巻いて、「選ぶ楽しみ」を感じさせてくれる。

その選択は、周囲からの「あんな色のあんなデザインの服、平気で冬に着るなんてアタマおかしいんじゃねえの?」という評価を得ることにつながる。悪い例だと、ですけど。

無意識なものも、生きてると増えていって、先ほどの「最初の一歩」もそうだし、「ムカつく」とか「言い返す」とか、自然に選択して、当たり前みたいに繰り返している。

「反復する選択」で、「私はこうする」と思い込んでいるんです。

そう、「選択が、性格を作った」と、言えると思います。

 

性格の変え方

では、性格は、どうやって変えることができるんでしょう?

はい、その通り。

「選択を変えればいい」んです。

もちろん、「自分のこの性格、好きだわ〜」と惚れ込んでいる人は、それでいいですよ。

だけど既に書きましたけど、性格だと思い込んでいるがゆえに、行動につながって、それが評価に及ぶんですよ、人間の社会では。

だから評価が悪いとか、嫌な目にあってしまうことを「性格のせい」にしてしまう傾向がある。
性格が「絶対に変えられないもの」だと思い込んでしまうと、もうこれは「人のせい」「親のせい」にしてるのと同じですからね。

性格は、変えられる。とまずは思いましょう。

性格が「過去の無数の選択のせい」だとすると、無意識にしてしまう選択(それは生物的に正しいものも多く含む)以外の、変えられる選択を、意識的に変化させていく。

そうすることで、行動じたいが変わることで、性格だと思い込んでいた部分が、じょじょに変わっていく。

行動が変わって、それが習慣になると、性格は必然的に変わります。
これは必然です。
だって今の性格は、選択の連続で、習慣作られて来たものなのだから。

たとえばまったく職種を変えて順応したのに、性格がただの1ミリも変わらないなんて考えにくい。
よく、鬱々とした気分になったら筋トレしろ、なんて言うじゃないですか。
あれ、脳内物質の問題と相まって、「筋トレをするようなヤツが、鬱々とはしてないだろう?」という、逆説的な証明になってると思うんですよね。

つまり「する」ことが大事、という。

おそらく、「性格」というのは、もっと深い、奥底にある、実は絶対に人間には変えられない、生物学的、遺伝的な部分のことだけを言うんじゃないでしょうか。

単なる人間である我々がそこにまで手を入れて変革させたい、と画策し、思い患(わずら)うことは時間の無駄なので(寿命的に間に合わない)、まずは普通に我々が使いがちな「性格」は、ただの「傾向」にすぎないのだという認識を、持っておきたいところです。

 

とりあえず筋トレしろってこと?か?

すでにしてる人は筋トレやめて(やめなくていいけど)、絵画とか俳句とか数独とか、始めろってこと?色々やってる人が複雑(そうに見える)な性格だっていうのは、そういうところですよね。

趣味の多様性、他者理解のバリエーションは、自分の性格(つまり行動)の幅を広げることにもなりえる。

書いてて思ったけど、何か始めようと思った。
常に、何かを。
嫌ならすぐやめればいいし、また違うことやればいいし。

自分の性格を(つまり行動を)、仕事のせいとか、環境のせいとか生まれのせいとか親のせいとか地域のせいとか国にせいとか、にしたくないですもんね。

それこそが「不幸の正体」ですよ。

 

 

 

そんなに、俺が悪いのか??

 

 

 







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