選挙のたびに…
選挙のたびに「白票でもいいから投票に行こう!」と促すフレーズが正義の一つのように流布し、その根拠として、主に若い年齢層による「誰に入れたらいいかわからない」「入れたいと思う人がいない」という嘆息がセットで語られる。
選挙における白票は、抗議の意思を示すエネルギーとなり得るかどうか??
白票は、「無効票」として扱われる。
投票率にはカウントされるものの、「公職の候補者の何人を記載したかを確認し難いもの(小選挙区)」「衆議院名簿届出政党等のいずれを記載したかを確認し難いもの(比例代表)」と、公職選挙法第68条で規定されている。
投票率が下がるよりはマシ、という観点から「白票でもいいので投票という行為で意思を示そう」というのが、冒頭のフレーズの意味だろう。
しかし、繰り返しになるが白票は「無効票」なのだ。
なぜ無効票を投じることが、意思を示したことになる、と考えてしまうのか。
それは、
「誰に入れたらいいかわからない」
「入れたいと思う人がいない」
という、冒頭に挙げた理由による。
では、なぜ「誰に入れたらいいかわからない」のか。
なぜ「入れたいと思う人がいない」のか。
答えはかんたんである。
そもそも、
「選挙とは、この人なら!と、絶対に入れたいと思う候補者がいるのが当たり前のもの」という勘違いをしているからである。
縁故や互助、人柄、または容貌・言動など、「この人なら!」と思える候補者がいるという属性の方が普通ではない、ということを忘れている。
「無党派層」や「浮動票」などと、なんだか信念のない、ふわふわした思考しかしていない大多数の烏合の衆、みたいな言われ方をしているような気がするが、「○○党です!ここしかない!」とか「○○さんなら大丈夫!任せられる!」などと、全人格・全人生・全業務に対して全幅の信頼を寄せるなどは、ほどんど宗教がかった固執と言えてしまう。
そんなものは、ない方が「普通」なのだ。
応援したくなる気持ちはあろうが、行政は時代の要請などもあって是々非々であるし、属人性が強いとは言え「ちゃんとさえしてくれれば誰でも良い」のが本来の目指すべき姿のはずだ(だから任期があって、選挙がある)。
凄まじい党派性で掲げて「この人・この党こそ至高!ほかはゴミ!」などと言えてしまうことは、一般の有権者とはそもそも乖離した、「トガッた連中だけが身内で盛り上がってる、活動家じみた所業」なのだ。
なので、
「誰に入れたらいいかわからない」
「入れたいと思う人がいない」
というのは、「当たり前」なのである。
そして、ここからが有権者としてツラく、しんどい部分である。
「誰に入れたらいいかわからない」
「入れたいと思う人がいない」
から白票を投じよう、などというのは、上に書いた「凄まじい党派性」で宗教じみた先鋭化を遂げる自称・社会派善人サークルのような人たちに、すべてを預けます好きなようにしてください!と無条件に権利を捧げるに等しい。
有権者は、クソしかいない候補者の中から、「涙を飲んで、少しでもマシだと思えるクソを選ぶしかない」のである。
党派性の強い人たちが言うのは「この党・この人は素晴らしい!あとはクソ!」だが、事実は違う。
みんな、クソなのだ。
そのクソの中から一番マシなクソを、選ぶしかない。
苦渋の決断である。
それが選挙なのだ。
多くの人がAKBやスイーツの総選挙に慣れ過ぎたのか、「どれを選んでも1位は最高〜他のも実は1位同等〜みんな素敵〜」だと思い込んでしまっている。
違うのだ。
「どれを選んでもクソ〜他のも実はクソ同等〜みんなクソ〜」なのが本質である。
ということは、白票を投じることは「より、党派性だけが強いクソが我が物顔で当選してしまう」ことを助長するという意味になる。
白票がダメなのは、「誰も血の涙を流さず選んでいないくせに、一人前に抗議の意思は示したような気分になれる」ところだ。
これを促している奴らは暗に「お前らは白票でいいよ!わしらが思うようにやるから!わしらはちゃんと名前書くから!黙って俯いてついて来て!」と言っているのである。
白票を促しているジャーナリストや政治学者も、党派性に狂って勘違いしている可能性がある。
候補者の名前書かない「白票」、政治の不満を伝える手段? 「刃」としては力不足の指摘も
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a0287b1578f185aa7d63edc3b8e5e8de2a9d87f
たとえ考えてみたって、自分の住んでいる地域の選挙で、誰に入れたら良いかなど、即断できるわけがない。
しがらみや思想の偏りがある連中は、考えない。
そもそもしがらみがあるから、そもそも思想に偏りがあるから、考える必要がないのだ。
党名・候補者名だけで即断即決、ロボットのように自動的に投票ができる。
無党派層・浮動票と言われる人らは(昔はノンポリと呼ばれていたらしい)、選べない。
選べるわけがないところから、選ばなければならない。
一人を選ぶために、それなりに情報を収集する必要があるだろう。
誰かと、考え方について討論する必要も、あるかも知れない。
その上でたった一人、自分の責任として投票をしなければならない。
それらを放棄し、甘い言葉に誘われて「ただの無効票」を投じて何か良いことをした気分になっているというのは、権利を行使しながら権利を放棄しているに等しい。
…というよりも、小賢(こざか)しくニヒルを気取りながら下半身むき出しで原宿を歩いているような、間抜けでアホンダラなズレたチンピラ行為なのである。