自論構築過程

どうして?にも種類があるよねという話

投稿日:2023年5月12日 更新日:

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先日、こういう疑問を呈している方がいらした。

コレについて、「教えたい勢」の人たちがいっせいにグワっと群がり、

「完全変態」と「不完全変態」の違いですね

と言った意味の「説教じみた」ものが連なることになった。

確かに、小学生くらいの時に習った気がする。
いったん、体のドロドロに溶かし、サナギになって完全に「形」を「化」させる。
だから「変態」。
幼虫と成虫では、まったく形が違ってしまう。
本虫も、驚いているだろうな。

それとも記憶は無くなるのだろうか。

…脱線する。

じゃあ、いわゆる「何よこのヘンタイ!」っていう「変態」は、どこから来たんだろう。
「HENTAI」は日本初の語句で、変わった性癖(倒錯した性欲)に使われる言葉として海外で使われているらしい。

「ヘンタイ」が「だいぶ変わってる」と理由で使われ出したとしたら、そんなに適切ではない用法だなと思えてしまう。形態が変化してしまうという動物の性能を模しているのではなく、「変わる」ということから「変わってる、変だ」という風に意味をネジッって利用しただけ、っていう感じがする。

幼少期から成年期への成長と変化、そして性欲の昂奮(増大)がもしかしたらかかっているのかも知れない。

…脱線終わり。

疑問を呈した人は「なんで?カマキリは子どもの頃から大人と同じ形なのに?」という問いを持った。

その答えとして「完全変態と不完全変態があり、不完全変態の昆虫は幼虫と成虫が同じ姿です」は、とうてい納得できるものではない。

そう、疑問を呈した人は、そんなことを聞いているのではないのだ。

どうして、「完全変態」と、蛹(サナギ)のない「不完全変態」があるの?

という問いは当然だと思う。

それの答えとしては「チョウなど、蛹(サナギ)になる種類というのはそういう風に進化した種で、蛹(サナギ)を経る進化をしなかった奴らがそのまま存続してるのがカマキリ。なぜ幼虫から蛹(サナギ)になって形を変えるかというと、幼虫と成虫で同じものを食べることになって同種で餌の取りあいになることを防ぐため。その方が有利だったため。」というのが妥当なところらしい。

あるとき昆虫の一部にだけ、一度だけその進化のチャンスが訪れ、それに乗った種だけが「完全変態」を獲得したそうだ。

そうでない昆虫たちは、なんとかそれらと棲み分けて生きている。

で、ここからが難問だ。

「どうしてそんなことをする必要があるの?」という問いには「同じものを食べることになって取りあいがウンヌン」とか「進化の過程でその適性を持ったものが生き残ったウンヌン」ということで説明できるし、それが研究でわかってきていることは素晴らしいと思う。今後も楽しみだ。

だけど、なぜそうなったの?なんでそんなことをする?

という問いには、答えようがない。

 

「私」で考えてみると、そのわかりにくさがわかりやすい。

どうして私は生まれてきたの?
あなたのお父さんとお母さんがウンウン
どうやって私は生まれてきたの?
精子と卵子が稀なる確率でウンウン
私はどうやって生まれたの?
市民病院で産科の先生が10時41分にウンウン

…といくらウンウンうなずいてみても、こんなのは納得できる答えではない。

なぜ自分は生まれてきたの?
Why?
という問いに、
「どうやって(How)」で答えを与えても、
満足できるわけがないからだ。

どうして?
どうしてそうなってるの?
どうしてそうなの?
どうしてそうではない方ではなく、そうなったの?

という答えは、誰も持っていない。

 

最新の科学と、最高の知見を持ってしても「まぁそうだろうなぁということが言える」というところまでしか近づけない。

どうしてここに本棚を置いたの?

ならば

「この角度だと、外からの日差しが直接当たらず、蔵書が日焼けしないから」

と明確に納得できる答えを言える。

どうして蔵書が日焼けしてはいけないの?

という問いには

「大切に保管しているものだから」と答えられる。

どうして大切に保管しているものが、日焼けしてはいけないの?

と問われたら

「大事にしているものが壊れたり悪くなったりしたら嫌だから。」

と答える。

どうして嫌だったらダメなの?

と問われるころから、だんだん答えは怪しくなってくる。

「嫌だったらダメなんだよ。嫌だと思うことは避けるべきだし、みんなそうしてる。
嫌なことにならないように努力するべきなんだ。」

努力しなかったらダメなの?

「努力しないと、欲しい結果が得られない可能性が高まる。自分の要望を叶えるために、人は努力をするんだ」

努力をしないと人ではないの?

「そんなことはない。したくても努力ができないという人もいるだろう。だけど、誰かのたゆまぬ努力によって、世の中は成り立ってるんだ。」

どうして世の中が成り立たないといけないの?

「まともに成り立たないと、幸せになれないじゃないか。不幸が増える。めちゃくちゃになってしまった世の中では、生きていけない。」

どうして生きていかなきゃならないの?

「生きていかなきゃならないかどうか、になんて理由はない。生まれたから生きていかなきゃならないんだ。」

どうして生きていかなきゃならないの?

「理由なんてないんだ。」

どうして理由がないのに生きていかなきゃならないの?

「……。」

 

もう、答える気がしない。

 

普通はここまでの問答をすることはないので、途中でなんとなく理解してる感じで双方、納得したような感じになっている。

が、「どうして?」には突き詰めれば答えがどこにも存在しないものが、実はたくさんあるのだ。

どんな高名な先生でも、絶対に答えられない。
どんなに知識の多い人でも、概念的に上位になってくると、答えを持ち合わせない。
知識ではどうにもならないからだ。

そこで「神」や「霊」などの超常的な存在を持ち出して、その穴を埋めることになる。
「神が作った」と言えば人間にはその意図まで手出しすることができないからだ。

どうして神はそうしようと思ったの?

という問いの答えは、人間には理解できない(とされてしまう)。

宇宙のできたすべての行程は科学で説明できる日が来ても、「なぜ宇宙が生まれたか」の理由がわかる時はこない。

 

そうしてただ、「納得」だけをして人間は生きている。

答えのある「どうして」だけで生活はスムースにできるが、たまには答えが出なくなるまで「どうして?」と問い続け、抽象的なやりとりをしてみるのも、思索が深まるような気がして楽しいかも知れない。

 

 







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