思えばあれはまだ夏でした、この番組のアシスタントオーディションをする、との企画で、私が司会をさせていただくことになった夜でした。
集まる候補者4人。
中には堂々とした方もいましたが、どちらにしても彼女らにとってアウェイな環境、しかも「選ばれる」という特殊な状況で勝たねば、というプレッシャーがある。
どんなに小さな仕事の、たとえどんなにチンケな場所でも、やはり「その場に応じたプレッシャー」というのはあるものです。
逆に言えば「その場にアジャストした緊張を、人間は上手に作り出しうる」とも言える。
候補者を前に、カメラは回っていないところで彼女らに私が、別にえらそうにということもなく、自分がいつも「そうだなぁ」と思っている「緊張について」のことを話しました。
それを、「境界カメラ」のプロデューサー・有馬さんは横で聴いてくれてたみたいなのです。
上の忘年会生中継の中で、それを教えてくれました。
緊張する理由は、大きく二つある。
一つは、練習不足
一つは、自分じゃないものになろうとしている
これが、「緊張する原因」だと。
詳しく説明します。
一つは、練習不足
これは、当たり前すぎますよね。
練習が足りないことからくる不安。
そして、中身がよくわからないことからくる不安。
つまり「上手くできるだろうか」という不安。
これって、どんな分野にもあります。
スポーツでもあるだろうし、世界中の仕事全般にある。
「本番」が存在する以上、「練習」がそれを裏付けるための土台になる。
別の言い方をすれば、「練習不足」は永遠に解消されないんです。
よっしゃ!これで100%!なんて状態は、永久にこない。
「上手にできるかな…」の不安は、0%になる方がおかしい。
練習不足、稽古不足、これは常に、死ぬまで当たり前のことなので、できるだけ積むしかない。量を増やすしかない。
増やしても0%には絶対になりませんから、できるだけ稽古や情報収集をして、0%に近づけていくしかない。
「上手くできないかもしれない」の想像が、緊張を生みます。
緊張状態は「本番」が存在する以上、絶対に生成される。
仕方がない、とするしかないです。
練習してくるしかないから。
で、もう一個の方。
これが重要です。
一つは、「自分じゃないものになろうとしている」
これ、プロデューサーのKEN有馬氏は上手に言い換えてくれてました。
私の言い方だと「自意識過剰」ということになります。
「自分を、自分以上に見せようとしている」ということです。
なんだかこの本番で、自分の実力以上の大抜擢をされようとしている。
たとえば、他人のことを思えば理解できるでしょう。
芸能関係ではない人が、街でインタビューを受けている。
最近は普通に受け答えしている人も多いですが、妙に顔を赤らめて、緊張してインタビュアーのマイクを自分で握っちゃう人とか、見たことないですか?
または宴会とか集まりでも、乾杯の音頭でも、人前に出たらどうも堂々とできずに、はにかんだり言葉が出てこなかったり妙に顔を赤らめたりしている人。
悪いとかいいではないんです、
いやいや、何にせよ、「どうしたの?」って思いません?
何も貴方にいま、梅沢富美男さんみたいな堂々とした態度をとってほしいなんて誰も思ってないんですよ。
デヴィ夫人みたいにきっぱりと持論を展開してほしいなんて、誰も思ってないんです。
なんで「上手く話せなくて…」みたいに、なってるんです??
これは、自身が「上手く話せて、みんなを盛り上げて評価が高まる存在になりたい、なるべき」という、勝手な目標を自動設定してしまってて、そんなの急に上手くなんていくはずないので、上手くいかずにアタフタしている、という状態なんですね。
「あの人しゃべるの上手だ〜!と思われようとしてる」から、「う、上手くしゃべれるだろうか…!!」という緊張状態になるんです。
誰も、あなたがしゃべるの上手だ、なんて思ってないし、求めてないんです。
歌を歌う機会があったとしましょう。
「歌手のように、アーティストのように歌えるのが理想」、これはわかります。
でもそうなるにはそれなりの練習・稽古・研鑽・才能がいるわけですよね。
それらがまったくないのに「歌手のようだ〜!」とは、絶対になりません。
そんなのわかってるはず。
でも「人前で歌う以上、歌手のように上手く、アーティストのように評価されるべきだ」と、これも勝手な目標を自動設定してしまって、勝手に緊張状態に陥(おちい)ってるんです。
そんな期待、周りはぜんぜんしてませんから、そこにはギャップがある。
なんだか白けているように見えたりして、それは「素人なんだし、そんなもんですよね。え、なんでそんな赤い顔して声、うわずってるの?ははは」くらいに思ってる。
それを見てまた、勝手な設定をしてしまってる側は「ああ!上手くできてない!」と、緊張を高めてしまう。
結婚式のスピーチとか、無駄な緊張をしているおじさんをたくさん見ます。
誰もあなたに徳光和夫さんのような流麗な言葉の羅列なんか求めてないし、ディーンフジオカのように顔面をただただ見つめたい…と思わせる美貌も求めてない。
ビートたけしのように会場を爆笑に巻き込む内容なんかも求めてないし、そもそもあなたにそれができるなんてこれっぽっちも誰も思ってない。
でも、「今日、そうなりたい」と実力以上の評価をされようとしている。
つまり「自意識過剰」なんです。
自分が思うほど、あなたに誰も、そんな高度な期待はしてないから。
これが、「緊張の正体」です。
これがわかれば、「緊張しすぎない」方法はなんとかわかりそうですよね。
上にも書いたように、ある程度の緊張は永久になくなりません。
逆に、緊張がゼロになるというのは、あまり良くない。
「緊張」は「緊張感」の素材ではありますが、イコールではありません。
「緊張」をほどよく抑えて、「緊張感」を維持するのが最適解、だと思います。
緊張が大きくなりすぎると緊張感は逆に失われ、成功が遠のきます。
リラックスしすぎて緊張感がゼロになると、そのしわ寄せは失敗したときの対処の悪さとなって噴出します。
1、練習をじゅうぶんにすること。
2、実力以上の評価を受けようとしないこと。
特に2、ですね。
これを意識すると、けっこう気持ちは楽になります。
今日、大成功したからってそれだけで、トップスターとか社長とか総理大臣になれるわけではない。
自分の成功は自分レベルに合っているものであって、自分に対する他人の評価は、自分でするほど高くない。
ひとことで乱暴に言えば「そんなんどうでもええねん」になるんですが、練習や稽古をたくさんすれば勝手に上がっていくのがレベルというものですし、緊張する経験をすればするほど新たな緊張の場が目の前に現れてくるという法則も、あるような気がします。
大切なのは「緊張やプレッシャーは0%にはならない」ということと「だからこそ、それを楽しめ」ということだと思います。