大吉原展、という展示が東京藝術大学大学美術館で行われることになり、その声明文というか、基調文、そして展示内容について、随分とクレームがつけられている、というのを聞いた。
漫画家・瀧波ユカリさんも問題提起していた。
曰く、
「ここで女性たちが何をさせられていたかがこれでもかとぼやかされた序文と概要。遊園地みたい。」
「吉原遊廓の「当事者」の存在が消された文だと感じた。」
3月から東京藝術大学大学美術館で開催の大吉原展。
「他の遊廓とは一線を画す、公界としての格式と伝統を備えた場所」
「洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなし…」
ここで女性たちが何をさせられていたかがこれでもかとぼやかされた序文と概要。遊園地みたい。https://t.co/8CettMKZTl
— 瀧波ユカリ (@takinamiyukari) February 5, 2024
女性たちを商品とする性搾取・性売買によって大金が吉原に集まったからこそ「贅沢に非日常が演出され仕掛けられた虚構の世界」が築き上げられたという大前提が剥落し「女性」「遊女」「花魁」などの言葉もひとつもない。吉原遊廓の「当事者」の存在が消された文だと感じた。https://t.co/8PDfCCgNww pic.twitter.com/nplCn3461Y
— 瀧波ユカリ (@takinamiyukari) February 5, 2024
確かにオフィシャルサイトのトップに掲げられた文を読むと、吉原が「売春宿の集合体」であったことすら書かれていない。「そんなことは前提なので書く必要はない」ということなのか。
「江戸吉原」の約250年にわたる文化・芸術を美術を通して検証
仕掛けられた虚構の世界を約250件の作品で紹介する
約10万平方メートルもの広大な敷地に約250年もの長きに渡り続いた幕府公認の遊廓・江戸の吉原は、他の遊廓とは一線を画す、公界としての格式と伝統を備えた場所でした。武士であっても刀を預けるしきたりを持ち、洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなし、夜桜や俄など季節ごとに町をあげて催事を行いました。約250年続いた江戸吉原は、常に文化発信の中心地でもあったのです。3月にだけ桜を植えるなど、贅沢に非日常が演出され仕掛けられた虚構の世界だったからこそ、多くの江戸庶民に親しまれ、地方から江戸に来た人たちが吉原見物に訪れました。そうした吉原への期待と驚きは多くの浮世絵師たちによって描かれ、蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)らの出版人、文化人たちが吉原を舞台に活躍しました。
江戸の吉原遊廓は現代では存在せず、今後も出現することはありません。本展では、今や失われた吉原遊廓における江戸の文化と芸術について、ワズワース・アテネウム美術館や大英博物館からの里帰り作品を含む国内外の名品の数々で、歴史的に検証し、その全貌に迫ります。
確かに「江戸の吉原遊廓は現代では存在せず、今後も出現することはありません。」は、公的・合法な売春タウンであったことを言っている。現在、これが復活されることは無い。たとえ売春行為が一部合法化されるとしても、「我が街をそういう街にしよう!」ということにはならないだろう。
だけど現在の吉原も、全国各地に残る「遊郭だった街」も「ここはそういう街です」という体裁で営業を続けていることは厳然たる事実だ。
悪所
吉原は「悪所」と呼ばれた。
アクショ、またはワロドコロとも読む。
遊郭街(遊里)や、芝居町をさしてそう言った。
あんなところは悪い所だ、と言いながら惹かれる、歓楽街というのは古今東西、そういうものだろう。人が集まり、金が集まり、欲望が渦巻き、犯罪も潜む。怖いことに巻き込まれるのはそんなところへ足繁く出向く方が悪い。
だけど一攫千金であったり自己承認欲求であったりで、人の出入りが絶えない。
「悪所」という言葉には、利用者への皮肉と、通底する犯罪や病気への警告が、「必要悪」のニュアンスを込めてひっそりと横たわっている。
吉原という遊里は、元は日本橋葺屋町にあったが、金龍山・浅草寺、浅草の観音様から北にあたる位置に、場所替えを命じられた。移転以降は「新吉原」とも呼ばれた。
葦(あし)の生い茂る原っぱだったが、葦は「ヨシ」とも読むので葦原(あしはら)ではなく「よしわ(は)ら」と呼ばれた。
良い字を当てる風習から、ヨシを「吉」と書くこととなり「吉原」に落ち着いた。
文字通り「吉字を当てる」というやつで、「北」を「喜多」と書いたりする。「ヒゲをあたる」という言い方もそうだ。ヒゲを「そる」は「する」に通じるので金を失うことにつながる。だからわざと逆のことを言うのだ。
「スルメ」のことを「あたりめ」と呼ぶのも同じ理由だ。梨を「有りの実」と言い換えたりもする。博打うちの縁起担ぎのシャレから来ているという説もある。
葦原の葦は「悪(あ)し」なので、「善(よ)し=吉」にしてしまうという工夫。
そして江戸市中から向かう際、吉原へ行くことについて「観音様へ行く」が符牒として通用したというのもうなづける。「観音様へ行く」は嘘ではないのだ…。
大昔から、日本人はこんなことばかりしている。
それにしてもなぜ、これら芸能・性産業がまとめた場所が必要で、しかもそれを公儀(こうぎ・幕府)が許可を出す必要があったかというと、それはやはり疫病対策だろう。
放っておくと、市中すべての、宿屋のすべてで性的サービスが自由に奔放に行われ、もしかするとすべての飲食店の二階でそういう営業が流行し、もしかすると一般家庭の座敷での夜間営業が開始されてしまう。
それを放置して疫病が蔓延してしまうと、もう都市として取り返しがつかなくなる。
営業地をまとめて公的な許可を与えることで届出制にして管理をし、全体的な被害を最小限にとどめるというのは、今でも公衆衛生の一つとして使われる手段だ。
国が、禁止せずに管理することで営業形態が闇に潜り、さらなる犯罪の温床になるというのを防げる。これは、麻薬対策にも似ている。
公的な許可を得たところでしか買えない、ということにしておいた方が流通もはっきりし、無許可の業者は締め出され、購買記録も残るので、犯罪組織に金が流れにくくなるのだ(私は大麻合法化に賛成しているのではない)。
アメリカの禁酒法の制定、施行、改正、そして廃止に至る流れも、参考になるだろう。
江戸時代の性産業においてもそれ(禁止せずに管理する施策)が行われた。
放っておいても自然発生・成立してしまうのが性サービスというものなので、ある程度の管理下に置くことで犯罪と疫病を抑えることができた。
令和の時代になったとて東京・新宿などでは「立ちんぼ」が話題になっている。性的な商売は、発生理由は様々でも時代の中で勝手にどんどん出てくるんだよね、の良い証拠と言える(ホストが諸悪の根源であると思う)。
しかしそこは、現代とは人権意識のまったく違う時代なので、江戸の遊郭では女性の扱いにおいて、凄まじい自由の侵害があった。
明治時代になって、新政府によって「芸娼妓解放令」が出されたが、人身売買の現状は変わらなかったという。俗に「牛馬きりほどき令」とも言われる。
お店へ男たちを誘う客引きのことを「牛(ぎゅう)」と言い、支払いができなくて家まで着いてくる係のことを「馬(付き馬)」という。男性従業員は解放され職を失ってもどこかの下働きにでも出れば済むが、子供の頃から借金のカタに囚われているような状態の女性たちには、行くところがない。
「娼婦は解放せよ」と国から命令が出たとて、売春そのものが禁止されたわけではなく、すべての娼妓に行き場所が用意されるわけでもなく、ただその辺で自由な遊女になるか、どこかの座敷で「なぜか恋愛関係になって行為に及ぶ」という形態の商売をするしかなかった。
けっきょく、梅毒その他の性病に罹患し、ろくな治療もないまま死んでいくしかない。
お店で「価値なし」と判断された女郎は、どんどん格下の店に転売され、最後は筵(むしろ)をかぶって河原の掘立て小屋で客を引くしかなくなった。最期は悲惨で哀れである。
「最高級の花魁(おいらん)は当代きっての教養人であり文化人であり、大名すら機嫌を取らないと相手もしてもらえないというほど気位が高く、上質な品格を備えていた」というのは吉原を初め、大型の遊郭について語られる時、必ずセットで説明される部分だ。
確かにそうらしい。
映画やドラマで再現される花魁がこれだ。
外国人が喜んでコスプレするのもこれだ。
かなりのしきたりを経て、相当の金銭を積まないと同衾することなどまず叶わないまさに高嶺の花だったようだ。美しさとプライド、そして女性としての強さを兼ね備えた、江戸文化の華。
そう、これほどまでに、遊郭全体が持つ「闇の部分」を覆い隠す、コマーシャルな存在もないだろう。
花魁がその存在を誇示するがために、何千・何万という女性たちが「遊び」の名の下に虐げられ、自由を奪われ、将来を塞がれて生きていたのか。そして命を粗末に扱われてきたのか。
…とは言え市井の女性たちは、「そんなものだ」という諦めと常識と社会通念から、「苦界」と呼ばれた業界が「あって当たり前」の世界で生きていたとも言える。
廓、からは逃げられぬ
言われてみれば落語に現れる「廓噺(くるわばなし)」は、おもしろおかしく知識として役立つものが多いが、すべて「男性目線」でしか語られていない。貴重な、江戸時代の文化を伝えるものであると同時に、確かに女性の扱いにおいては「そんなものだ」という感じでしかない。
『錦の袈裟』という噺には、自分の亭主が「なか」へ遊びに行くというのを、女房が快く許している場面が出てくる。『三軒長屋』という噺においても、今回の亭主の寄り合いは「なか」じゃあないらしいんだが、と女房が説明する場面が出てくる。歓楽街と考えれば、「なか」には大きな料理屋もあっただろうし集会場・パーティ会場としてのお店もあっただろう。
しかしわざわざ「なか」へ行くのだから「性サービスとセット」であることは前提と、誰でも考える。
内心はどうあれ「なか(吉原のこと)」へ男たちが行くのはもう、「そんなものだ」という感じで許容されていた様子がうかがえる。もちろん、金もないのに借金してまで行くことを、女房が許したとまでは思えないが。
廓は「曲輪」とも書かれる言葉だ。
城郭の「廓」でもある。
周りをぐるりと区切ったスペースのことを指す。
お城なら、土塁であったり堀であったり石垣で、防御のために周囲を囲ったことはわかる。
では遊郭はどうだろう。
周りにぐるり、張り巡らされた囲いは、何のためにあったのか。
吉原は周囲をすべて、高い塀で囲まれており、さらにその外側に、幅5mを超える堀があったという。よほど、誰かの助力がなければ女性一人でこれを超えて逃げることなど不可能だ。さらに田んぼの真ん中のようなところにあるので、走ったとて、どこまで行けるやら。
遊び場とはいえ、逃げ出したい女性にとってはまるでアルカトラズ刑務所のようなものだ。働く女性は、気丈にここが生きる場所だと諦めるしかなかった。たまに酔狂なお金持ちが「お前を見受けしてやろう」と大金をはたいて抜けさせてくれることがあるが、女郎しかやってこなかった女性がそんなにすぐに、大金持ちの旦那の女房としてテキパキ働けるわけがない。それをして「手に取るなやはり野に置け蓮華草」などと言われてしまうのだからなんとも腹立たしい。
正式な女房のいる旦那は、まず女郎を足抜けさせて、どこかで一人で生活させておく。女中の一人くらいはつけておくのだろう。お妾(めかけ)というやつだ。美人だからこそ「二号さん」になれるば、しょせん、正妻になれる立場ではない。
または大きなお店の番頭が、独身の時にそれをやり、自分が暖簾分けをしてもらって独立するときに正妻として迎える、ということをやる。
大金持ちはそれでいいが、一般の客はひとときの快楽の相手として、女郎を使った。
『五人廻し』
関東の風習であり、関西にはなかった、という説明がされる。
関西では一晩、女郎がついたら朝まで同衾するが、関東では「安価なコース」ということで一人の女郎が、数人の客を巡回するという「廻し」という営業形態があったのだ。
『五人廻し』は明治に入ってから作られた噺のようだ。
三人目の客の、帝国軍人かのような漢語混じりの様子から、身分やプライドの高さと関係なく安く性的欲求を解消させようと画策する男たちの、情けなさが表現されている。
僕の部屋がかく一目瞭然たることは明らかである
見るが如く、シリンチンチン閨中寂寞(けいちゅうせきばく)、
人跡(じんせき)絶えて音さらに無しという
この陰鬱(いんうつ)たる部屋に引き換え
向こう座敷はまた何事である
彼は娼妓(しょうぎ)の待遇によって
喜悦の舞を開いて胸襟を開き、狂喜乱舞、
喋喋喃喃(ちょうちょうなんなん)と語らいつつある。
いかにこれエンセンの極みではないか…!
しかもこの語り口調の「妙な訛り方」から勘ぐれば、薩長土肥の、いわゆる驕った新政府の下級役人どもへの、市民の皮肉も含まれているような気さえする。
『五人廻し』は、たくさんの男たちが女郎に手玉に取られる様子を描写している。
が、そこは何度も書いているように廓噺のすべてが「そんなものだ」という大前提の上に成り立っているのであり、たまに「こんな泥水の沁み込んだ体」と自虐する花魁のセリフが出てくる噺もある(『近江八景』)が、基本的には市井の男たちが「内情は知らんし知らぬふりもしたいけど、まぁそんなものだと感じているだけの異界」という扱いである。無責任と言えばこれほど無責任なことはない。「処遇を改善すべきだー!」などという社会運動はない。
そんな中、『文七元結』は異質な筋立てだと言えるだろう。
博打に明け暮れる左官屋・長兵衛(ちょうべえ)の娘でお久(ひさ)が、反省しない父親を見かねて「角海老」の女将に相談する。左官屋として出入りしていた頃に、子供ながらに顔見知りになり、そこを頼ろうと子供ながらに思いついたのだ。
「角海老」と言えば吉原の中でも、トップの格式を誇る女郎屋である。
明治になっても総理大臣らが遊びに行くことで有名だった。
その女将がどれくらいの富と権力を吉原で持っていたかは想像に難くない。
長兵衛に50両という金を貸し、立ち直れと言う女将。
もし約束した期日までにその金を返さないと「お久ちゃんに客を取らすよ」と明言する。
この女将は本当にやる。そう思わせる迫力がある。
なぜならそれで商売し、吉原で君臨している店なのだから。
期日までは、針・三味線、女一通りのことは仕込んであげます、と。
だけど、約束を守らないなら鬼になるよ、と平然と言い放つ。
困窮した親に、金で売られた娘がたくさんいるという現実を、売る側の女将はよく知っているし、それが「そんなものだ」という常識になっている以上、長兵衛には突然、スーパーリアルな自分ごととしてのしかかってきた。
そういう世界観なのである。
花魁の道中などの、派手でかっこいい女性のスタイルや文化的な繚乱具合をありがたがるだけでは、この裏寂しい、物悲しい怖さは伝わってこない。コスプレを楽しみ、豪華絢爛な建物や修飾された調度品を愛でるだけれは、この苦しみに満ちた、閉じた人生の薄暗さは伝わってこない。
件の展示への不快感の表明や主張は、「そこをセットにしないと派手さや美しさの本質が伝わらないのではないか?」という警告にも聞こえる。
「鬼滅の刃 遊郭編」も、その辺りの悲しみ(底辺の人間だからこその反転)が実は重苦しいテーマとして隠されている気がする。アニメを見て小さな女の子が「私も花魁になりたい!」と言い出さなければ正解だ、というような。
高潔で無知な現代の女性たちが主張するような「性産業がいっさい存在しない世界」など、この地球には作ることは出来ない。
また、不潔で無知な現代の男性たちが主張するような「誰とでも簡単に性交渉ができる世界」など、この世には存在し得ない。
この両方が存在し得ないからこそ、遊郭・悪所はある。
絶対に無くならない。