昔からよく言われるのは「なんでも脳みそを通過せずに口に出すな。気をつけろ。」ですよね。
よく考えずに言葉にすると相手を傷つけるし、「災いの元」になると。
確かにそうです。
そう思います。
とにかく、脳を働かせないまま口だけでしゃべっているおばさんとか、よくいますよね。
逆に器用だなと。
ああ、おばさんに限らないですね、酒飲んでるおっさんとかもそうです。
稀に、天が無駄に与えた才能というか、そんな仕事でもないだろうにパヴァロッティみたいに響く声を持ってるおっさんがいて、確かに仲間内のテーブルでもよく聞こえてわかりやすいんだろうけど周りはそのテーブルの盛り上がりが聞こえても1ミリも面白くないですから、ただ、ものすごい声量がドンドン腹に響くだけ、っていう。不快な声量。
「ドしゃべり」という言葉があったりします。
口数は多いんだけど、言葉が足りない人たち。
「全部言わないと気が済まない」というか毎回「!」とか「。」まで言葉にしているような人たち。
一緒にいると楽しい、というか、こういう人らって「楽しい」の幅が狭いんだろうな、と思ったりすることもあります。
わ〜っと興奮する、高揚することしか「楽しい」と感じないのかな、と心配になったり。
いえ、悪いわけではないと思います、「楽しいでしょ!ほら!高揚するでしょ!」と仕掛けられたもの、アトラクションとかテーマパークにはそういう反応を示し「悲しいでしょ!ほら!涙そうそう!」と仕掛けられたもの、映画とかエセチャリティとかにはそういう反応を示し、とにかく「感情優先」モード(固定)で生きている人たち。
何度も言いますが、悪いわけではないですよね。
それが悪いことだなんてちっとも思ってません。
それは層。
それは属性。
そうでない属性の人たちが、なんだか上手く、そうでない方へ誘導してくれることを願うばかりです。
さて、前置きが長くなりましたが、ここまでとは逆のことを言います。
何も考えずに口に出せ。
最近、すごく感心したことがありまして。
話題の番組「こんな時間に世界征服」。
違った、
陸海空 こんな時間に地球征服するなんて
http://www.tv-asahi.co.jp/chikyu_seifuku/
でした。
この番組内に「豪華客船アース」というコーナーがあって、REINAさんという人が出てるんですね。
「元CIA内定者」というパワーワードを肩書き(?)に持つ、ハーバード大学院卒の才媛だそうですが、この方が、欧米の富豪が乗り込んでいる豪華客船の、全タイプの部屋に招かれるべく知り合いになっていく、という。
え、ああ、ナベプロ所属の人なんですね。
巨大マンション x 3みたいな規模の客船は、それこそ「タイタニック」ではないけれど、中には交流するのは不可能なほどの格差が実はあって、でもほぼ最低ランクであっても1航海240万円くらいはするそうですから、乗っている人らはそれだけで基本的にお金もち。
多くのイベントが開催されていて、でもそもそも、その中でも最上ランクの人らには、なかなか会えない。
あの豪華かつ荘厳たる船の中に、2部屋しかないスイートルーム(やっぱり左右対称にあったりする)に泊まっている人は、あんまり外には出てこないっぽい。
だって、部屋が、ロビーとかより豪華だったりするんだから。
バルコニーも広大だろうし、イベントスペースへ行く必要を感じないかもしれない。
一般的な娯楽には高揚よりも疲労を感じる属性の人らかもしれない。
想像するしかないけど。
単なる富豪を装ったVIPかもしれないし、何か重大な決定事項をバカンスを装ってやっているのかもしれないし、テレビとかに映ると各国の大統領がソファから背中を離して「え!?おおッ!?」と瞠目する、そんなレベルの人が乗っているのかもしれない。
いえ、言いたいのは「大富豪のメソッド」ではなくて、この、REINAさんという方なんです。
すごいコミニュケーション力というか、日本人離れしているというか。
近くに、こんな人はそうそういない。
この方が、何かイベントやってたり催しものをやってたりすると「うわ〜楽しそう〜!」って、『まず』言うんです。
口に出すんです。
「すごい!」とか「楽しい!」っていう言葉を。『まず』最初に。
これは、先に挙げた、とにかく目の前に現れたものに飛びついて感情だけで反応している人たち、とは、どうも違うように見えるんです。
どういうことかというと、この方にとって「結果は決まってる」んです。
つまり「この場所では、良い関係性を築くために、雰囲気が良くなることが目的」だと。
そのためには、「すごい!」「楽しい!」しかない。
上に挙げた「反射してるだけ層」の人たちは、途中でつまらないと思ったら露骨に反応しますから、違うんです。
いるでしょう?ご馳走してもらってるのに、「まぁまぁ」とか平然と言う人。
自分の中のチンケな基準とその時の感情を最優先にする人。
まず、「すごい!」「楽しい!」って、口にする。
その内容は、そこから考える、んです。
最初に・大まかな・全体の・でも大筋では間違いない感想を、タイトルとして口にする。
「大運動会!!」って、言うんです。
玉入れとか、綱引きとか、種目(プログラム)は、後から考える感じ。
これって、実はなかなかできないことだなぁ〜と思います。
普段、やはり我々は「価値判断をする主体」として暮らしていたりしますから、同じ、お蕎麦やスイーツを食べたとしても「あそこの店の方が美味しい」だの「ここのは○○をあんまり使ってないからイマイチ」だの、妙に評価に差をつけたがったり、ランキングをしたがったりしてしまうんですよね。
そんなの、「今日の体調」とか「自分の口に合わない」とか、いろんな要素で変化したりするものですから、まったく動じない一定の、確固たる基準があるかのようにえらそうに評価するのは、大いなる間違いなんです。
だから、まずは、揺るぎない評価である、「美味しい!」と、何より先に、言えなければならない。
どこに書いてあったんですが、「人の子供の写真を見て、まず第一声に“かわいい〜”と言えなければ、自分はクズだと思った方がいい」。
これ、ほんとその通りです。
「いや、可愛くない」「CMに出てるような子ほど、可愛くない」とか、そんな小さな、てめーの中でしか通用しないような基準なんか、どうでもいいんです。
絶対的な答えは、やっぱり最初からあるんです。
もしかすると「愛想だ」「媚びだ」と言われてしまうことかもしれません。
でもこれは、「コミニュケーションの最短路」でもあるし「具体的な考察を加える上での、最短路」でもあると言えるでしょう。
赤ちゃんは、もう、そこにいるんです。
その子を育てる、という路線も、変えられるわけがない。
上に挙げた、REINAさんが接していた各種の催し事も、すでにその場で「盛り上がっているイベント」として成立しているので、後から来た人間が「このイベントはちょっとね…」「前に見たあのイベントの方が…」なんて、難癖つける余地はないんです。
その場で即席評論家となって「もっとこうすれば…」なんていう人間は、要らないんです。
先に、ポジティブな評価を、言葉として発射しておく。
肯定的な評価を、先に大きくしておく。
最初から、認めてくれようとする人間は受け入れられやすい。
ただ、それだけのことですよね。
「私は正しい指摘ができる」ヅラした無能は、要らないんですよ。
そういう感動が、あの番組にはありました。