涙の数
涙の数だけ強くなったりはしない。今泣いている人を慰めるには良い言葉だが、涙の数で強さが増していくのであれば、強くなるためには涙が必要だということになり、さらに強くなった上で涙が出る理由として新たな困難や苦衷に出会わなければならないということになる。涙が出なくなった頂きに昇ることはほぼ不可能だ。なぜなら「涙の数だけ強くなれる」からである。頂きだと思った場所でさらに新たな恐怖や辛苦を浴びて涙を流せば、前人未到の強さを手に入れることが出来る。そう考えると「最弱すなわち最強」ということになり、脆弱であればあるほど打撃力が増すということになってしまう。実際には「涙を流さないようにするための工夫をすればするほど強くなる」というところではないだろうか。
カウントのダウン
1年のうち、秒針に合わせて数えることなどほぼないのに最後の10秒だけ大声で数える。たぶん自分一人ならそれをすることはないが、群集心理で盛り上がる。なぜ盛り上がるかというと、その先に「革(あらたま)った」ような感覚が沸き起こってくるからだ。1年間は3153万6000秒なので、新年になった瞬間からカウントアップしていけば次の瞬間にはまた新年になる。カウントアップの最終段階(1秒間の間に3153万5999、と発声できるかどうかは別にして)には感無量だろう。だがやはり、やるなら半年の時点でカウントダウンに切り替えた方が良さそうな気もする。
未来の心配
未来は、わからないようになっている。予測とそれに応じた行動は取れるが、過去の段階で未来がその通りになるかどうかはわからない。未来が人間に見えることはない。なぜなら、未来を形作るには現在からのすべての要素が関わってくるからだ。すべてというのは「自分の人生なら自分のすべて」という意味ではない。自分を含めたすべての要素だ。すべての要素が、時間の進行によってうねりながら関わってくるので、それらをすべて盛り込んで予測することは出来ない。出来ないので、暗闇を覗くように不安になってくる。人間は未来について自動的に不安になるようになっているのである。なので未来・将来について不安を覚えたら「これはそういう感情、というだけ」と、素早く切り捨てて「今日やるべきこと」を考えるのが正しい。
鎌倉殿の13人
2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が終わった。歴史ドラマとしては地味な主人公だと言われていたが、史学的には重要人物だった北条ヨシトキ。江戸時代に比べても史料は少なく、ドラマとしてはその間隙を「登場人物らの感情の動きで埋める」という楽しさがあった。そこには、我々が勝手に思い込んでいる「人間なんていつの時代も同じものよ」という先入観が自動的に利用されている。800年を隔てた人たちと、同じ土地に住んでいるとは言え同じ感覚が備わっているというのは現代人のエゴである。共通する部分も皆無ではないだろうが、たとえば「人権意識」というものの現代と鎌倉時代との乖離は、想像力だけでは埋めることの出来ない差異があるだろう。いつの日かまた平安末期から鎌倉時代の源平騒乱が大河ドラマで取り上げられるかも知れないが、その時は小栗旬氏が平清盛をやるのだろうか。