鎌倉殿の13人

鎌倉殿の13人 第26回『悲しむ前に』

投稿日:2022年7月4日 更新日:

武家の棟梁の落馬。

頼朝の命と共に、

鎌倉殿の権威が

消え去ろうとしている。

主人を振り捨て、

鎌倉が暴れ始める。

鎌倉殿の急死。

源頼朝(みなもとのよりとも・大泉洋)が落馬し、年を越して亡くなってしまいました。

もうだめだとなった時、北条ヨシトキ(小栗旬)から容態について知らされたのは梶原景時(かじわらのかげとき・中村獅童)、そして畠山重忠(はたけやまのしげただ・中川大志)の2人でしたね。

この両名、もちろん幕府の重鎮ということではあるものの、源頼朝がいなくなることで最大の余波を喰らうことになる筆頭、と言ってもいい2人でもあるんですね。そして「鎌倉殿の死後、悲惨なことが起こる」を明確にイメージできる明晰さを持っている。

特に梶原景時にはもう、残り1年しかない。

それにしても鎌倉殿の病床を囲む身内の中に、なぜ源頼家(みなもとのよりいえ・金子大地)がいないのか…鷹狩りに行っていた感じでしたが、ドラマにおけるこの「肝心な時にいない」描写は、彼が「愚君である」ことの暗示なのか。それとも「そういう悲運をずっと背負う人」であるという演出なのか。

 

北条vs比企

北条氏 vs 比企氏という構図で跡目争いが勃発するのは必定、という状況が露顕してまいりました。

北条時政(ほうじょうときまさ・坂東彌十郎)は、源頼朝の弟である阿野全成(あのぜんじょう・にいろしんや)に二代目の打診をしました。「鎌倉殿」は源氏であることが条件ですから、彼に資格はある。

でも源頼家はもう18歳になっているので「若君は幼年であるがゆえに中継ぎとして」というのは通用しないはずです。だから「阿野全成路線」は、そもそも無理筋。無理は承知で、外祖父として無理を通そうとしている。

そう言えば食えぬ男・三浦義村(みうらよしむら・山本耕史)はいまだに「頼朝」って呼び捨てにしてますね。
北条ヨシトキが打診した、源頼家様にめあわせる予定のつつじ(北香那)の話。
源頼家とつつじの間に生まれた子は、のちにとんでもない役割を背負うことになります。

北条ヨシトキ(小栗旬)は「北条と比企の争いは今後激しくなるから、三浦に仲立ちとして振る舞ってほしい」というような説得をしましたが、そもそも鎌倉地域に「源氏軍」とか「常設幕府軍」とか「将軍私設軍」というものはおらず、編成もありません。

何かあった時に鎌倉に、大軍勢で馳せ参じられるのは地理的に常に「三浦軍」なんですね。三浦氏は実は、鎌倉において最大権力を得ずとも古来持っている軍事力で、キャスティングボートを握っている。三浦を味方につけることは、勝利を意味します。その意味ではこの時点で、すでに三浦は「北条派」と言ってもいい。いや、三浦義村はそんなに単純な男ではない、はずですが。

二代目将軍を打診された阿野全成に、今までずっと僧として出来損ないを演じてきた彼に、とうとう「欲目」が生まれてしまいました。腹をくくってしまった阿野全成。その方針を、「頼むよ」と、北条ヨシトキに懇願する北条時政。なんなんでしょう、北条ヨシトキが全てを差配しているように見えますが、まだこの時点では北条氏の最高権力者は北条時政のはずなんです。だからこそ跡目争いはりく(牧の方・宮沢りえ)の策略もあってややこしくなっていくはずなんですが、どちらにしても鎌倉の御家人は「どっちにつけばいいんだ」と、算段を始めてしまいました。

和田義盛(わだよしもり・横田栄司)も源頼朝の葬儀・埋葬に接し、「これで坂東武者の手に戻った。言うことなし!」と言ってしまってましたね。横に立った賢明かつ武の中の武・畠山重忠は「そうでしょうか…」と一蹴していました。

つまり彼は「そんなかんたんなことでは済まない」と見抜いていたんですね。

憔悴した北条政子(ほうじょうまさこ・小池栄子)に「あなたには(御台所は)無理です」と断言されてしまった実衣(みい・宮澤エマ)。呑気でおしゃべりで明け透けなキャラだった彼女が、「欲」にほだされておかしくなってしまわないか心配です。

莫大に大きくなった「鎌倉殿の権力」

インフレ化した強大な権力の奪い合いは、跡目相続の問題としてすぐに吹き出します。
比企能員と北条時政が、罵倒し合う事態に。

古代の中国ならもうこの時点で各屋敷にはそれぞれ20万人ずつくらいの軍勢が準備されてしまうところですが、鎌倉ではそこには至りません。

源頼朝は「源二位」と呼ばれていた「貴人」です。
この時代には、「後家」の権力はかなり大きかったようですね。
家の支配は、亡くなった当主の妻がすることになるのが通例。
他の人らは武士ですが、源頼朝の家は「貴族の家」ですし、有職故実に則って、都の例にも倣いながら振る舞う必要があったりもするのでしょう。

悲しむ暇もなく、極大化していく権力をまとめて運営してく重大な責務を、背負わされることになる北条政子。

鎌倉幕府初期の歴史は、北条政子の歴史でもあります。
源頼家は、源氏と北条の子。
源頼朝が死んでも、北条政子が生きている限り「北条優位」が続きます。

不気味なのは源頼家が、梶原景時と妙に接近していること。
ドラマではずっと、梶原景時がなぜあんな感じなのか、理由がよくわからないですけどね。

「北条あっての鎌倉」から「鎌倉あっての北条」へ。
若い妻に籠絡されて腑抜けになってしまった北条時政、そして真意を見抜けるような才覚もないのに、欲目が裏返って恨みに変化し始めてる実衣。
もはや「北条氏」とはひとくくりにもできない状態。分裂の兆し。

そんな中、金剛(こんごう・太郎・のちの北条泰時・坂口健太郎)の冷静な分析が、北条ヨシトキには癒しに。

バーンアウト症候群になったかのような北条ヨシトキは「鎌倉を去る」と言い出しました。
「自分だけ逃げるなんて!」と北条政子に言われてましたが「これからの鎌倉に、私は要らぬ男です」という謙遜はこの頃、すでに通用しない。
そういうレベルの信頼と実力を、北条ヨシトキは得てしまっているからです。

思えば「犯罪者」「流人」「ようやく生きてる元貴族」みたいな感じから、源頼朝は完全に天下を掌握するまでにのしあがった。その象徴でもある「鎌倉」。

そのすべてを見てきた人たち、生き残った人たちにとって、「どこかが区切りなのでは…」という思いが、湧き上がってきても当然だと思うんですよね。特に北条ヨシトキには、源頼朝と一心同体になってやってきたという自負もある。

渡された観音像。
この姉弟が、鎌倉を、北条を守る。
ものすごく重要なシーンでした。

この決意と情熱は、ただ「家族を守る」というだけではないほどの熱さを、持っていますね。

いよいよ次回は「13人選抜」。

 

 

かんたん鎌倉年表

源頼朝急逝…1199年←イマココ!
13人の合議制…1199年
梶原景時…1200年
畠山重忠…1205年
比企能員…1203年
北条時政…1205年
源頼家…1204年
和田義盛…1213年
源実朝…1219年
承久の乱…1221年

 

今回の『鎌倉殿の13人紀行』は、ここでした。







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