あけましておめでとうございます。
2020年になりました。
喪中の挨拶って不思議ですね。
身内に不幸があったらからって、
おめでとうとは言えないにしてもあけましたことに変わりはないわけで、
だけど今年もよろしくお願いいたしますの挨拶状は出す…っていう。
かなり昔のことになりますけれど、
日本では、お正月に、全員が同時にひとつ歳を取る、という習慣だったそうです。
その前は、「数えどし」というシステムだったんですね。
例えば1月1日に生まれた人は、生まれた瞬間、元旦にいきなり「1歳」。
現代ではその時点では0歳、ですよね。
なので、次の年のお正月に「2歳」になっちゃう。
100年生きても同じです。
誕生日が12月30日の人、この人も次の元旦(2日後です)には、
「2歳」になっちゃう。早いな。
今は全員、生まれた時は0歳で、
「生後5ヶ月」とかいう言い方をしますよね。
お母さんのお腹の中にいた時間はカウントしないかのごとく。
そちらも合理性はあるとは思いますが、
「お正月に全員で歳を取る」というシステムは、
つまり「お正月が、今よりもっと特別だった」と思わせる働きをしていたのだな…という気がします。
誕生日は父母の都合、というか人間の営み(法律も含む)で勝手に決まってしまうものですけれど、
元旦が元旦であることは、一般庶民がどうこうできるものではない…というか。
その神秘性、人間にとって非合理であるからこその神聖性みたいなものが特別感を醸し出し、大晦日には厄払いをし、お正月にはめでたさを祝う、という「区切り」と「祭り」の空間を生んでいたのではないかと思うのです。
そして、「誕生日」がここまで主流になったのは、
「経済的な理由が大きかった」と推察します。
つまり誕生日プレゼント、がいかに重要になったか、というのがポイントですね。
昔みたいにお正月にいっぺんに全員に歳を取られると、
「誕プレ」は元旦にしか渡せないわけです。
だけど「それぞれの誕生日って大事!!」となると、その需要が一気に365倍になる!!!!
こんな、驚異の倍率が生まれたことって、他に例が無いような気がします。
だって365倍ですよ。
急に「ラーメンは毎日食べないと健康が維持できないと発表された」となったら、国民は全員が365日ラーメンを食べることになります。これだって「365倍」にはならないですよね。今すでに、週に何度も食べてる人だっているから。
今からでは想像も難しいですが、
歳を取るタイミングについての急激な変化「1→365」には驚かされます。
「毎日が誰かの誕生日だから」っていう理屈が正しいとされた。
その通り正しいんですけど、「お正月だけ」のころは、個人が誕生した具体的な日ってそんなに大事にされてなかったのかもしれません。庶民は特に。「今年生まれたっちゅーことは、正月で2歳な」くらいのざっくりした把握。
2020年は、良い年にしましょう。
noteに、落語のことを書いています。
書きたいように書いておかないと、頭の中にずっと置いておいてもしょうがないしな、ということで書き始めました。
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では本年も、ほがらかにまいりましょう