2019年初頭に装いを新たにし、
「あの謎」が解けたけれど閉局はしないニコ生番組「境界カメラ」。
DVDの第3巻、いわゆる「解決編」の発売も控えています。
そして毎週配信中の番組じたいはさらに自由度が上がり、またぞろ私めがお出番をいただくことになっております。
考えてみるに私が一人で登場する回はたとえどんなサブタイトルがつこうとも「徳田回」なわけで、内容がなんであっても回顧する際は、おそらく「徳田回」と呼ばれてしまいます。
単純に、それならいっそ最初からそういう名前にしてしまおう、と思いました。
2018年は「理詰め&BLUES +(プラス)」というサブタイトルで「一人でしゃべるだけの回」を担当させていただいていましたが、そういう名前をつけると「あんなものは理詰めではないw」とか「理屈では俺の方が上!」とか言い出す輩がほんのごく少数、出てくるようです。面白い現象ですよね。ほんと、男っていやぁね。嫉妬っていやあね。というより、バカっていやね。
「+(プラス)」という部分も、このブログからの派生であるということすらそういう人らにはおそらく伝わらずじまいだったんだろうなぁ…なんて思ったりもします。
それについては少し残念ではありますがそれについてはもう、考えないことにしています。
さらに、どんどん、自由度を上げていく予定です。
【境界カメラ#75】徳田神也回#3「歴史についての雑談」
http://live.nicovideo.jp/gate/lv318536431
第一回めは「死について」、第二回めは「宗教について」でした。
この2つ、なかんずく「死について」などというタイトルを掲げた回をチラリと見て、「重い話題である」というような反応をいただくこともありました。
たしかに普通、バラエティ色豊かにお送りしようとするネットの番組づくりの中で、わざわざ「死について」話す時間を設けるというのは、無いような気もします。
「死について」って、重いですかね??
普通は、避けて通る話題?
おもしろくない?
しんどくなる?
暗い?
つらいことを思い出す?
話題って(雑談の内容って)、重いとか軽いとか、あんまりなくないですか?
たとえば「死について」は重く、「宗教」も重いけど、「テレビ」は軽いですか。「ドラマ」は軽いかな?「芸能人」だと軽く感じ、ますかね。
しかし、ドラマを見ても映画を見ても、たいてい、もう90%近く(と感じるくらい)、「死ぬ人」出てきません?
必ず事件とか事故とか、死にまつわることがきっかけになってストーリーが動く。
死んだ人が蘇る系の物語だって、まず「死」が横たわってますよね。
「名作」が死を起点に動き出すお話である確率、高くないですか。
テレビも朝から、ずーっと「誰々が殺されました」ってやってます。
死、ですよね。それがどう悲しまれるか、悼まれるかは「宗教について」だったりしますし、死と宗教を一切からめずに「テレビ」とか「映画」の話ができると思うなら、それはカテゴリー分けの仕方に問題がある、ということになると思います。
「テレビ」や「映画」というカテゴリーの中には「死」も「宗教」も入りますよね。
そういうニュースとか番組づくりとか物語のモチーフとして、「死」も「宗教」が題材にされたりするから。
そして逆に、「死」を扱うメディアとして、「宗教」を取り上げる装置として、「テレビ」や「映画」を考えることも、とうぜん可能だと言えるでしょう。
つまり、「どちら側から見るか」という問題に過ぎない。
「歴史」もまったく、そうですよね。
あくびしか出ないつまらない、板書を写すだけの授業をただ続ければ安定したお給料がもらえる、「元・歴史ヲタ」なだけの怠惰で堕落した気持ちの悪い社会科教諭どものおかげで(めちゃくちゃ言うなぁw)、「歴史」というのは「おもしろくない」「暗記科目」「過去のことは知る必要はない」なんて言われてしまうことに、なっています。
だけど、大河ドラマはいつも人気。
この差って、いったいなんなんでしょう?
これは、「カテゴライズがそもそも間違ってる」のだと思います。
そもそも、あなたに「歴史」ってないんですか?と。
あなた、何十年か前に生まれて、歴史を刻んできたんでしょう?
この先も、「あなたの歴史」を生きていくんでしょう?
あなたの持ってるカバン、何年前に、どこで買ったんです?
この数年、そのカバンはあなたの手元で、歴史を刻んできたんでしょう?
この先、あなたが誰かに譲って、新しい歴史を、始めるかも知れませんよ?
「歴史」は、この全宇宙の、すべてのものにあまねく降りかかる、普遍的なヴェールなのです。
そう思うと、知らないことも含めて、「歴史」は実は、自分の足元まで、続いている道。
「今の理由」は、歴史の中にある答え。
昔の一点、そして今。
その延長線上に未来があるとしたら、歴史を知ることは「未来への無意味な不安」を打ち消してくれる、補助の役割を果たすかもしれない。
10年前の歴史しか知らないと、その中で補助線を探さないといけなくなる。
100年前なら?
300年前なら?
1000年前なら?
2000年前なら?
それが、全世界なら??
知識の量ではなく、どこかに「気持ちの落ち着き」が生まれてくる、この不思議。
そこには「人間てそんなもんよね」も、含まれると思います。
今日のこの、くだらない話だって、自分にとっては歴史の一部よね、というような。
大河ドラマは、「今」を生きている俳優たちが、「あの熱さ」を感情豊かに再現してくれている。だからこそ、「昔と今が、繋がってるように感じる」。
昔のあの瞬間はその当時、はっきりと「今」だったんです。
私たちは常に、いつも、誰とでも、「歴史の話」をしているんです。
つまり、歴史についての雑談は、死ぬまで続くのです。