これは、想像です。
想像ですが、「丼」という漢字についての考察です。
海鮮丼、好きです。
天丼、も好きです。
あの雰囲気はやはり素晴らしい。
「これさえ食べれば必ず満足」というあの佇まいから醸し出される大いなる自信。
天丼は「てんどん」と読みますが、「丼」だけだと「どんぶり」と読みますね。
不思議な字です。
丼。
井の中に、点がある。
井戸の中に、点。
なんでこれで、「どんぶり」って読むんでしょう。
そしてなぜ、井戸の中に「ゝ」を入れたこの字が、「ご飯を入れる器の名前」なんでしょう。
そういえば浜松まで井戸を、見にいきました。
井は、井戸を表しています。
そして、真ん中の「ゝ」は…
そこに放り込んだ石。
「井戸に石を投げ入れた」ということを表現しています。
そして、読み方。
これ、実は井戸に石を投げ入れた時の「音」を表現しているのです。
「ドンブリッ」と。
象形文字であると同時に、表音文字でもあるということでしょうか。
ということはもしかすると「丼」は何かの間違いで「ぼちゃっ」と読むことになっていたかもしれない。
天ぼちゃっ
かつぼちゃっ
うなぼちゃっ
かいせんぼちゃっ
おやこぼちゃっ
ちゃんとした答えはわかりません。
それならそれで別によかったような気もしてくるけれど。
謎に思ってましたが、おそらく、それは正しいんでしょう。
井戸の底、水の中に、大きめの石を落とした音「どんぶり」…。
でも、やはり最も不思議なのは、これがなぜ、ご飯の上におかずを乗せたあの食べ物の(形式の)名前になったか。
食べ物というよりは、器の名前にもなっている、ということですね。
ここです。
これは、ひょっとして
「どんぐりの転訛」なのではないか
と思いつきました。
丼(蓋つき)を検索してみると…
対して、
…似ている。
やはり似ている。
どんぐりはまるで、蓋がついた、器のようではないですか。
ここからは、さらに私の妄想です。
まずこの形の器が、「どんぐり」と呼ばれていた。
なぜなら、どんぐりに似ているから。
「どんぐり茶碗」「どんぐり鉢」などと言われていたのでしょう。
それとはまったく時空を別にして。
井戸が生活用水として当たり前だった時代、井戸に石を落とした音を漢字に著した洒落者がいた。
いわく「井戸に『ゝ』で、どんぶり、てなーどうでぃ!?」
生活音の様子を表した漢字なんて、なんて文化レベルの高さなんでしょう。
当て字にもほどがあるわ。
しゃべり言葉が適時、漢字に置き換えられることは中国では当たり前の事。
「タクシー(TAXI)」が「的士」になる。
そうやって音をそのまま音として漢字にし、そのまま音を表す時に使うというパターンなら、あるような気がします。
たとえば「蕭条と雨が」なんていう「蕭条」は、雨の音の表現だったのかもしれません。ショウジョウ。
同じ「ショウジョウ」という読みでも「猩猩」と書くとこれは、オラウータンのことを指すそうです。と言っても、「麒麟」を「ジラフ」と同一視しているのと同じで、もともと「猩猩」は空想上の動物。
確か「小倉船」か何かで海底の駕籠かきが「猩猩」で、別料金の別名である「酒手(さかて)」と、「逆手(さかて)」つまりお猿さんなので腕がグルンと逆手になる、というのをかけてオチにしてたような気がします。
とにかくシャレこむにもほどがある。
シャレの練り込みが濃い。
「どんぶり」という「音」を、物品を表すところまでスライドさせてできた漢字の例って、他にもあるのでしょうか。
間に、「どんぐり」という植物の実を挟んでの、ミラクルなスライディング(いや、私の妄想ですけど)。
日本の文化、とりわけ食文化の奥深さに、驚嘆している次第です。