「最近ハマってるものってなんですか?」とたまに、聞かれることがあります。
「サーフィンですネ!」とさらっと答えられればなんの問題もないんですが、私はおそらくサーフィンはこの先も一生やらないとなんとなく思ってるので無理なんです。この問いに躊躇なく答えられるって、実はすごいと思うんです。
最近ハマり出したとなると、1年後くらいまでは続かないとハマってるとは言えないのかなぁ。
ということは1年前に同じこと聞かれてたら今日も「1年前と同じ、サーフィンですネ!」と言うしかない。
本来、1、2年で辞めるものではサーフィンは多分ないだろうのから、15年くらい「最近ハマってるものってなんですか?」と聞かれるたびに「サーフィンですネ!」と答えるしかなくなり、「サーフィンの人」くらいの称号を得る。
いや、何も悪くないです。
もちろん「何か言った方がいい場面」では私は「ミレービスケット」と答えます。
缶バッジまで持ってる。
…実は、この「ハマる」という表現に、いつも首を傾げています。
「ハマる」って、抜け出せないくらいに没頭する、というニュアンスでしょう?
そこから派生して「◯◯沼」なんていう言い方もある。
あんまり「サーフィン沼」とは言わない気がするけど。
「沼」より水分の多い趣味に関しては「◯◯沼」が当てはまらない気がしますね。
「水泳沼」とか。
いや、「沼」って、やっぱり二次元界隈のジャンルに当てはまる様式からの派生だろうから、水球漫画とかには「沼」は当てはまるのかも知れないけれど。
それにしてもなんだか「ちょっと好き」という状態が許されないような、そんな息苦しい空気を感じませんか。
「“好き”を他人に表明するからには、オタクなんでしょ?」みたいな。
いやいや、うっすら好き、という状態ってダメなんですかね?
情報もなく知識もなく「ただ好き」はダメなんですかね。
「なにオタクですか??」とか聞かれることすらあります。
何かを、好きと言うのならオタクと言われるくらい好きじゃないといけない!みたいな。
私は20代前半から「なににもハマらないように気をつけて過ごしてきた」人間なので、どこらへんで回頭すれば沼に落ちなくて済むかがだいたい、勘でわかるんです。
「凝り出したらそれ以外になにも手につかなくなるだろうから」という、恐怖を想像してしまうのが上手い、のです。
一時期、「編み物、やろうかな…」と頭をよぎったことがありました。
あの時ハマってたらやばかった、と今でも思います。
編みまくる私。
電車でもトイレでも、ニットを編みまくる私。
創作物を人にあげまくる私。
老若男女問わず渡しまくる私。
ユザワヤの近くに転居する私。
そんなに悪くない(気色は悪いかも)ですけど、やっぱり「それしか見えなくなる状態」が怖いのです。
何事にもハマらず「好きだな〜」くらいでサラッと短期間走り抜ける、みたいな人がいたっていいじゃないですか。
というかそういう人の方がほんとは多いはず。
そういう「好き」も「好き」のうちでしょう。
異様に詳しく販売物は全て揃えてあらゆるイベントに参加し使ったお金はン百万、スタッフや工場や経緯や裏話まで知ってる、とかいう人らだけが「正しいファン」なんていう定義、つまり「オタクこそ正義」なんて、おかしいですよ。
例えば私、好きだなぁと思うアーティストとかアニメとか、好きなんですけどコレクション欲は芽生えないように前述通り抑えているのでCDとかDVDって、あんまり持ってないんです。コンテンツを取り込んだり楽しんだりしたら、特に執着なく売ったりあげたりしてしまいます(こないだもラジオ局でPAさんに買いたてのビル・フリーゼルのCD差し上げた。「いい曲だな〜」とか言うから、嬉しくなってしまって)。
フィギュアを並べたくもならない。
ジョジョのグッズとかは多少は持ってますがこれ以外はどこにあるかわからない。…なんて書くと、「ハマってる」とはまず思われないですよね。
我を忘れてないという意味で。
無茶なほどお金を使ってため息をついてないと、「ハマってる」とは言わないのかもしれない。
だけど、「好き」なんですよ?
今のところ、オタクや真剣なファンの人には「そんなのは好きとは言わない」と言われてしまうでしょうけど、うっすらとは、色々好きになっていってるんですよね…。
これって「こだわりを持て」っていうのに似てるような気がします。
一本筋が通った職人たれ、スペシャリストたれ、専門家たれ、一本気たれ、みたいな。
わざわざ言っておきたいんですが、こだわりなんて、糞食らえです。
よくお店とか食品なんかには「味にこだわった」とか書いてありますけど、こだわってくれなくてもいいです。
ただ美味しいものを追求してくれればいい。
こだわってまでくれなくてもいい、といつも思います。
「こだわり」がいつしか善なるものになってしまってますけど、「わだかまり」の仲間、ですよ。
詳しくないと「好き」とは言わない、なんておかしい。
こだわりがないと「好き」とは認められない、なんておかしい。
男はみんな「オタク気質」だなんて、気持ちが悪い。
没頭してハマることこそがファンの上位だなんて、薄気味悪い。
なんだか「誰しもが何かのオタクであれ」「なにかハマらぬなら人前から去れ」という(それは極端か)という、同調圧力すら感じる瞬間がたびたびあって、息苦しいなぁ、と思った瞬間のことを、書きました。
今日は以上です。