安室奈美恵のファイナルツアー『~Finally~』に行ってまいりました。
チケットが完全にプラチナ化し、全国の、長年応援してきた筋金入りのファンさえも手に入れることができずに血の涙を流しているというこの「ファイナリー」、なんと私、さらりと抽選に当たってしまいまして、行ってきたのです。
私は基本的に天に愛されているので、こういうの、当たるのです。
と言ってもコンサートって、基本的に2名〜で行こうとしますよね。
そういう人多いでしょ。
なので、ドーム公演くらいの大きな会場だと「1席だけ空く」がたくさん出るんですよ。
2名〜じゃなきゃ行かない、という人もいるし2名の抽選だと、倍率上がるから。
本当のこと言うと当たるとは全く思っておらず、「まかり間違って当たったら、まぁそれから考えればいいさ。もしその時の感情的な部分で、叙情的な詩吟で、辞退すればいいのさ」くらいに軽く考えていました。
「当選です、チケット用意ができました」のメールが届くより先に「この10,124円て、何の引き落としだろう…?」と数時間クビをひねる事態が発生しており、ああああ!当たって!自動的に!クレジット決済を選択してたから!引き落としされてたのね!!という感じでした。
で、完全電子チケットなので、譲渡も出来ないんですよ。
好きな人いたらどーぞ、とか出来ない。
登録した本人の、名前がもう、電子チケットのQRコードに組み込んである。
しかもそれに対応する指定証明書(免許証とかパスポートとか)を会場受付で提示しなければならない。
5/2の公演では、それについて、一悶着あったようですが。
私が提示し続けた障害者手帳がこちらになります。
見本では東京都で横向きですが、私のものは川崎市発行のものになります。 pic.twitter.com/4qbDseVETw— さくらさく (@saku123sa) May 6, 2018
障害者手帳というのは自治体によってカバーのカラーとか、縦・横とかも結構違いがあって、入場口のバイトさんって忙しくて基本テンパってるので、見本の色・形(横で、茶色のケース)で覚えてしまってて、融通利かなくなっちゃってたんでしょうかね…。
運営側は「自治体によって違いがある」ということを周知徹底させないまま、正しく提示した人に門前払いを食わせてしまったんですね。
事実確認→返金、せめてそれだけでもきちんと対応すべきでしょう。
大好きな安室奈美恵の最後のコンサートが観れなかったんだぞ…?タダゴトでは、ないぞ…!?
私が差し出した運転免許の写真と実際の顔を見比べる受付係員。なかなかの厳戒態勢です、だけどこうすべきなんですよね、余計なチケット高騰を避けるためには。
スマホは、もうみんな持ってるわけだから。
とは言え一人ですからねえ、しばらくウロウロして、会場に入りました。
着席すると、大画面にこれが流れていました。
見入った。
いや〜女性率100%か…と勝手に思ってましたけどぜんぜんそうでもない。
男性も多い。
アムラー、いましたよアムラー。
元アムラー(と思しき人)も随分いました。
現時点ではあと2公演(6月2日、3日)を残しており、あまりネタバレ的なことを書くなよこのやろう、とか思われそうですが、「最終の2公演」に行くようなガチ勢がこのブログを読んでいるとは思えず、そもそもそんなこと知るかこのやろう、とも思わないでもないので一応は配慮しつつ、思ったこと書きますね。
開演予定時刻を21分ほど過ぎた頃、とうとうライブが始まりました。
とにかくすごいんです。
なんというか、好きで、ファンで、集まってる人ばかりなんですけど、スタートしてご本人が登場した瞬間、「うわぁああぁああああぁぁホンモノだぁああぁああああ!!!!」みたいな、驚愕というか衝撃というか、そういうムードがドームに充満したんです。
なんだったんだろうあれは…。熱を帯びた声援、というよりは狂乱。
現実と非現実が、小さな細い女性の形に光を放ちながら結合した、みたいな混乱。
フィクションとノンフィクションがウラオモテでフュージョンすることによる、コンフュージョンによる、絶叫。
そう、まるで特別なご開帳の日に住職がじゅうぶん説明していたにも関わらず実際に千手観音様が動き出した様子を見て檀家総代の人が泡吹いて倒れる、かのような。それは違うか。
で、もう、私の周囲の人、8割くらい、泣いてるんです。
女性は全員泣いてたと思う。
登場しただけで、ですよ。
これひょっとして、ステージのキワを手を降りながら左右に歩くだけで4時間くらいもつんじゃないかと思うほどです。まさにカリスマ。
これが安室奈美恵か…これがあの…。
ものすごい、全客席からの、とてつもない集中力。
私の横の席だった人、女性ですけど、開演前にはバッグから小型の双眼鏡を持ち出したりして、試しに覗いてたりしてらしたんです。
始まったら、もう、顔面にタオルを押し当てて、ずーっと泣いてる。終演までほぼずっと泣いてた。
もはや教祖ですよね。アムラーの祖師。ギャル道の始祖。
もう、それくらいの尊崇度を感じました、神です。ほぼ神。
でも、なんとなくそれは感じるんです。
なんというか、安室ちゃん(急にちゃん付け)は「うん、私たちはずっと味方だからね」となぜか自動的に思いたくなるオーラを発している。あれ、なんでしょうね(後述)。
「すごい人が、すごいことを見せてくれる」という迫力よりも「私たちのために、あの人が、すごい人になってくれてる」みたいな、親近感がみんなのベースにある。
彼女は25周年でもある今年(2018年)、9月16日に引退することが決まっています。
絶叫の理由にはそれももちろんあって、「実物を見るのは今日が最後だ」という悲壮感を抱えた人たちもたくさんいました。
たぶん、背中に大きめの赤いボタンがついてて、そこを押されるたびに「ヒィユィェェェエエエエ!!!」みたいな声が出るようになってるのか?っていうくらい声を出してる人もいる。
あの人の近くの人、耳痛いだろうな、みたいな人もいました。許す。
前半は、抑えているな…という感じの構成だろうと思いました。
安室奈美恵のコンサートは「MC一切なし、フル・ヴォルテージで歌い踊るのみ」と聞いていたからです。おや、抑えているな…それは感じました。
ダンスも、抑えている。いや、そうでもない、か…?
たぶん、抑えているんです、激し過ぎない感じ。
いえ、だからと言って私がもしあの1/10でも真似したらたちまち腰骨と骨盤の結合部分が「がちゅ」みたいな音を立てて外れ両肩は亜脱臼し転倒したはずみで背骨と後頭部を強打し意識は遠のき白目をむきオシッコちびって5秒で搬送されていくことでしょう。
複雑なダンスですよね、1拍で二回以上動く、みたいな。
あれ踊りながら歌うって、やっぱり凄いことです。
というかこの人の場合、「踊りながらしか歌えない」のレベルになっている感じがする。
踊りながら歌ってる、んじゃなくて、歌いながら踊ってる。
歌が、ダンスの一部のような。
主従は安易に決められないでしょうけど、あくまでダンスが「主」で、歌が「従」という感じ。
でも。
コンサートが進むにつれ、あ、なるほど…という「ある思い」がつのってきてしまいました。
「ああなるほど、今は、もう、こういうコンセプトで、こういう感じで、進めて行くんだな…」と。
そして、ハッと思い返したんです。
熱心で過激なファンでもない感じの私ですが、割とCDを買いライブDVDを見ていたことで「安室奈美恵のイメージ」として持っていたのは、彼女の「10年前くらいの姿」だったんです(アルバムで言うと『PLAY』『PAST < FUTURE』あたり)。
あ、あの歌も、声を抑えている。
あ、この歌も、ファルセットでしのいでいる。
あ、あの歌も、あの部分をあそこで声、切ってる…。
この言い方が、悪く言ってるように聞こえたらごめんなさい。
もちろん、ボーカルの技術で、観客は魅了されます。
だけど、張り上げるんじゃない、スルリと受け流す、というボーカルスタイルに「あ、そうか。そりゃそうかもな…」と、感慨深くなってしまった次第です。
もしかして引退の原因は、実は他にあるんじゃないのか…?などと。
いや、それでもほんと、すごいですよ。
あんなことを、まったく、あれを25年もやってきたってやっぱり驚愕です。
アスリートでも現役を25年続けられたら「鉄人」でしょう。凄い人です。
しかもしかも、さらに付け加えて驚いたのは、ある曲で、1997、2012の映像と、リアルタイムの映像が並んで投影されたんですが、なんだか1997年より、今の方が若い!!なんだこれ!なんだこの可愛さ!!どうなっとんねん!グオオオオ!という、喜びと嫉妬が叫びとなって、ドーム状に充満した瞬間を見たような気がしました。
で、何曲か、ダンサーさんがつかずに、たった一人でステージ中央で歌う曲があるんです。
歌い終わったら安室さんは、ごく普通に両手を前にし、なんだかもじもじして、暗転間際に小さく手を振ってはにかんでたりするんです。あれは演出(演技)ではないでしょう。
『のど自慢に出た小学生か!!!』とつっこみたくなるほどの照れ。
純粋さ。怖い。あの人いくつなんですか。
しかしダンサーさんたち、みんな健康そうだなぁ…ダンスを1秒すら踊れそうにない自分からすると、あのハツラツたる、キビキビたる、はち切れんばかりの肉感たる人たち。
もしタックルされたら20mくらい吹っ飛びそうです。
安室奈美恵だけが持つ魅力とは、なにか。
さて、初めて(そして最後の)安室奈美恵のライブを目の当たりにし、会場の雰囲気や観客の熱狂を感じて、思ったことがあります。
歌詞には詳しくないけれど、安室奈美恵の歌がこれほどまでに重厚で濃密な集中を呼び寄せるのはなぜなのか。
聞きながら、ずーっと考えてたんです。
安室奈美恵の曲は、女性たちの、日常の「感情的な部分を肯定する役割」を担ってるんです。
どうしても辛かったり、苦しかったり、うまく行ったりいかなかったり、将来が不安だったり、今が楽しかったり。
身体的な宿命と、恋愛の交々(こもごも)。
いろんな感情が渦巻くノンフィクションな日常を「そういうものだよね、それでいいんだし、良くなっていこうよ」と、すみずみまで肯定してくれている。
曲調は激しいのもあるし、デジタルなポップだし、かっこいいんです。
だけどどこかで「それでいいんだよ」と、すべての世代の女性を後ろから優しく支える役割をやってくれている。
だから、女性が安室奈美恵の曲を聴くと、どこからかパウワが湧いてくるような気がするし、あの歌声が、まるで天から自分を引き上げてくれる福音に聴こえるんですね。
悲しみだけでなく、虚ろさであったり、未来への希望であったり、とりわけその中でも「普段」をずっと、どこからか安室ちゃんが見てくれているような気持ちになる。
こちらが曲を聴いて共感するより先に、安室ちゃんが、自分に共感して、共鳴してくれているような心持ちになる。
きっと多くの女性たちにとって「安室奈美恵」というのは、そういう存在なんです。
「なんか元気が出る」「前向きになれる」「歌がうまい」「可愛い」と、そういう理由だけじゃない。
あの登場時の狂乱と精神の集中度は、そうでないと説明がつきません。
なんだか今日、ものすごいものを見たような気がしました。
大変、貴重な体験です。
クレジット決済にしといてよかった!!
安室奈美恵のLAST GIGS、しかと受け止めさせていただきました。
「平成の3室」と(勝手に誰かが言ってた)呼ばれた、『氷室・安室・小室』のうち、2室のファイナルライブを同じ東京ドームで、見届けることに、成功。
ライブDVDが発売されたら、買うわ。
ちなみに、小室さんて、引退、してることに、ちゃんとなってます???
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http://avex.jp/tk/news/detail.php?id=1060938