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明智光秀からはっきりとした暗殺のお誘いを受け、家康は戸惑う。
これを家康が黙っていたということは、もう暗殺に同意したも同然。
明智光秀ひとりだけではその計画を実行する事ができないし明智家だけではそのあとの国家経営も難しいので、本能寺の変は「光秀・家康の完全合作」ということになる。
三河をまるまる贈られた同盟的関係の中で、どうして家康は、信長暗殺に加担しようと決めたんでしょう。
実は信長も、徳川暗殺の策を持っていたんですね。
その信長側の暗殺部隊として配備される予定の光秀が、逆に信長を襲ってしまおう、と。
信長の、「お礼(浜松での)のお礼」として、安土城への歓待を受けた家康。
断るのもおかしいので一行は安土へ。
この歓待の不手際で、明智光秀は織田信長にプライドが傷つくほど怒られ、罵られ、それが起爆剤となって本能寺でブチコロスことになった…と、昔読んだ漫画には描いてありました。
最初から知ってたんなら本能寺の変のあと、すぐに家康がなんだかんだでまんまと堺から三河へ逃げ帰ることに成功した、ということにも納得はいく。
…というか、ほんとうに「伊賀越え」は「命からがら」だったんでしょうかね?
その帰り道の手配を、実は直虎(柴崎コウ)が京まで赴き、豪商・茶屋四郎次郎(辰巳琢郎)に手配を頼んでいた、と…。
茶屋四郎次郎、なんと家紋が井伊家と同じく「橘」なんですよね。
これは偶然、なんでしょうけど、ここに縁があったとみなすドラマ展開は面白いですね。
茶屋四郎次郎(清延。きよのぶ)の家紋。
こちらが井伊家。「丸に橘」。
最後の活躍。
堺まで先回りして「安全祈願」の旅をする直虎。
創作として、紀伊半島をぐるっと回って帰る船コースを画策し続ける時間。
結局家康は、茶屋四郎次郎が金銀をばらまきながら陸路をとったわけですから、なんなのこの時間。
カシラを出すための時間。いい時間。
淡い恋心が、感傷的なピアノとともに蘇ります。
でもおとわちゃん、実はこの年(1582年)に亡くなってしまうので、これは人生、最後のロマンス。
激越な時代を生きた、尼小僧、女領主の、恋の着地点。
なのに異人との同衾に挑む直虎。
外国人との尼コスプレとして肉弾接待に挑むおとわ。
でも相手に毒物を盛っていた竜宮小僧。
なんなのこの創作、大胆ね。
安土では、信長みずから膳を手で持って出てくるという驚愕の接待。
この辺りの腹芸、は見ものでしたね。
光秀は暗殺計画を変更せざるを得ないような命令を受けてしまいましたが、家康は安土から、畿内の見物へ。おみくじで「大吉」が出るまで引く光秀。
結局なんだか、「光秀単独犯行」っぽい感じになってしまいました。
家康は、信長による、自身の暗殺計画を知っていた。
でないと、「京の本能寺へ来い」と言われてるのに堺にいつまでもいないでしょう。
「京はまぁ、ええがや」みたいな感じで、なかなか京へ来ない。
そのうち、変は起こった。
しかし、本能寺の変の様子をいっさい描写しない、というのは大胆な演出でしたね。
あの、ドラマや映画でよくみる、炎の中で幸若を舞う信長とか、嫡子の信忠(のぶただ)の生死とかもいっさい描かない。
実際、当時にはスマホもないしニュースもありませんから、「え、本能寺で!?嘘でしょ!?」みたいな驚きは、かなり遅れた伝聞、で全国民が知るしかない。
これはこれで、リアルなんですよね。
自分を守るとはいえ、本能寺の変を知っていて、逃げる道まで確保していた家康は、やはり腹黒いタヌキオヤジだったんでしょうか。
いや…ちょっと待ってくださいよ…本能寺で信長が殺され、そのあと、結局いちばん太く(大きく)なったのは誰です???
この計画(本能寺の変)を、知っていたくせに知らないふりをして明智光秀一人のせいにして、信長路線を踏襲して天下をとった人は、誰です??
家康ですか????
違いますよねえ…。
今回の「直虎紀行」は、ここでしたね。
小川城跡
徳永寺
次回、最終回!!!!