これ、ですね。
サブタイトルについては、記事になっていましたよ。
直虎あと2話…キレキレだったサブタイトルおさらい
https://www.nikkansports.com/entertainment/column/umeda-b/news/201712040000005.html
耐えに耐えて駿河を奪取した徳川家康(阿部サダヲ)。
井伊直政(菅田将暉)は酒席で酔っ払い、織田信長(市川海老蔵)を潜在的な仮想敵だと暗示しました。
魔王・信長の遊山(ゆさん)を浜松で受け入れた徳川勢。謁見の間の、木戸の「三つ葉葵」の“すかし”が素晴らしかったです。そこへ今川氏真(尾上松也)が来る。もう、東海を統べた戦国武将扱いではなくなってる。嗚呼、栄枯盛衰。
信長vs氏真=市川vs尾上。
それにしても時代劇に、歌舞伎役者の声は響きますね。歴代受け継がれてきた血筋の重みが、なんだか時代の重みとなって声帯から滲みわたるように感じます。
そして謎の子供…。
ご初代様の井戸のそばにいたという浮浪の子供。近隣の子供ではないとなると、遠方からの捨て子か。
その井戸は今年、見に行きました。
この子は…どこの子なんでしょう?どうやら、どこぞの武家の子。
どうしてこんなトラブルエピソードが…。
井伊谷にも何か起こさないと、もはや直虎(柴崎コウ))の存在意義がなくなっていることがバレてしまう…から…!!
いやいや、そんなことはないと思いますが(汗)、天下の動きが活発になってきて、この後のとんでもない巨大な出来事といえば「本能寺の変」です。それは次回に譲ることになっているので、ここはしばし、スピンオフ的な枝を伸ばしておきましょう、的なテクニック…かな…。
氏真が、謎の子供を「明智光秀の子供じゃ」と告げます。
そして明智光秀が、織田信長暗殺を企てることを告げます。
信長によって、家康暗殺の立案を命ぜられていた光秀。その案を、そのまま信長に転用してしまおうという策略。光秀は息子の「自然(じねん)」を人質に差し出すと打診します。
氏真が直虎にこれを打ち明けるということは、「お前らも信長暗殺に乗れ」という意味ですよね。ここまで明かして、もし直虎が織田側にこれをチクったら今川も明智もすぐに処分されてしまいます。氏真も命がけ。井伊としては絶対に断れない。断らせない覚悟が、氏真にはあったはず。
…と思ったら、あっさり徳川家康にそれを言っちゃうおとわ。
嘘でしょw!?
しかも織田に申し出ようかと思うとか言い出す。それで「徳川様もさらに覚えめでたくなりましょう」なんて言ってる。大丈夫かこの人。武田に通じてる、という疑いだけで殺された瀬名姫のこと、もう忘れたの?
結局、「平和が大事」っていう妄想に取り憑かれてしまうとやっぱりそういう意見になるのか、と暗澹たる気持ちになります。しかも「徳川様には、織田に取って代わってほしい」と言う。それまでに、いったいどれだけの血が流れるのか。自分の思う「平和」のためには流血や戦乱も辞さないの構え。平和のためにはどんな反対意見も肯(がえ)んじないの構え。いえ、直虎のことを言っているのではなくて、ただただ「平和主義!反戦!」なんて言ってる人らは、現状の冷静な状況判断ができずに言ってるから、何かパニックが起こったら、自分の感情にしか従いません。なので、戦争を引き寄せ、戦争を引き起こすのは、声高に「反戦」を掲げる人らなんです。例えば今、私は「平和主義や反戦と言ってる人ら」に批判的なこういうことを書くと、「じゃあ戦争してもいいと言うのか!?この好戦主義者!軍国主義!極右!!」という反応をするでしょう。いやいや。違うでしょって。それがヒステリック平和主義」「ヒステリアス反戦主義」だなぁ、と思うわけです。「イマジン」は大事ですが、それは「あなたのイマジン」であって、もちろん大切じゃないとは言いませんが、それは平和とは実は、最も遠いんじゃないかなぁ、と思うのであります。
家康はそんな直虎に対して「わしはこの世が嫌いじゃ」と言います。
欣求浄土 厭離穢土
家康が馬印に掲げたこの言葉が、家康の心底にいつも鳴っていたんですね。
それにしても本能寺で死ぬことになる魔王・信長に、なんだか戦乱期の責任を全部押し付けるような論調は、戦国モノにはありがちな設定のような気がしますが、これもそれのうち、ですよね。織田信長は、確かに残虐なやり方をしたこともあったけれど、基本的には「一罰百戒」的な方法をとっていた。比叡山焼き討ちは確かにひどいけど、反抗しない寺社勢力に、無理やり全てを虐殺しようとはしていない。
で、次回はいよいよ、その魔王が退治されちゃう、と…。
今回の「直虎紀行」は、ここでした。
富士山本宮浅間大社