なんとなく2文字から浮かぶこと

友愛

友人て言えるほどの人がいないから、友情とか友愛とかについて、正確な補足や表現ができるとは思えないのだけれど、大人になって出会う人は、仕事上とか業務上とか、最初から利害関係が絡んでいる人がやっぱり多い。それが直接的ではなくても、営利目的の活動の延長線上で、お互いの存在を知ることになるから、純粋に遊ぶだけ、とはいうのは本当になかなか難しい。ほぼ無理と考えていいかもしれない。純粋に遊んでいるだけのように見えても別れ際には「では、また!」なんて、大人しか言わないような挨拶をする。大人になると、どうやらこの「遊ぶ」がもうそれだけで「仕事の合間」や「休暇」を前提に行われることだから、遊びは全て仕事の上に成り立っていることになる。当たり前なんだけど、純粋な遊び、などというものは大人にはすさまじく存在しにくいのだ。だから、純粋に遊ぶだけの純粋な友達、はなかなかできない。なかなか、ではない。「できない」と断言してもいい。趣味を通じてできた友人、ならその範疇に近いのかもしれないけれど、やっぱり別れ際には「では、また…」なんて会釈をしながら帰路に着くのだろう。それでも稀に、自分のことを「友達あつかい」してくれる人はいて、とてもありがたいような、申し訳ないような、「間違ってませんか」と言いたくなるようなくすぐったさを感じることがある。そこまで繊細に人間関係を捉えることもなかろう、と片方では思いながら、もう片方では「そんなに濃密なつながりなど無くても、良いのではないか…」という厭世的・自暴自棄とも言われかねない感覚も芽生えてきたりする。それでも、暗いやつ、とかシャイな野郎、とかいう風に自分は見られていない自信はかろうじてあったりもするから厄介だ。それどころか、物怖じしない闊達な、よく喋る人、とくらいには思われている気がする。明るい性格だから友達が多い、とは限らないのだ。明るく陽気に振る舞うという行動と、陽気で明るい性格、というのは同じではない。中学生の頃、割と仲が良いと思っていた友達の、他の誰かに放っていた自分の評があまりにも驚きで、「そんな風に思ってたのか…」と、激しく裏切られたような気分になった。こうして今でもそれを覚えているくらいだから、なかなかにショックだったのだろう。しっかりと、駐輪場の低いブロック屏越しに、それが聞こえたことも覚えている。その時の彼がかぶっていた野球帽や、ジャージの色、自分の学生ズボンの裾の折り返しに溜まった少しの砂の様子まで、アクション映画のフィクション部分のように映像が浮かんでくる。遠くではテニス部が練習をしていた。そういえば自分も軟式テニス部だったな。ひょっとして彼は、自分を守ってくれるために、わざと低い評価をしてくれていたのかも知れない、と考えることもあった。余計な、程度の低い不良たちからの被害を、小さくするために。それも同時に思いながらなぜかそれ以来、「先に裏切ったのはそちらだ」とでもいうような勝手な復讐心がどこかに眠っていたように思う。すぐに噴出するかと思ったけれど、彼と一緒に遊ぶメリットの方が大きかった。その当時はメリットなんていう考え方はなかったけれど、あの一言を、どこか心の陰へ追いやって、気にしないようにしていたのだと思う。そして執念深く、のちに彼を見事に裏切ることになるのだった。

友人に抱く気持ちは、友人がいないと芽生えない。当たり前だ。無い肉は腐らない。無い雲から雨は降らない。だけど例えば男女に友情はあるか?と問われたら、とりあえずは即座に「ある」と答えることはできる。本来ならば同性の友情を知ってるいるからこそ、「同じような、異性間の友情は成立するか?」という仮定の問いに悩むのである。同性間にしか存在し得ないものを、友情と呼んでいる人もいる。異性だろうが年齢差があろうが、親族だろうが異種間であろうが、自分の中で芽生えるある種の感情の動きを、友情と定めている人もいるだろう。そうなると、やはり友人の定義が気になってくる。友人がいるかいないか、を考えない人は、ごく自然に友人がいるものだ。実は「友愛」とは、「友人に関して催す愛情のようなもの」を指しているのではないか。友愛が語られるとき、友人のまったくいない状態は想定されていないのではないか。友人への感覚が想定できない人には、正確には友愛の概念は理解できないのかもしれない。友人がいて当たり前の社会、構造の中でだけ、友愛は成立する、友への愛情を規定できるからこそ、「まるで友に対するような情感」を、友人でない対象に向けられる。友人など自然にいて当たり前な人らとは、話なんか合わないよな。「友達、多いです」と言い切る人たちとは、そもそも「友人の定義」が違うのだ。友達と呼んでいい、ハードルが違うのだ。大人になって悩む「友達いない問題」は、大人になったからこその「想像上の友愛」で、なんとか誤魔化すしかない。何があっても、どうなったとて変化しない関係性が結ばれているのが友情、だとしたら、そんなものがどうしても見つからない人は何か別の物を探して、どこかから借りてきた「同等でありつついたわりあう」という友情の「型」を、自分なりに当てはめて、育てていくしかない。

 







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