まさに、ラストの「完」を見た瞬間に、声に出た言葉です。
「そこからそこまでなの!!!!?」
と同時に、「そこからそこまでなら『松平元康』、いや『元信』ちゃうんかぃ!!」と。
桶狭間の戦いで、まさかの今川が衰退。
「おんな城主 直虎」ではさらりと通り抜けた、戦国を一変させた出来事。
その直後の、さぁ、どうするんだ!という時期で終わるという「徳川家康の前半生」なストーリー。
とにかく濃厚です。
正直に言いますと、何言ってるのかわからない部分もある。
今川義元が西村晃。
1965(昭和40)年のこういうのって、そもそも音楽も「浪曲」とか「歌舞伎」とかが下地になっていて、現在にもよくある1980年代くらい以降の、ポップカルチャー的な要素を盛り込んだ作品に比べてケタ違いに重厚な、子供を寄せ付けない、いわば「現在のエンタメ」感では説明できない濃さ、があります。
昔の映画って、その当時に生きていない限りは(俳優としての実力を体感してない限りは)、「あれ…この人って、本当に武士なんじゃあ…?」とか思ってしまうくらいの、入魂ぶりというか、迫力があるんですね。
同時代に生きているなら、その時代のスターだと認識しっかりしてますから大丈夫ですけど、「仁義なき戦い」シリーズを子供の頃に観た時も、「あれ?この人らって俳優、で顔も知ってるけど、同時にヤクザ…なの…?」とか思ったものでした。今見たらそんなことはないけど。
それにしても「なんでそこからそこまでを映画化するわけ?」という疑問はまだ残ります。
実は「徳川家康」メインの作品て、この世にそんなに多くないんじゃないですかね。
最後に鯛の天ぷら食べて死ぬ、というような天下人は人生のクライマックスとしてはあんまり画にならないんでしょうか。
確かに織田信長の方が劇的で、それっぽい。
江戸300年の平和の礎を作った家康だけど、人生の後半はもはや政治家として、政治原理に基づいた行動というか、側から見れば汚いような「方広寺鐘銘事件」とか、大阪冬の陣夏の陣とか、史実としては面白いけど人物として取り上げるにはちょっと引っかかる、みたいな部分も気にはなります。
そう、「政治原理」と書きましたけど、晩年の政治的な動きは、もう家康一人でなんとかなる問題ばかりではなくなっているんでしょう。
そう思うと、長命だった家康の、本当の波乱はやっぱり人生の前半です。
徳川家康にとっての岡崎時代、そして人質へ…な幼少期は、ひょっとして三河の人たちにとって、密かに今も胸を張り続ける、凄まじい「誇り」なのではないでしょうか。
「ここを映像化しておくのだ!」という、執念を感じるのは、そういう裏事情があってのことなんじゃないか、とさえ思えるのです。
…と、ここまで書いてから知ったのですが、
この「徳川家康」、実は5部作まで予定されていたのだそうです。
でも、あえなく打ち切りに。
なんやねん。
だからあんな小さい頃の話で終わってんのかいな…。
まだまだ、これからやったんや…。
主役の北大路欣也扮する元信が、どんどん成長して天下を取っていく、という壮大な大河ロマンだったんですね。
いえ、でもこれ1本だけで、大河ドラマ半年ぶんくらい、観た気になれます。
「なになに?なんて言ったの???」と置いてけぼりになるほどの古めかしい言い回しも楽しめる、稀有な作品だと言えるでしょう。
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