いよいよです。
ついに今夜、#次郎法師 が、#直親 が、#政次 が…!#おんな城主直虎 第12回タイトルは、その名もずばり「おんな城主直虎」。
どうぞ、ご覧ください。#NHK#大河ドラマ #総合は午後8時からですhttps://t.co/QgRLqSDkmv— NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」 (@nhk_naotora) March 26, 2017
とうとうおんな城主成立。
とは言えそもそも「井伊城」があるわけでなし、だから本当は「おんな領主 直虎」なんですよね。
戦国時代には戦国武将しかいなくてずっと殺し合い、みたいなすごいざっくりした理解をしている人も世間にはおられたりしますけどw、私の場合、なんとなくの感覚で言いますと、大名って、「大企業の社長」みたいなイメージなんですよね。
もちろんそういう時代なので、戦(いくさ)とか「首を取る」みたいなことは今と違ってあるわけですが、それでも常に「戦い続ける」というよりは、「経済・治安・繁栄」という行政機関の長という感じ。行政機関だけど現代に比べると「公」の感覚は違いますから、「○○家」というのが何より大事、という。
国民国家が出来上がるまで(明治時代)、「くに」と言えば「藩」くらいのことを指していたようです。決して「日本列島ぜんたい」を意識している人って、そんなにいなかったんだと思います。
そんな時代の「国際情勢」とは、「三河と遠江の境」とか「武田が攻めてくる」とかいう、「オールジャパン」な感覚がある現代の我々からすると「同じ民族で、愛知と静岡でなにやってんのサ」という範囲のことだったりして、でもこれ(「おんな城主 直虎」の時代)、1560年とかのことです。まだ、500年も経ってない。
今日フと思ったんです。
今40代の人はもう、「30年前は〜」という懐古ができます。
まだ20代の人は、「20年前はねえ」とはまだ言えない。
30代の人でやっと「20年前ってね」と言い出すことができる。
60代の人なら「40年前のこのあたりは…」とかも言える。
前に、うちの祖母が「このあたりには草競馬があった」という話をしてくれたことがありました。「どれくらい前の話なの?」と訊くとただ淡々と「70年前。」と宣(のたま)いました。70年前!!!!!
そうなんです。
今から70年前というと、1946年。
戦争直後です。
何を言いたいかというと
今、2017年から、たった30年も経たないうちに、あの太平洋戦争が「100年前の出来事」になるんです。
これって改めて考えると衝撃的なことじゃないですか?
だってね、2017年の100年前って、1917年ですよ。
第一次世界大戦の始まった年。志賀直哉が『城の崎にて』を発表した年だそうです。
自分は先程いもりは嫌いでなくなった。蜥蜴は多少好きだ。屋守は虫の中でも最も嫌いだ。いもりは好きでも嫌いでもない。
※『城の崎にて』より
「100年前」という感覚が、生きているうちに変化する。
多分、今のように歴史が断絶している感覚がない1500年代の人たちは、「100年前」というのももっと身近に感じていたでしょうね。
ドラマとして、やっと転換期に来たという感じですね。
それにしても、井伊谷としてはかなり重大な出来事であるはずの井伊直平(前田吟)、中野直由(筧利夫)、新野親矩(苅谷俊介)の死が、ナレーションでさらっと語られたのにはなかなか驚きました。
ここからは、徳川勢が武張って来てくれないと井伊として盛り上がるところがなく、あくまで今川の属国でありながらうまく立ち回り、織田・武田の大勢力に翻弄される領主として生きていくところが描かれると予測されます。
なにせ、直虎についてどこを読んでも特筆されているのは「今川が出した徳政令の命令に逆らった」という史実で、「どこそこと戦った」とかそういうのは無い。
派手な印象の戦国時代の中では、やはり地味な部類、と言えるかも知れません。ですから、言い方は悪いですけど「ありもしない感傷」を創出していく必要があるんですね。次回のタイトル「領主はつらいよ」を見てもわかるようにw、激動の時代背景や傍証から、生きている人たちの感情や行動を想像して、物語に仕立てていく。
それにしても小野政次(高橋一生)の存在感w
おとわと再会した但馬守(高橋一生)は、直親暗殺を責められると「恨むなら直親を恨め…」と言い放ちます。
下手を打ったのはあいつだ
何度も同じことを繰り返し、井伊は終わるべくして終わったのだ…
でも、袖をつかまれた手を振りほどく時の、コメカミの血管!!
血管芝居とでもいうべき名演で、ひどい裏切りをした「鶴」の、計り知れない心情を表現していましたね。
弱者にはひどいことばかり起こる戦国の世ですが、これが「パクス・トクガワーナ」と呼ばれる時代の、下地になっている。
ドラマ終わった直後の「直虎紀行」(これが好き)では、掛川にある直親の墓に、幕末の大老・井伊直弼が寄進したという灯篭が紹介されました。
http://www.nhk.or.jp/naotora/travel/
このドラマでは今、かなりひどいことが連続して起こっていますが、後世から見ると、すごい武将はいるわ大名にはなってるわドラマにはなってるわで、「ものすごい家系」です。桶狭間で殺されて、そのまま滅亡した今川方の一族とか、そんなの、いくらでもいるんですから。
歴史は地続きで、延々と続いています。
というか、続いているなんて当たり前で、「熱湯が熱い」と言っているようなもの。
これを、まるでどこか別世界のファンタジーのように感じさせてしまい、「知らなくても、何も感じなくてもいいや」と多くの人に思わせてしまっているのは、明らかに「社会科(歴史)」の授業のせいだと思います。
だって、「歴史」ってどんなものにもありますよね。
アニメにも歴史あるし、お菓子にも歴史がある。
ちなみにさっき挙げた100年前=1917年は、森永乳業、明治乳業が創立された年なんだそうです。