だんだん、この区別ができてきている気がします。
ぜんぜん、まだまだな気もしています。
「欲しいもの」と「必要なもの」。
同じじゃない?
と思いました?
必要だから欲しいんだろ?と。
厳密に、考えたいんですそこは。
要るか?
欲しいのか?
っていうところを。
先日は「捨てるもの」と「捨てないもの」のことを書きました(結局両方売れ、っていうw)。
ある人の、なんてことない言葉を、未だに覚えています。
もう、6年くらい前になりますが。
「新車欲しい人って、新車欲しいだけじゃないですか」。
これ言われた時、うわっほんまや!!と驚いたんです。
未だに覚えてるくらいですから。衝撃でした。
自動車に関してはいろいろな意見があるので本当は一概には言えないわけですけど、その用途とか必要度に比して考えれば、新車である必要はない。
そこで「新車が欲しい!」と言う人は、「新車欲しいだけ」。
この表現、私は聞いた時、なるほどと思って笑ってしまいました。
そう、「これいいなぁ、欲しいなぁ」って思ってるもののほとんどが、「欲しいだけ」なんじゃないでしょうか。
要るか要らないか、で考えれば、「要らない」。
でも、消費が冷え込んで不景気だとか言われる昨今、女子高生もオタクも、その存在が市民権を得ているのは「消費する主体」だからです。消費は、この世界では「善」とされている。それを言い出したらこの話は終わりです。
単純に「欲しいもの」と「必要なもの」、区別ちゃんとしてるか?と自分に問うているかどうか、なんです。
もちろん、「欲しい」のは「必要だから」なんですよ。そこがちょっとややこしいですよね。これを我々は、混同して生きてるんです。
つまり厳密には、「必要だから欲しい場合」と、「欲しいから欲しい場合」があるって事です。
これを「必要だから欲しい場合」に限りなく近づけていくことが出来たら…というお話ですw
食べ物で考えれば、恐ろしく単純化できるかもしれません。食べるには、栄養があればそれでとりあえずがいいですよね。ライオンとか鹿とか、もうそれこそがむしゃらに「栄養狙い」で行ってますからw
人間的要素として「味が一定以上ないと、食べるのは苦しい」を加味したとしても、たいてい食べ物に関しては
・味
・栄養
があればそれでいいと言うことになります。
生きる上で必要なのは「栄養」と「味」です。
まぁ、「腐ってないこと」とか細かくは他にもありそうですけども。
これが「必要」です。
それだけを探せばいいのに、どうしていろんなお店に、行列ができるんでしょう。配給とか炊き出しじゃないのに。
これは、もう「欲しい」と言う段階になってるからですね。「必要」を、はるかに超えている。
ここには、いろんな要素が乗っかってきますよね。
・見た目
・流行
・かわいい
・ステータス
・中毒性
など。
あと、なんらかの、「他の欲求とセット」になってるというのもあるかもしれない。
あんまり意味あるグラフではなかったですがwww、あらゆる、家にあるもの普段使ってるもの、着てるもの持ちもの、「必要」の範囲をはるかに超えて、「欲しい!」と渇望しているという現実。
欲を肯定することこそ現代社会での作法だ、という言い方もあるでしょうけれども、「欲しい!」と思う理由には、「必要だから!」と、「欲しいから!」の2つがあるということを、覚えておく「必要」が、あると思います。