若干雑感羅列集

初詣と抱負と笑ってしまう芸と東京と氷室京介とキラキラネーム

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初詣イメージの持続

特定の宗教である施設に、特定の日に必ず参拝をするという風に書くとその宗教の熱心な信者でしかあり得ないように見える。現実に宗教心のカケラも持たずとも習慣の一つ(まるで健康診断のように)として慣行されている。「初詣」は文字通り詣でるのが今年初、であれば2月でも8月でも初詣である。実は暇を持て余す日本人の勤勉さを逆手に取り、沿線にある神社に人の流れを作ろうと電鉄会社が張ったキャンペーンだったということは、あまり知られていないし、知られてももう元には戻らない。特定の宗教にとっては年に一度、桁違いの参拝客が訪れることはお賽銭を考えただけでも完全な「稼ぎ時」であり、そこにはできるだけ「ご利益」「一年の計」のような曖昧で模糊なイメージが永遠にまとわりついていてもらいたいという激しい現世利益的な欲望が見え隠れする。

 

笑ってしまう芸の誘い

お笑いオタクを気取る男性も、下品なものから目を逸らす女性も、実は半裸の芸人には爆笑してしまうものだ。それは長らく宴会芸として「裸踊り」が君臨していたことと、関連性は浅くないと思われる。日常生活において全裸(および半裸)は、非日常を簡単に演出してくれる「衣装」になり得る。何気ない商店街に、全裸(および半裸)の人が1人いるだけで、その空間は異常な熱気(または犯罪性)を帯びたものになる。自分の裸は日常だが他人の裸は非日常のシンボルなのだ。その「非日常への誘(いざな)い」に乗ってしまえる人は、半裸の芸人に爆笑しやすいのかも知れない。「自分にはできない思い切り」に内心、感動してしまっている可能性もある。まるでシリアルキラーを題材にした映画に、人には言えないけれど惹かれてしまうのと、どこか似ている気がする。

 

抱負をすらすら言う胡散臭さ

「豊富」と発音が同じであるがゆえに、なぜか「良いことを言わないといけない」と脅迫されているニュアンスさえ混じる抱負。毎年の初頭に優等生的な言質がとられ、数ヶ月のうちにさっぱり忘れ去られる。その内容は自分自身が「抱(いだ)き、負(お)う」ことならなんでも良いはずなのだが、「抱負」を口にしなければならないという機会が訪れた時、たいていの人は「去年よりぐうたらで、すべてダメになっていっても構わないのでサボります」みたいなことは言わない。言ってはならない空気がある。「さらに向上すべく邁進し、努力します」というようなプラス思考を無理矢理にでも披瀝しないといけない。この同調を迫る圧力は、年始独特のものだ。そんな意気込みが本当に年始に用意できるなら、去年から始めておけばもっと早く向上していくはずであり、年が変わってから思いついた程度のことが、1年間ですべて達成できるわけがない。聞く方も答える方も、時間つぶしとして扱われているのが「抱負」というメッセージ遊びである。

 

東京は後戻りしない

「東京」というタイトルの曲はたくさんあるが、Mr.Childrenの「東京」の2番は「東京は後戻りしない」から始まる。一極集中は昔から批判する時に使われる四字熟語だが、地方創生が高らかに謳われ始めた時代から、日本全体の人口増加への手立てはなんら打たれていなかった。その結果、もはや何をやっても都会への人口集中は絶対に避けられない。残った人たちが都会を目指すことは止められない。逆に、本当に地方に人口が散らばってしまうと国自体が瞬時に衰退する危機に陥っているとも言える。東京と似た街を地方に作っても活性化は絶対にしない。なぜならそれを活用し、育て、捨て、後戻りせずに進んでいく人員が、地方には決定的に足りないからだ。南にある島々が美しかったり新鮮な魚介がいつでも食べられたり、地方の魅力を伝えるその土地出身者の親善大使もたくさんいるが、そんなに素晴らしいのなら地元になぜ帰って暮らさないのか、なぜそもそも東京に出てきて活動しようと思ったのか、という問いに答えられる人はいない。東京は、後戻りしない。あらゆるジャンルで国の最先端モデルとして君臨し続ける。それは崩壊の端緒としても例外ではないだろう。

 

性格の持つ可塑性に賭けろ

性格は変えられる。性格には2系統あり、持って生まれた自分の特徴に根差したものと、自分の選択によって変化した行動の結果によって形成されたものがある。当然、前者は変えることができないが、後者は選択の結果で得たものなので、今後の選択を変化させることで変えていくことが可能なのだ。今まで、赤を選んでいたのなら青を選ぶ。北国に住んでいたのなら南方に住んでみる。自分の背丈は変えられないが、わざと選択を変えることはできる。そのほんの小さな選択の変化が、自分の行動の結果に反映し、それが積み重なってやがて新しい性格になっていく。これは信じる・信じないのオカルト話ではない。「自分はこういう性格なんで…」と開き直っている人は、2系統のうちの前者、「持って生まれた自分の特徴に根差したもの」を指して語っていることをわかっておらず、2系統あることにすら気づいていない。あるいは、フィクションに出てくるキャラクターのモノマネをしているに過ぎない。

 

氷室京介を留年し続ける我々

ステージを去って7年。2020年に行われた「氷室京介展LX-揺るぎなき美学と挑戦-」はついに東京会場での開催がないまま2年以上が経とうとしている。大阪会場開催時に展示してあったご本人からの「来年は新しいアルバムを」というメッセージもまだ実現には至らず、いつかの「自分で撮影したものを集めた写真集を作ろうと思う」というのもついに実現しないままである。ファンは、ライブ映像と合成したヴァーチャルを花火をテレビタレントと一緒に…というテレビのバラエティ的なイベントを望んでいるわけではない。ライブ復活は叶わないものの長年のファンは何らかの、オフィシャルな、筋の通った、重みのある、クオリティの高いものを求めているのである。

 

キラキラネームのその先に

キラキラネームは別名「DQNネーム」と呼ばれる。「DQN」はドキュンと読む。このドキュンとは、90年代に放送されていた「目撃!ドキュン」というテレビ番組からもたらされたものだ。この番組ではよく、不良やチンピラの風情を持つ人たちがドキュメント風に取り上げられ、どうしようもないレベルのヤンキー夫婦が話題になったりしていた。だんだんネット上で「ドキュン」と言えばそういう人たち(「目撃!ドキュン」に出ているような人たち)を指すようになっていった。アルファベットはただの当て字である。彼らが無い知恵を絞り、個性の発露として捻り出した独特な命名が「DQNネーム」と呼ばれるのには時間はかからなかった。昔の暴走族の「夜露死苦」と同じ路線にあることは明白だったからである。そこから少し時間が経って、その許容範囲や適用概念は広がっていった。とてもDQN属性ではないであろうと思われるご家庭でお育ちの様子のアナウンサーに「金井憧れ」という方がおられ、これはもう「キラキラ」をすら、遥か彼方に突き放す神々しさを発している。

 

 

 

 

 







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