鎌倉殿の13人

鎌倉殿の13人 第16回『伝説の幕開け』

投稿日:2022年4月25日 更新日:

大きな代償を払い、

頼朝は、御家人たちを

まとめあげた。

義経は鎌倉からの援軍を

待っている。

戦が近づいている。

「御恩と奉公」の本音

冒頭、北条泰時(幼名・金剛)が生まれ、北条時政(ほうじょうときまさ・坂東彌十郎)が戻ってきたたシーンに、なんとも不穏なBGMが流れてましたね。北条ヨシトキ(小栗旬)も陰鬱な顔をしていました。

「誰かに落ち度があれば、所領が自分のものになる」と、北条時政は御家人たちと鎌倉殿との新しい関係性(システム)について慨嘆しました。上総介広常(かずさのすけひろつね・佐藤浩一)が殺され、その所領が千葉氏や三浦氏に改めて与えられたことを指しています。
東国支配を源頼朝(みなもとのよりとも・大泉洋)が管理するとはそういうことだ、という認識が一気に浸透し、御家人はみな、鎌倉を注視し、顔色を伺いながら生きていくことになった。

いよいよ戦に。

木曽義仲(きそよしなか・青木崇高)が後白河法皇(ごしらかわほう・西田敏行)を脅して源頼朝追討の院宣を発信。
こういう時にも「木曽義仲が源頼朝を倒す!」とは言わず、「院の命令であるから源頼朝を倒す」という形式を取るんですね。
こういうの、京都で強い軍勢に脅されるとなんでも出しちゃうしかないのが朝廷のツラいところ。
その事情を周りの公家もみんな知ってるので、「こんなの、いずれ戦次第でなんとでもなる」ものであることも承知してる感じです。逆に言えば、京都さえ武力で奪還すれば(法皇さえ奪還すれば)なんとでもなるのが、平家の隆盛以降の京の政治の世界。

しょうがないから源頼朝は、実力で木曽義仲を倒すしかなくなってしまいました。
じゃあ人質の源義高くん(みなもとのよしたか・市川染五郎)はどうなるの…。

源義経(みなもとのよしつね・菅田将暉)と梶原景時(かじわらのかげとき・中村獅童)の確執もじわじわ燻ってきてますが、木曽義仲は京の宿所で、不思議なことを言ってました。「(源頼朝は)我らと手を組むつもりはないのか」「我らは盟約を結んだはずだ。」ってお前、源頼朝追悼の院宣を出せって法皇に迫ったんじゃないのか。それで盟約がどうとか手を組むとかはもう、手遅れだろうに。

うーん、これ、順番としておかしくないですか。

木曽義仲は「なんで(鎌倉が)攻めてくるんだ!?」と京で驚いている。
平家攻めをやってた途中、その情報を得て急いで戻ってきたそうです。

ということはやっぱり、この時点ではまだ、命令は出されてないんじゃないですかね。
「追討せよ」の院宣は、追討対象じゃなくて追討する側に対して出されるはずです。
それを鎌倉で源頼朝が知ってるということは、発布はだいぶ前(少なくとも1週間くらい前)のはずでしょう。源頼朝が「自分を追討せよだと!?」と知った時点で、木曽義仲が「盟約があるはずなのに!」と憤ってるのはおかしい。

鎌倉勢が源範頼(みなもとののりより・)を総大将として上洛してくることを知って、源頼朝追悼の宣旨を要求したっていう順番じゃないとおかしい気がする。

木曽義仲に脅されて「源頼朝追討」の院宣を出す前に、すでに後白河法皇は源頼朝に、内々に「木曽義仲追討」の命令を下していたということに、なるではないですか。だからこその上洛計画だった、のか。

弁慶の控えめな活躍が目に沁みます。戦場では源義経の狂戦士ぶりが梶原景時の冷静さとの対比を呼んでおり、木曽義仲を追い詰め、判断を狂わせることに喜びを感じている様子が伺えました。しかしドラマでは、最近の研究による「木曽義仲は昔から言われていたような野蛮人でも、戦を知らない無法者でもない」という人物評が生かされてましたね。もうどうしようもない情勢に追い込まれているにもかかわらず、まだ冷静に戦況を読もうとしている。

そう思うと木曽義仲ってやっぱりなんか、可哀想なんですよね。
源義経に敗れ、源頼朝に後世まで野蛮な悪者扱いされてしまいますけれど、源氏の正統として、真っ当な認識を持っていることがセリフでも表現されていました。もし木曽義仲が平家追討を完遂していたら、三種の神器はちゃんと戻ってきたのかも知れない。

それとも木曽義仲が平家にしっかり敗れて逃げ、京都を奪還した平家を、どこかで鎌倉軍と合流して打ち破るという未来もあったのか…。

おそらくどんな未来もなかった。
最初から、源頼朝は自分以外の源氏の正統性など認めるつもりはなかったのだと思います。
木曽義仲との盟約など、都合でどうとでも反故にすれば良い。
木曽義仲もその息子の源義高も源義経も源範頼も、最初から全員殺すつもりだった。

勇猛の女傑・巴御前(ともえごぜん・秋元才加)は和田義盛(わだのよしもり・横田栄司)の妻になったんですね…木曽義仲とともに討死したという説もあるようですし、運命を共に…という方がそれらしいのに、と思ったりもしますが。そうやって生き延びる道も、当時の女子にはあった。

そして、どちらにしても後白河法皇は「都が安らかであれば武士なんか別に誰でもいい」というのが本音です。

真っ直ぐで従順な源義経を、法皇は気に入る。
その蜜月すらも「伝説(悲劇)の幕開け」の一つになるんですね。

バーサーカー・源義経の戦略をすぐに飲み込む畠山重忠(はたけやまのしげただ・中川大志)。
武の中の武・勇の中の勇である豪の者畠山重忠は、戦についての理解力がレベル違いなのですね。

坂東武者の戦の常識を暴言でひっくり返していく源義経。
それに乗った風に見せて、失策を待っているようにも見える梶原景時。

一ノ谷の戦いで源義経の急襲が成功したのは、平家軍が後白河法皇の仲立ちによる停戦中で油断していたというのが定説なのですが、それは源義経の「騙し討ち作戦」だったと。

でもそれって、普通は「法皇の顔を潰す」ことになると思うんですけどね…。

奇策をどんどん思いついて行動に移し、成功させてしまうので付き従う兵たちも乗ってくる…というところがあったのかも知れません。
そう言えば奥州で育った源義経は、「坂東武者」ではないんです。

馬をかつぐ豪傑

「馬を背負ってでも」と微笑していた武の中の武・勇の中の勇である豪の者畠山重忠、本当に末代まで語られることになります。
埼玉県深谷市の「畠山重忠公史跡公園」に、まさにその言い伝えが「末代まで語る用」に建立されているそうです。

0:36ごろから

場所はここ。

武の中の武・勇の中の勇である豪傑中の豪傑である畠山重忠なら、これくらいのことはあったでしょう。
とはいえ、当時の馬はこんなに大きくなかったんですよね。
古墳時代中期までは日本に馬という生き物はおらず、輸入された後、東北や関東の平原は馬を育てるにはちょうどいいとして、馬の産地になっていく。

我々が現在、競馬などで見ている馬はサラブレッド種で、明治以降にやってきた。
在来種は大体、ポニーくらいの大きさだったそうです。
ずいぶん、ドラマや映画とは趣が違いますね。

だけどたまに、「名馬」っていう話が出てくるじゃないですか。
例えば源義経が考案した「先陣争いをさせよ」という戦術で実際に先陣争いを演じた佐々木高綱が乗っていたのは、源頼朝から送られた名馬・生唼(いけずき)。

墓まである!

では、ポニー大の国産馬の中で、伝記や資料によく出てくる「名馬」というのは、どういうことなんでしょう。
やっぱり「たまに筋骨隆々、めちゃくちゃに逞しくてデカい馬が突然変異で生まれる」っていうことなんじゃないかと勝手に思ってるんですがどうでしょう。

花の慶次が乗ってる「松風」なんか絶対そうでしょう。
ちなみにラオウが乗ってる「黒王」は1990年代生まれのはずですから日本にいた可能性はぜんぜんあり得ます。
フランスさんの「ペルシュロン」という馬種はめちゃくちゃデカく、8世紀には存在してたそうなので、室町末期に輸入されたのが逃げて野生化して松風に…というのは考えられなくもない。

花の慶次©️原哲夫/隆慶一郎

北斗の拳©️原哲夫/武論尊

普通は、突然変異で大きくて逞しい規格外の馬が生まれたら、さすがにこれは同列には並べられないから貴人に贈る流れになるだろう、ということだったんでしょう。
そして体格も立派な、猛将こそが乗るにふさわしい、ということになるぞ的な。

なので武の中の武・勇の中の勇である豪傑中の豪傑である畠山重忠なら、銅像になってるくらいのサラブレッド大の馬に乗り、なおかつそれを背負って谷を下るくらいのことはやってのけたのではないか、と。

歌川広重の手による畠山重忠。そう持つ!?フルに担ぐ!?

 

海岸沿いに布陣していた平家軍、まさか山側から源氏軍が攻めてくるとは思わず、海に逃げるしか無くなります。しかしそれが、「おまえ…やりすぎだろう…」という方向へ向かって行ってしまう。

今回の『鎌倉殿の13人紀行』は、ここでした。

義仲寺

 







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