低い家格ながら、右大臣にまで昇りつめ、「菅丞相」と号した。
藤原時平との権力争いの結果、太宰府に流され、そこで没した。
その後に京には厄災が続き、天皇の住まいにまで落雷したのでこれを彼の「祟り」だと多くの人が思った。
彼の死後50年近く経った947年、北野天満宮が作られ、「天神様」として全国に信仰が広まった。
※彼の上奏で廃止になったが、遣唐使に選ばれたことも、追放の企ての一つだと言われている。
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斎藤孝監修。
自然、歴史、文学、科学・技術、芸術、伝統・文化、哲学・思想の7分野からの、日本にまつわる365日分の知識。この本をさらっと読み、知ってるようで知らなかったことをさらっと初めて知りつつ、ああそうなんだね~なんて知ったかぶりしながらほんの少しだけ、書くことを1年間続けます。最低限「350ページ以上ある本を読んだよ!」の事実が残るだけでも、価値はゼロではないはず。言わんや「教養が身につくかどうか」なんて、知ったことかと。
1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365