全編通しては、まだ観てないんですけれども。
「M-1」の“あれは漫才なのか論争”から透けて見える「笑ってられないこと」
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakanishimasao/20201226-00214623/
何をどう答えていいのか。正直、全く分かりませんでした。
それはなぜなのか。
“論争”なんて起こっていないから。その言葉に尽きます。
「あれは漫才じゃない」って言ってる人って、
和楽器が入ってるからロックじゃない
ロープウェーに乗ったら登山じゃない
ハンバーグが乗ってるのはお寿司じゃない
イチゴが入ってたら大福じゃない
チーズが入ってたら餃子じゃない
11時ごろ食べるのは朝食じゃない
とか怒ってる間に毎年、大晦日になってたりするんでしょうね。人生短そう。
ネタ部分の録画を観たんです(両方)が、マジカルラブリー(敬称略)、完全に漫才以外にネーミングのしようがない感じでした。
なんだ…まったく意味のない、自分の生活に不満がある人が嫉妬で「俺(私)はわかってる側の人間なのに不遇なだけなんだ」を別の言い方で言ってるやつか…っていう感じで、拍子抜けです。時間の無駄でした。
だけど実は、「あれは漫才じゃない」という言葉は、かなり昔から使われている批判の常套句だったりするんです。
そう言えば2002年には、こんなこともありましたね。
“談志節”が全開! 『M-1グランプリ』審査員での立川談志エピソード
https://www.excite.co.jp/news/article/E1480562012995/
テツandトモには「お前らここへ出てくる奴じゃない、もういいよ」と言ってのけた。だが、続けて「俺、褒めてんだぜ。わかってるよな?」と加える。これはすでに芸風も確立された彼らは新人ではないと見た、談志なりのエールであったのだろう。
そもそも演芸としての「漫才」というのは、三味線弾いたり鼓を叩いたり、唄を歌ったりするのが当たり前の芸でした。内海桂子・好江(敬称略)を思い出すと分かりやすいですね。
「しゃべるだけ」の漫才ができたのはやっと昭和初期。
横山エンタツ・花菱アチャコ(敬称略)がその基礎を作ったと言われています。
これ、エンタツアチャコの功績は疑うべくもないものなんですが、マージー・ビートと同じで、その時代の要請によって「新しい芸」が求められていたんだと思うんですよね。
「マージー・ビート」の誕生とジョンが執筆したビートルズのバイオグラフィ
https://www.udiscovermusic.jp/stories/the-birth-of-mersey-beat
ビートルズが爆発的に売れたから、リバプール・サウンドたるああいう感じの音楽は世界が認めるようになった。同じような感じのことをやってたバンドは、たくさんあったはず。
エンタツアチャコが爆発的に売れたから、「しゃべくり漫才」たるああいう感じの漫才が全国で認められるようになった。同じようなことをやってた漫才師は、たくさんあったはずです。
楽器も持たず、踊りも踊らず、スーツ姿のおっさん二人がただしゃべるだけ。
一体いくつもの、「あれは漫才じゃない」という罵声が、浴びせかけられたのでしょう。初期のその厳しい環境は、想像に難くないですね。
なので時代が2002年でなければ、テツandトモ(敬称略)以外が、「あれは漫才じゃない」と言われてたかも知れないってことでもあります。
…というか、あの程度で「あれは漫才じゃない」って思いたい人って、おそらく、「メガネメガネメガネ…」とか「ふた開けて〜掃除して〜弾込めて〜」っていうネタ、観たことないんでしょうね。レツゴー3匹(敬称略)も多分、観たことないんでしょう。
知らないのは何も悪いことじゃないけど、たいてい「あれは◯◯じゃない」という言葉が出るやつって、結構ストレートに◯◯なんですよね。これは教訓として覚えておくべきかも知れない。自分の視野が異常に狭いだけだから。
…と思っていろいろ見てたら、すでに答えが、ぜんぶ書いてありました。
M-1グランプリを終えて
https://ameblo.jp/takeshi-tomizawa/entry-12645577075.html
今回は以上です。