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「最後通牒ゲーム」に納得できるかどうかが人生の分かれ目!?

投稿日:2016年7月30日 更新日:

最後通牒ゲーム』とはどのようなものなのかを、簡単に説明します。

 

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このルールは絶対で、変更できません。

まずこの前提を忘れないように心に刻んでください。
でないと、楽しみもジレンマも、堪能できません。

●10,000円を2人で分け合います。
●2人は別々の部屋にいて、情報交換は出来ないし、相手が誰かもわかりません。
●2人のうち、一方が「提案者」となり、他方は「回答者」となります。
●どちらが「提案者」になるかは、コイン投げをして決めておきます。

●「提案者」は、この10,000円をどう分けるか、つまり相手と自分の取り分をいくらにするかを『1回だけ』提案することが出来ます。
提案する金額は、1円単位で調整可能としておきます。

●反対に「回答者」は、その提案に対して「YES」か「NO」を答えます。
もちろん「回答者」も、このルールと金額(10,000円である事)は知っています。
●回答が「YES」ならその時点で取引は成立し、「提案者」の提案通りの金額を、そのまま双方が受け取ることが出来ます。
しかし回答が「NO」なら、10,000円は没収されてしまい、2人とも何も得られません。

ゲームは一回限りで、やり直しが出来ません。

 

この場合、あなたが「提案者」ならどう提案しますか?

既存の経済学上での答えは…

「提案者は、相手の取り分を1円にして、自分は9,999円を取りに行くべきである。」

なのだそうです。

そんなことが、「提案者」であるあなたにできるでしょうか。

やるべきなのだそうです。

なぜならば、お互いが“金銭的利益の最大化”、つまりお互い一番儲かる状態を目指すわけですから(そういうゲームだという認識はあるはずだから)、「提案者」であるあなたは、相手に拒否されない限り、なるべく多く自分が儲かる金額を提案した方が良いわけです。

「一番儲かる」を目指す限り、9,999円があなたの儲けの、最大値です。

「このくらいでどう?」と金額を提示できる権利は「提案者」であるあなたにしかなく、「回答者」にはないんです。

「半々にします?」とかいう相談はできなくて、相手のことも知らない。
「いえ、私は3,000円くらいでいいですよ!」っていう相手の謙遜も、「今度オゴりますね」みたいな約束もできない。

最大の利益を考えて、その気になれば「相手が1円」という提案は、不可能ではないわけですよね。

 

いやしかし…とためらうのは当然です。

「なんでそんな差があるんだコノヤロウ」という反応が、向こうに起こるのは当然予想されるからです。
しかし、ここがいっちばん重要なんですが、“金銭的利益の最大化”、つまり一番儲かる状態を目指すという観点からすれば、「回答者」も、拒否は絶対にしないほうが良いわけです。

なぜならば、ルールをしっかり思い出してください。

拒否すれば1円ももらえない!

相手の提案が「1円です、どうですか」であっても、その時点で「最大の利益」であることはまちがいないんです。
それを考えれば、提案者の金額がたとえ1円でも100円でも、「もらえないよりはマシ」という理由で、提案を受け入れるべきなのです。

納得いきましたか?
いきませんね…。

 

やっぱり「なんでそんな割合なんだよコノヤロウ」が心にのしかかります。

自分が「回答者」であったなら、「1円だったら要らねえ!」と拒否する可能性も高いですよね。
「バカにすんなっ!」とね。
ではその時点で、0円になります。「拒否」はただちに0円です。

相手(提案者)が9,999円も取得している一方で、自分が1円などというのは許せません。
許せない?納得がいかない?

 

そう、これはもう、「感情の問題」なのですね。

自分の利益そのものではなく、「相手が(不当に)利益を得ることは許せない」という、本当は自分とは関係ない部分での感情が、経済活動(本当は1円でもプラスになった方が得なのに)を邪魔しているというおもしろい例なんだそうです。

相手がいくら持ってようが、大事なのは「自分にいくら入ってくるか」であるはずなのに、どこかで「あいつのせいで自分の取り分が減ってる」という感情がふくらんでしまうと、感情を優先して「要らない!そして許さない!」みたいになっちゃうってことですね。

いわばルールを無視して、感情に流されちゃう。

 

それが「最後通牒ゲーム」。

実際の、現実の交渉ごとや取引では「回答者(見積もりをもらう側?)」がルールじたい(全体の予算とか真実の金額)を知らないことが普通ですから、「提案者」は、冷静な、相手の感情をコントロールする事が重要になってくるわけですね。

感情が邪魔する、という意味でよく似た例があります。

よく、パチンコ屋に通う人がこう言っているのを聞いたことありませんか?

「オレがその台を打ち終わったら、次に座ったオッサンが大当たりを連発していた」。

悔しがっている姿を見た事がある人も多いでしょう。
この人に、「それは君とはなんら関係がないことじゃないか」と言っても納得してもらえません。
納得できません?

本人が遊戯している間しか、その台と本人には関連性はありません。
打つのを止めてしまえば、パチンコ台は「その人が座る前の状態」と同じに戻ります。

いえ、設定が、ではなくて、「関係性が」です。
「関係性」のあるなしは、「設定の高い・低い」よりも重要です。

次に座ったオッサンの利益が、さっき離れた自分の損失とつながっている事などありえません。
席を離れたら、もう権利がないので、関係性は切り離されています。

だけどそうじゃない。なんかハラタツ。

これも「相手が(不当に)利益を得ることは許せない」という理解の仕方ですよね。
本来なら完全に誤っています。

しかし、それを一瞬「じゃあ止めなければその利益も君のモノだったのにね!」と同情できるのも、冷静な判断力を失った、「感情」と言えるのではないでしょうか。

 

「最後通牒ゲーム」、友人やお仲間に一度、説明して挑戦してみてください。
あなた(提案者)の「9999円 : 1円」を一発で受け入れる人がいたら、尊敬して一生付き合うべきかもしれない。

 







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