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天狗が裁くよ!

投稿日:2018年8月13日 更新日:

福崎町観光協会 福崎町妖怪プラモデルNo.2 天狗 ノンスケール プラモデル

ホラー華やかなりし葉月、そう言えば…と思い出して今回の話題にすることにしました、「怖い」話。怖いと言っても数種類ある怖さ、こんな奇想天外な内容が最近ではなく、何百年か前に発想されたものかもしれない、という驚きと、それを笑いにまぶそうとする気概、が、とにかくいいんですよね。

【境界カメラ#51】
徳田神也の理詰め&BLUES + 第7回
〜天狗が裁くよ!〜
http://live.nicovideo.jp/watch/lv314832054

 

はなはだ簡単ではありますが、内容に関する感想を、挙げた全作について、改めて書いておきますね。

・幽霊の辻

これは出てくるネーミングが絶妙です。「首くくりの松」とか。地名やランドマークの名前は地元の人には慣れてなんとも思えないけれど、他所の土地から来た者やある感情を帯びて訪れた者からすると、なんでそんなおぞましい名前を…というようなことになる。例えば静岡県浜松市には「小豆餅(あずきもち)」という地名があります。郵便番号433-8113。三方ヶ原の戦いで武田信玄にコテンパンにやられた徳川家康が、この辺りで小豆餅を食べた…という逸話から来てるそうです(諸説あり)。

 

・真景累ヶ淵

しんけい・かさねがふち。「真説」みたいな意味と「神経」をかけてあるんだそうです。これも、もともとみんながよく知っていた不思議な話・怪談のような噂話を、まとめて落語にまで煮詰めた、というものですよね。累(かさね・るい)と聞けばこの話、みたいに、みんなイメージを持ってた。お菊さん・お露さん・お岩さん・お累(るい)さん、みたいな感じだったのかな。

 

・怪談市川堤

だいたい、人を殺しておいてうまくいくなんて…、みたいな、「天網恢恢疎にして漏らさず」みたいな、悪事には必ずバチが当たるものよ、みたいな社会通念というか、躾の一環、みたいなものがベースに流れているような気すらして来ます。流転する人生の中に、忘れがたき悪事を抱えて善人に成り上がった人。そういう、誰か実名は出せないモデルがいるのかも、ですよね。

 

・お化け長屋

このタイプのお話は、怖くない。だけど「怖いものはある」ということを前提に、人が怖がることをうまく使って笑いに変えているんですよね。構造としては、「幽霊の辻」にも似てる。長屋の暮らしがベースにある。そういう風俗が見えてくる話はとにかく楽しい。

 

・お化けへっつい

お化けが出ることはもはや既成事実として、もう誰も疑わない。「きつねに騙された」「たぬきに騙された」みたいな話が普通にあった時代、「お化け・幽霊」は人智を超えた、優先すべき存在だったんですね。しかし「勢いのある、お化けが怖くないという男」、よく出て来ますね。「恨めしい」に対して「なにおう!?冷や飯ぃ!?」っていうところとか、とても面白い。

 

・化け物娘

病気に関する、時代的な不理解。それをベースにしているので、現代ではあまり受け入れられるとは思えない話ってけっこうありますよね。「当時の人に理解をすることはかなわなかった」ということをちゃんとわかってから聴かないと。

 

・牡丹灯籠

人間が殺されて幽霊になる上に、最初から「人間と幽霊が恋仲になった」というところから始まる。この話のベースは中国にあるそうです。だけど「お金」なんですよね、人間の業というか、物語にキュッと曲がり角を曲がらせるのは「金」と「欲」。どこか、教訓が潜んでいるのがこういうお話の特徴ですよね。

 

・死神

呪文が楽しい。神や悪魔は理不尽なえこひいきをするが、死神は等しくみんなを連れていくから平等だ、なんて言われたりもしますが、ある日降りて来た超能力。そんなことでごまかして生きてたっていずれロクなことにならないよ?みたいな気を持ちながら聴く方も聴いてる。人間の寿命についての一つの「型」を見せられたような。そんなに昔の話ではないようにも思えるけれど、死生観を知ることができる貴重な話題だと思います。あじゃらかもくれんちょうたつちょう、じぇーおーえーけー。

 

・崇徳院

「せおはやみ」と聴くと、百人一首よりこの噺が浮かぶ。上の句が物語発展の契機となり。下の句がサゲに使われるというのが素晴らしい。

 

・皿屋敷

「番町皿屋敷」は元は「播州皿屋敷」だったという説もあり「皿屋敷」パターンは違う系統で発展したという説もあり。よほど江戸時代の庶民にとって「恨み」「皿」「井戸」は親しみやすい道具立てだったんですね。ここまで怪談を茶化したストーリーも珍しい。もはや幽霊を、「河童とか天狗とか、想像上の動物」みたいに扱ってる。

 

・ぬけ雀

男はつらいよ第17作「寅次郎夕焼け小焼け」の冒頭で、合成を使って表現されたのがこの「ぬけ雀」ですね。オチになっている「親に籠を描かせた」ですが、一瞬意味がわからない。これは「駕籠かき」の「かく(持つ)」という意味と「絵を描く」の「かく」をかけてあるんですね。親にカゴをかかせる(持たせる)というのは「葬式の時のカゴ、つまり棺桶」を持たせたということで「親より先に死んだ親不孝」を表している。「親にカゴをかかせた」というのは、そういう意味なんですね。

【訂正・追記】
第17作「寅次郎夕焼け小焼け」ではなくて、第29作「寅次郎あじさいの恋」でした。第17作「寅次郎夕焼け小焼け」のオープニングは「ジョーズ」的な、人食いザメと戦う船長の妄想、でした。「寅次郎夕焼け小焼け」の劇場公開は1976年。「JAWS」はその前年の公開でした。

 

・鷺とり

ディズニーか!?というほどのファンタジー感。「空を飛ぶ」という願望は、やっぱり昔の人にもあったんですね。当時の「高い建物」と言えば五重塔。そう言えば「たくさんの鳥で空を飛ぶ」って、確か昔話にもありましたよね。調べてみると、「鴨とり権兵衛」がそうでした。オチには何パターンもあるそうですが、「一人助かって、4人死んだ」は強烈。

 

・こぶ弁慶

これくらい不思議な話ってないでしょう。肩に出来たコブが武蔵坊弁慶になる。しかもそれが出来た経緯が「土を食う癖があるから」。なんの躾なんだとw 「こぶとりじいさん」にしても、昔の医療や科学からすると「こぶ」っていうひとくくりにするしかなくて、その感じだとラクダのこぶと同じに分類されてそうですが、これは前半、旅の話(大津)でもありながら、京都の話でもある。

 

・天神山

動物ファンタジー。狐が本当に身近にいた時代、なんですね。とにかくこの話のすごいのは「主人公が入れ替わる」ことではないでしょうか。最初に出てくる「変チキの源助」、もう途中から一切出て来ない。違う話がどこかでドッキングされたんでしょうか。今も大阪にある、通天閣の横の一心寺さん。その向かいにある安居天満宮。この2つが舞台です。犬猫ほどではないけれど、狐・狸という日常的に見かける動物たちとの距離感が偲ばれる。

 

・仔猫

なぜこの「化け猫」の話が「仔猫」なのか。それがわからない。

 

・胴切り

もはやSFの領域。そう言えばドラえもんにこういう話、なかったでしたっけ。上半身下半身を切り離せるギロチンみたいなやつ。よく通販で「切られたトマトが気がつかない」っていうのがありますが、まさにそれ。どんなイメージを聴くものに抱かさせるか、こういう話は、噺家さんの腕の見せ所、みたいな感じがします。

 

・質屋蔵

質屋さんの蔵には、それはそれは念のこもった、恨みの詰まったモノがあるはず、という想像を膨らまして出来たお話。「あいつは強い」ということで呼び出されたら勘違いして、悪事がボロボロ露見する男の描写が面白い。

 

・首提灯

だいたい、「提灯を持って歩く」ということがすでに非日常である現在、「首提灯」と言われてもヴィジュアルが浮かばないんですよね。そこから想像しないといけない。「武士=刀剣」というものがある時代。「まるたんぼう」「ぼこすり野郎」「かんちょうらい」「サンピン」など、意味不明の罵詈雑言が酔っ払いからどんどん出てくる楽しさ。

 

・千両みかん

これはもはや、冷蔵・冷凍技術の発達した現代ではうまく想像できないですよね。「旬のものは旬にしかない」というのが当たり前だったんだし、だからこそ旬と呼んでた。中に出てくる「逆さ磔(はりつつけ)って、誰が考えたんでしょうね。

 

・猫の忠信

「狐忠信(きつねただのぶ)をモジって、見事に怪異譚に仕上げてある。「地面を掘るほど高くつくことはない」という表現が微笑ましくもリアル。そして怪猫の来歴が語られる部分。「頃は人皇百六代。正親町天皇の御宇、山城大和二か国に、田鼠といえる鼠はびこり、民百姓の悲しみに、時の博士に占わせしに、高貴の方に飼われたる、素性正しき三毛猫の、生皮をもて三味に張り、天に向かいて弾くときは、田鼠直ちに去るとある。わたくしの両親は、伏見院様の手もとに飼われ、受けし果報が仇となり、生皮剥がれ三味に張られました。そのときはまだ仔猫のわたし、父恋し、母恋し、ゴロニャンニャンと鳴くばかり、流れながれてその三味が、ご当家さまにありと聞き、かく常吉さまの姿をば借り受け、当家へこそは、入り込みしが……、あれあれあれ、あれに掛かりしあの三味の、表皮は父の皮、裏皮は母の皮、わたくしはあの三味線の、子でございます!」…すごい話です。

 

・権兵衛狸

タヌキにも悪いイタズラするのがいるんですね。足でもなく尻尾でもなく「バックヘッドで戸を叩く」という、身近な動物への優しい観察眼。この話は「江戸→上方」という方向で移植されたんだそうですね。もはや「日本昔ばなし」。

 

・貧乏神

本格的に、神がかった貧乏になると、貧乏神を使役出来るようになるのですねw

 

・景清

目の不自由な人、を題材にした物語は、「神頼み」がセットになっています。つまり医学が発達していなかった時代、重い眼病は、もはや「祈祷」の領域だったんですね。楊柳観音との直応対。この仏様は病気からの救済を司るんですね。「悪七兵衛」と呼ばれた平景清は、源頼朝暗殺に失敗し、「源氏の世を見るのは耐えらぬ」と、自分で目をくり抜いて捨てた、という伝説があります。だからって「その目を貸し与えん」じゃねえよ、とは思いますがw 人形浄瑠璃「出世景清」が、後半の踊りや謡のベースにもなってるんでしょうかね。

 

・義眼

そんなストレートなタイトルを…。しかしこれはほとんど、酔っ払いの描写が上手じゃないと面白みゼロだろ…と、枝雀師匠の録音を聴いて思います。だけどラストは、ひょっとすると一番ホラーw

 

・九日目

「九日間」ではないんですよね。死生観というか。「あと9日あったら、自分なら何をするか??」を考えたりしますよね。主人公はそこそこに鬱憤を晴らしたりするんだけれど、「うん、俺がやりたかったのは、こんなことだったのか!?」とw

 

・さくらんぼ

あたまやま、としてアニメが、話題になりました。なんでこんな事思いつくんだろう。メタメタにメタい。

 

・不動坊

「不動の滝」ということから、女房は「お滝さん」です。真冬の話。この噺を名人が真夏にしたら、観客が一枚上着を着た、なんて逸話も。

 

・五光

「桔梗」「松」「桜」「坊主」「雨」で五光。ちょっと突然なオチです。あの娘さんはそのあとどうなった、とかはもうわからないw

 

・骨釣り

髑髏(しゃれこうべ)のことであっても「骨(こつ)」と呼んでしまうその豪快さ。若旦那の船遊びから一点、だけど夜中に幽霊がやってきて…というこのパターン、「天神山」と構造は同じですよね。

 

・野ざらし

江戸の「粋」が加わると、「骨釣り」が「野ざらし」になる…w!

 

・たちぎれ線香

情が残る、念が漂う、みたいな。花柳界の、裏側というか、仕事の時間じゃない「素」部分が見れたような。こういう話は、表も裏も知ってる人でないと作れない。「人の念が残る」というのが時代としての共通認識だったんですね。

 

・狸の化寺

「黒鍬(くろくわ)の連中」という、フリーの土木集団の存在を知ることができます。もしかすると土建屋、および現代的ヤクザの下地になったのかもしれない集団ですね。川の堤防改修とか橋梁工事とか、公的な事業以外にも、需要がたくさんあったのでしょう。戦のあった時代には、戦死者の収容や埋葬を請け負ったとも言われているそうです。「穢れ」に触れるという意味で、初期には流浪の被差別民であった可能性もありますね。

 

・小倉船 龍宮界龍都

関門海峡を渡る船。長崎から異国の文化も入ってくるような。そして風光明媚な景色を見つつ、船上での旅人のやりとり。そして突然海底へ。伝説の「猩々」。「西の旅」に属する話、ですね。

 

・狸の賽

タヌキが化けて、しかも人間と共闘するという。身近にもほどがある。これも、ほとんど日本昔ばなしレベル。落語の題材として、地方の説話から持ってきてるパターンもありえますよね。

・ミイラ取り

落語によく出てくる「大店の若旦那の豪遊」って、やっぱり庶民の羨望と嫉妬の対象というか「エライ目に遭え!」みたいな、因果応報の素材としてポピュラーなんでしょうね。

 

・おかふい

まったくおかふい話だ。これも、現代レベルの医学は無い時代。誤解と偏見も厳然と、「嗤う」や「隔離する」や「差別する」のが当たり前な意識がベースとなっている。まくらには他の病気話と共通して「手遅れ医者」のエピソードが多く出てきますね。新宿の廓(くるわ。遊郭)からお土産をいただいて帰ってきた、という設定。めちゃくちゃなことを言い出す、執念の怖さ。鼻を食うグロさ。

 

・ろくろ首

もう、なんだかろくろ首ぜんぜん出てこないまま、馬鹿がバカバカしいことを言っている。なんだか、この噺のタイトルは「馬鹿」でいいんじゃないかとすら思えてくる。オチを言いたいがための、無理やりな設定、という感じ。

 

・蛇含草

江戸落語「そば清」につながる謎の草。現実にある植物として、この蛇含草(蛇眼草ともいう)が何かはわかりません。でも、やっぱり「そば(江戸版)」より「餅(上方版)」の方が、ユーモラスで正しい気がします。

 

・七度狐

狐にもいろいろいる。素朴に里山にいるタイプもいれば、妖怪化している奴もいる。大阪から伊勢へ向かう「東の旅」の一端。

 

・借家怪談

「お化け長屋」と内容は同じです。上方ヴァージョンは「言い方」と「間」で、笑いのポイントを増幅させてる感じはします。

 

・月宮殿星の都

雷様の家に行くという奇想天外さ。現実と天界をダジャレでつなぐ。「地獄八景亡者戯」にも通ずる笑いの作り方。

 

・やかんなめ

「べくない」という家来との、主従を超えた友人関係、みたいなところが微笑ましい下級武士。お話のテーマは、身分制度や権威をおちょくるというか、そういうところにある気がします。

 

・黄金餅

話の最後にはっきり「目黒に黄金餅という店を出した」とはっきり明言するところ、目黒の落語とといえば「目黒のさんま」ですけれど、名前をいただいた店、今もあるのかな…。この話の盛り上がりの一つ、それは「道順」。「下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、私もくたびれた。」ここで喝采。

 

・天狗裁き

まったくもって「夢オチ」は永遠。だんだん状況をエスカレートさせていくのに、「政談モノ」として町奉行まで行ったらたいていそこで終わりそうなものなのに、まだそこからいくか!?という。権威としての天狗。そもそも、夢を見ていたのはどこから?そして繰り返すのか…?

ただ説明しただけで「面白い話だなぁ」と思ってもらえましたよね。

ぜひ、どこかで聴いてみてください。

 

 

 

 

はあ。くたぶれた。次回をお楽しみに。

 

 







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