子供の頃、嫌だった
とにかくなぜ真冬に、半袖半ズボンで背中にタオルを入れてもらいながら、寒空の下を何十分も走らなければならないのかが、今になってもまだわからない。体育の一環や体づくりの一端、ということで強行されていたマラソン大会、走るのが好きで得意な連中は嬉々としてやっていたが、それが嫌でしょうがない側からの意見は一切聞こえてこなかった。嫌がることを許されていなかった。許されるのは、その無理矢理につけられたランキング、下位に甘んじて屈辱を受けることだけである。体育教師たちの嬉しそうな「指導の声」が聞こえる。1ミリの役にも立っていないし、もし可能ならば然るべき機関に訴えてやりたいとすら思う。
奴隷の、奴隷自慢
苦しく虐げられた環境であっても、横並びの存在が現れそれが常態化すると、自分をつなぐ鎖がいかに頑丈か、その先についている鉄球がいかに艶やかで重量感があるか、奴隷は自慢しはじるらしい。本当なら団結して、その鎖を引きちぎるべく結託すべきなのに。過酷な労働と屈辱的な状態であっても、毎日定時にエサがもらえ、固定されながらも身分が保証される境遇を、人は選んでしまう。不安定な自由より、安定した不自由を選ぶのだ。自分は奴隷なのかなんなのか。やっているのかやらされているのか。それくらいはわかるはずだ。
金魚の、フンの遠吠え
芸能人のパトロンというのはたくさんいる。事業に成功した社長は、若い芸能人やスポーツ選手を連れて歩きたがるものだ。ローレックスを時計をプレゼントして喜んでいる。タレントの方も、媚び諂って喜んでいる。異性を当てがわれてはお互いに「ウィンウィンの関係」などと分かったようなことを言っている。そう言えば、お前だけにええ話があるんや。BTSに会いたないか?オレがBTSに会わせたるで。と詐欺を働いて逃げた後、その窮乏を見捨てたと逆恨みして身近な芸能人の暴露を始め、芸能裏社会にまで恨まれて帰国できないまま国会議員になり除名され、今も「真実を伝える」と配信をしている人がいると聞いたが、そんな人への一票も、一票である。盗人にも五分の魂、金魚のフンにも清き一票、だ。
常に、早口であること
早口であることは、次の言葉を高速で探し続けるということでもある。すでに脳内に用意された文言をスピーディに排出するということでもある。どちらにしても、処理を早くしないと間に合わない。これが日常化させれば、考えるスピードも自ずと早くなる。決断までの時間が短縮できる。その巧拙を問わないとすれば、トライ&エラーの回数が増えるという意味では、有利なことが増えるかもしれない。話すだけなら早口で、間違ったら訂正すればいい。ゆっくりしか話せない人が1回目に間違い終わる前に、こちらは訂正までが完了してしまうのだ。早口で話すことは、音読する時に次の文に目を先走らせることに似ている。つまり話す上で「よく使う表現」は脳内から、コピペで口先へ持ってくる感覚だ。いちいち考えない。そのためにはやはり、表現の雛形を、複数知っておく必要があるだろう。
科学で、解明できないもの
科学で解明できないものがあるのは当たり前だ。だからと言って「科学で解明できないから存在する」などという曖昧な表現で論破できると思ったら大間違いだ。幽霊は、科学で解明できていない、だからいる。こんな論法は通用しない。幽霊などいない。いるのは「いるという人たち」だけだ。いること証明は、いると言う人がしなければならず、自白だけではなんの意味もない。理由として「科学で解明できないから」は通らない。幽霊と一緒にしては申し訳ないが(誰にだ)、UFOはいる。宇宙人もいる。幽霊もUFOも現物はハッキリしないが、UFOは科学で解明できないからこそ、いると言い切れる。科学が発達したからこそ、「UFOが宇宙のどこかにいるとわかるからこそ、ここにはいない」ことが解明できる。では神はいるか。科学はついに、神の存在を解明した。いるのか?いないのか?