鎌倉殿の13人

第17回『助命と宿命』

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義経の連勝に鎌倉は湧いた。

しかし、

頼朝とその家族には、

義仲討伐の代償が待っていた。

鎌倉に再び

暗雲が立ちこめる。

 

図にのる狂戦士

源義経(みなもとのよしつね・菅田将暉)と梶原景時(かじわらのかげとき・中村獅童)がぶつかりかけてました。
嘘をついた後「歴史は、そうやって作られていくんだ」と源義経は言いました。

これはもはや皮肉なセリフ、ですよね。
それがわかってるなら自身の行く末も上手に作っていければ良かったのに。
つまりこれは「歴史すらも味方にしてる!」と、彼が傲慢なトランス状態に入っているという表現なのではないでしょうか。特にそれに反論もしない梶原景時は、冷静に何かを考えている様子。

「検非違使(けびいし)」に任命され、のぼせ上がる源義経。
検非違使は刀剣乱舞では敵ですが、武を持って朝廷に仕える役人です。軍勢をもって京に入った源義経に「治安維持を任せるぞよ」という意味なんですね。みんな、貴族は基本的に荒っぽいこととは犯罪者を捕まえるとか言うことを嫌うので、武士が適任っていう感じになってます。当然、荒々しい(血を見るような)仕事は律令には載ってない(ないことになってる)ので、「令外官(りょうげのかん)」です。

そして「頼朝は…忘れて良い…」という後白河法皇(ごしらかわほうおう・西田敏行)の甘言にころっと騙されてる。
「自業自得」の四文字が脳裏に浮かび、彼に重なります。
いかん、いかんよ九郎、ここで調子に乗ってはいかん。

勝手に任官してしまったことが鎌倉にいる源頼朝の逆鱗に触れた…とずっと言われていましたが、最近の研究では、必ずしもそうとも言えないそうです。源頼朝(みなもとのよりとも・大泉洋)も任官じたいは、この時点で特に咎めたりしていない。まだ「大事の前の小事」っていうことなんでしょう。

 

三大敵討ちのひとつ

工藤祐経(くどうすけつね・坪倉由幸)が現れて、そこに「人殺し!」と石を投げつけてきた子供たち2人。あれが「曽我兄弟」となる2人なんですね。

伊東祐親(いとうのすけちか・浅野和之)の嫡男、河津祐泰(かわづすけやす・山口祥行)を殺した工藤祐経への仇討ちは、のちに有名な「曽我物語」となって語り継がれます。
「仇討ちストーリー」が大好きな日本人には、「赤穂事件」も「忠臣蔵」としてどこまでが真実か…わからないくらいフィクショナルに改変されて、それがほぼ事実のように記憶に刷り込まれています。

工藤祐経だって、伊東祐親への恨みで河津祐泰を殺したわけで、怨恨の連鎖が続いていくということになります。そしてあの、幼かった子供たちが恨みを果たすそのエネルギーを、ついでに利用しようとする御家人がいたとか、いなかったとか…。

「平家物語」は有名ですがこの「曽我物語」も、琵琶法師のような盲目の語り部が村々を回って人々に広めた。娯楽の少ない時代にはこれが、いかに強烈なエンターテインメントになったか。どれほど楽しみにしていたか。子供なんかすぐに全編覚えてしまうでしょうね。

「語り部」が津々浦々を回っていた事実、鎌倉時代に物語がまさに人口に膾炙していたことが日本人の、のちの識字率の異様な高さにつながっていったんじゃないか…と思われます。

「曽我物語」は、そうしてすでに語り文学として広く知れ渡っていたであろうものを『吾妻鏡』が採用したという感じだそうなので、都合よく事実が歪曲されて記されている可能性が高いです。最初から脚色ももあるでしょう、わざと書き残してないこともありそう。
そして歌舞伎の演目になったら「かなり昔にはあんなことがあったらしい」で定着してしまった。

ちなみに大阪で「曾我廼家五郎・十郎」の兄弟が作った劇団が、日本で最初の本格的な「喜劇」だったと言われています。明治時代。

芸名にしてもスッと入ってくるくらい、この仇討ち兄弟の名前は有名だったという傍証になりますね。
例えば今ならコンビ名として「ハリーです!ポッターです!」と言ったら「あれから持ってきとるな…」とすぐにわかるという、そういう感じ。

大阪府立中之島図書館所蔵 曾我廼家喜劇番付一覧
https://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/61_list.html

さらにちなみに「三大敵討ち」とはこの「曾我兄弟の仇討ち」、「赤穂浪士の討ち入り」、そして「鍵屋の辻の決闘(伊賀越の仇討ち)」です。

1、富士山麓での仇討ち
2、赤穂浪士の浅野家の家紋はの羽
3、伊賀は茄子の産地

ということで、初夢に見ると縁起が良い3つがなぜか一致しています。
仇討ちと初夢…これはなんの繋がりで誰が考えたアイデアなんでしょう。

というわけで「曽我兄弟の仇討ち」、のちの回で出てくることが確定。

「木曽の倅」を任された北条ヨシトキ(小栗旬)。

源氏の嫡流が残っていることを許さない源頼朝は、木曽義仲(きそよしなか・青木崇高)の息子・源義高(みなもとのよしたか・市川染五郎)を殺せと命じました。

長女・大姫(おおひめ・落井実結子)が懐いている状態で、幼き恋心が著しく傷つく悲話として語り継がれることになります。

このあたりで、「痛快な時代劇だ」とか「時代劇って痛快だ」と思って大河ドラマを観ていた人たちも、ようやく「あれ?なんだかすぐに殺しますね…とにかくどんどん殺しません?」と首を傾げ始めているはずです。

ほんと、すぐ殺すんです。
もはや現代の日本人とはまったく別次元の人種だ、と言えるくらいに殺人を簡単にする。
問題の解決方法の、トップ2くらいに「殺す」が入っている。

京を中心とした「穢れ文化」では「血を見るようなことは避けておじゃれ」みたいな方向性があって、なんとなく現代の我々もその上方文化を取り入れたような気分になって「穢れを避ける日本人」的な風雅を都合よく演じたりするものですけれど、坂東においてはそういう常識がまったく通用してない。

源頼朝だって京生まれの貴族なはずですが、それであっても目的のためにはどんなに恩人でもどんな小さな子供でも殺す。

源義高を逃して、のちに源頼朝が彼によって討たれる…となったら、「曽我物語」を抜いて三大仇討ち物語として残ったかも知れませんね。

源義高は源頼朝の従甥。いとこの息子。
親類としては近いですよね。だからこそ、近いからこそ「源氏の棟梁に」と担ぎ上げることが可能な存在でもある。
「源頼朝に殺された木曽義仲の御子息」という肩書きがある。
仇討ちや意趣返しに便乗する人たちが(木曽方面には)まだまだ多くいる時期ですから、後顧の憂いを断つ、というやつで「殺しておけ」と命じるのは源頼朝にとってはすごく、理に適ってるんです。

というのも「情けをかけて生かしておくと、100%仕返しにくる」というのは、源頼朝が今、自分で証明してることなのですから。

助命嘆願をした北条政子(ほうじょうまさこ・小池栄子)は驚いていましたが、本人が「こうなってしまった以上、一刻も早く、この首をとることをお勧めいたします」と言うくらいですから一緒にみんなで仲良く暮らす…ということは叶わない関係性、逼迫性だったのです。

そもそも家来なら「お赦しいただけるのなら生きながらえましょう、せいぜいお役に立ちまする」でやっていける。畠山重忠(はたけやまのしげただ・中川大志)も梶原景時も、石橋山の合戦では敵に回ったのに許されて重鎮になってる。これは「源氏じゃないから」なんですよね。源氏は殺す。源頼朝はそう決めているのです。

「源氏どうしで争ってはならん」というのは「骨肉相食むのは醜いぞ」という穏やかな価値観ですけれど、源頼朝はそうではなく「源氏どうしだから許さない」。

武田信義(たけだののぶよし・八嶋智人)の一族はいつの間にか御家人扱いになっていく。
なんで武田は皆殺しにされなかったんでしょうね。武田の嫡男・一条忠頼(いちじょうただより・前原滉)は、戦でも活躍しました。もしかすると朝廷によって甲斐・武蔵の支配権を与えられたりするとこれはもう源頼朝が許すわけがないレベルの問題になってしまいます。

ドラマでは源義高と密談していたことで謀反の咎(とが)が発生したことになってましたが、とにかく源頼朝は彼も殺すことに決定。彼が死ぬことで、彼の領地であった駿河の実効支配権も源頼朝の手に入りました。

武田信義は誓書を提出することで対立を避けることに成功。

「お前たちはおかしい。狂っておる」と彼は言いましたが、まさにその通り、源頼朝は、周りから見ると狂っています。

 

見張り役が工藤祐経???

「どうにでもなる」工藤祐経が見張り役…ということはこの人いずれ仇討ちにあって死ぬのでまぁ、ストーリーの中に埋没してしまうし史実にはない部分をキャラで埋めておきましょう、的な工夫なんですかね。とは言え芸事に秀でた彼は、要所要所に登場するはずです。

源義高を逃す策を北条政子が企画。
だけど、無理だった。

「あ〜あ逃げちゃった、まぁいいか…ほっとけ」ではやっぱり済まない。
「冠者(かじゃ)どのがいなくなったら私も死にます!」という大姫の必死の嘆願もありましたが、本当は源頼朝の心は、全く動かなかったんじゃないかと思います。彼が「父が悪かった」などと言うわけはなく、最高権力者が「一筆書くこと」になど、なんの効用もない。

それでもドラマとして、願いを受け入れた源頼朝は「出家はしてもらう」で妥協。
だが時すでに遅し。

源義高の首を取った藤内光澄(とうないみつずみ・長尾卓磨)は、意気揚々と鎌倉に首を持って帰りましたが、まー驚いたでしょうね。だって命令通りに実行したのに、手柄だと思って帰ってきたのに、激怒した北条政子・嘆き寝込んでしまった大姫の機嫌を取るために、源頼朝は彼を成敗。
「部下が勝手にやったことです」と切り捨ててしまうのです。そんなあほな。
命令に従っただけなのに、都合で殺されてしまいました。

こういうところ、ものすごく属人的というか、法律なんかないですから大変ですよね。
慣習と機嫌と上下関係で全てが決まってしまう。
生殺与奪の権までもが機嫌で自由に。

そしてその流れで、北条政子も実は絶大な権力を持っているのだという、言葉の重さが強調されてましたね。属人的であるが故に成功する幕府の成り立ちと、属人的であるが故に残酷なイバラの道。

源頼朝がやがて死んだ後には絶対的権力を振るう北条政子・北条ヨシトキ姉弟の、かつて伊豆で牧歌的に暮らしていた時代にはもう戻れないんだという葛藤が、今回の全体を包んでいました。

血みどろの権力闘争に絶対に勝ってやる、という彼らの決意は、こうやってじょじょに固まっていくのでしょう。

まだまだ、人が死にます。

『鎌倉殿の13人紀行』は、ここでした。

清水八幡

常楽寺







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