財布の日だそうです、3月12日。
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ダジャレじゃねえか、と言ってしまえばそれでおしまいです、しかし昔から「縁起をかつぐ」の名の下に、ダジャレが星屑のように無数に散らばっているのがこの世の中です。
お寺・神社のユニークなご利益・不思議な祈願法
https://www.jiji.com/jc/v4?id=202007tjur0001
埼玉県越谷市の久伊豆(ひさいず)神社
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クイズ埼玉県東松山市の箭弓(やきゅう)稲荷神社
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野球など。
全国でタヌキをありがたがるのも「他を抜く」というダジャレです。
高砂(たかさご)人形もそうです。
これですね。
夫婦仲良く長寿であれかし…という願いを込めた人形です。能「高砂」が元になっています。2人それぞれ、「ホウキとクマデ」を持っていますが、これは「お前百まで(掃くまで)わしゃ九十九まで(熊手)」というダジャレになっております。クマデの入れ方がなかなかトリッキーで好きです。
こんなこと挙げ出したらほんと、星の数を数える作業になってしまうほどに掛け言葉・言葉遊びで出来ているのが日本文化だと言いたくなってきますね。
「都合のいい言霊主義」とでも呼ぶしかないでしょう、結婚式で「切れる」「別れる」などは「忌み言葉」とされ、桃太郎のエピソードをやろうとして「犬(去ぬ)」「猿(去る)が出てくることを忘れてて慄き、「わんわん」「ウキキ」で乗り切った人がいるという話も聞きました。
言霊主義には弊害もあります。
当然ですよね、「あの飛行機、事故に遭いますよ」と私がぼそっと言ったとして、本当にその飛行機に不都合があったら「あんなことお前が言うからだ」と責められます。事故と私を両方知る人ならば、私の顔が浮かぶはずです。
絶対になんの関係もないはずの、下から見上げてただけの人間と「出来事」に因果関係を求めてしまう。
だからこそ「良い言葉を発しましょう」という、これも実はインチキなんですけどそういうアドバイスが跋扈するんですね。ポジティブの押し売りをしてくるタイプの人らはどうしても「ポジティブな言葉を使いましょう」と言ってきます。
ポジティブな言葉に言い換えよう!と。
「優柔不断」を「思慮深い」と言い換えるそうです。アホか。
ただ、未来のことに関しては「こうなりたい」「こうしたい」と願い続けることで、それが叶う最短距離を通れる可能性を上げる、というのも事実だと思います。
単純な話ですよね。
掃除をするのに「よし掃除をしよう」「○時になったら掃除を始める」と決めて口に出してると、掃除をする可能性は上がりますよね。100%じゃないけど。
途中で「掃除なんか無理だ…」「自分には出来ないかも…」「しなくて良いだろ今日は別に…」とか言いまくってると、実現が少しだけ遠のいてしまいますよね。やる気が失せる。悲観は警戒と準備には必須かもだけど、無駄だったりもすることも多い。
「行動のタイトル」ははっきり音声にした方が、認識が強まるんです。
財布はポジティブか
財布を「お金を入れておく場所」と決めている人が多いので、お金とともに重視すべきもの、という認識が強いです。「お金を、財布と、中身をくり抜いた文庫本と、サプリの空き瓶に分けて持ち歩いてます」っていう人は見たことがない。
欲しいのはみんな常に金。大事なのは常に金。
だからこそ「それを入れておく財布はみんな大事にすべき」という順番で考えるんですね。
「財布の日」は312で3月12日なんですけど、「今年(2022年)最強の開運日」というのもあるそうです。私はごく個人的に、なんでも「最強」って言いたがる人は頭が悪いと思ってるんですがよく書いてあるんです、「最強の開運日」って。じゃあ「最弱の開運日」っていうのもないとダメですよね?その場合「最弱」なんて言われてるのはホントに開運日なんですかねぇ???と意地悪言いたくなります。
それは3月26日だそうです。
一粒万倍日
天赦日
寅の日
がいっぺんに重なるのがこの日。
1.一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)
「一粒の籾(もみ)が万倍にも実り、立派な稲穂になる」という意味を持つ日なのだそうなんですが、ちょっと検索したくらいでは「なんでその日がそうなのか」の説明が出てこないんです。困った。
「一粒万倍日とは」は無限に出てきます。「増える日、なので借金などはしない方が良い」など。うん、だけど「なぜその日がそうなのか」は書いてない。たぶん、みんな「そう書いてあるからそうなんでしょう」みたいな感じで右に倣ってるんでしょうね。そりゃインチキ陰陽師が蔓延(はびこ)るわけだわ。
「暦注」が無くなったのは明治6年。
太陰暦を使用していた日本では、伝統的に陰陽師が考え採用された、日々の吉凶を習慣として大事にしていました。大安とか仏滅とかもそうですよね。太陽暦に切り替わったタイミングで「そんなものは迷信である」と禁止されたんですが第二次世界大戦に敗けて日本は、神道・神社を国家から切り離すGHQの政策のもと、「カレンダーは自由」になり、暦注も復活したのだそうです。禁止されている間は「お化け暦」とか呼ばれていたらしい。
農耕が盛んな地域では当然、太陽の運行や気候の変化がとても大切で、それを可視化して管理する「暦(こよみ)」の発行は、その地域の支配者が持つ重要な権利だったんですね。日本もそう。
米の需要が減った現在でさえ「一粒の籾が万倍にも実り、立派な稲穂になる」というイメージは易々と脳内に描くことができますし、それが繁栄や上昇志向とつながるんだという連想は、我々にはすぐに出来ます。不思議なくらい。
遊牧がメインの民族なら「一頭の羊が一万頭に増え、立派な群れになる」ということになるんでしょうし、多分そういうのがちゃんとある。
2.天赦日(てんしゃび)
まさに「天が赦(ゆる)す日」。」
吉日、なのだそうですがこれも「最強の」とか「成功する」とか書いてあるだけでその理由は容易には出てこない。
どうも「天がすべてを赦す」ので、「いったんゼロになる」ということらしいのです。
いったんゼロになるので何かを始めるには大変フラットに、障害なくスタート出来るというようなイメージがある(らしい)。
こんなこと書きながらなんなんですが、やっぱり「だからその理由はなんなんだよ」って言いたくなるんですよね。「暦の上ではそうです」って言われたって、「なんでそういう暦にしたんだよ」と言いたくなる。
冬至・夏至ははっきりわかるじゃないですか、時計見ながら「一番長い・一番短い」がわかる。その日を起点として決めることに意味があることがはっきり理解できる。
だけど「天が赦(ゆる)す日」と簡単に言われてしまうと「そもそも天てなに?」っていうことになりませんかね。我々はその日、天にゆるしてもらえるわけですか。天が、私たちをゆるすかゆるさないかを、日によって決めてるわけですか。
ゆるしたりゆるさなかったりするような基準を天はお持ちなわけですか。人格をお持ちなのですか。
こんなものは単なる、文字上の遊びです。
言葉上のうわゴト、です。
天てなに、仏とは違うのね?ゴッドはまた別なの?と追求したらキリないです。これもダジャレと同じ、言葉を駆使した「都合のいい言霊主義」と言って良いと思います。
「天赦日」は、「てんしゃにち」と表記してあるパターンも多いですね。
だけど私は「てんしゃび」と読みたい。
私が初めて「てんしゃび」という言葉に触れたのは落語『鴻池の犬』でした。
当時日本一の金満家と言われた大阪・鴻池家へもらわれていくことになった元・捨て犬。この犬をもらいに来る日が「てんしゃび」だったのです。
漢字やその意味はわからないまま、「吉日を選んで」という言葉とともに、めでたい日、お祝いするべき日だということは伝わってきました。
それがこれだったのか…!という記憶とともに、「天赦日」という言葉を聞くたびに船場の商家の上がり框で、自身の運命を首を傾げて眺めている小さな、真っ黒い毛の仔犬が思い浮かんできます。
そして2022年3月26日は、暦の上でもう一つ、「寅の日」が重なるのです。
3.寅の日
2022年は寅年。
「虎は千里往って千里還る」と言われていたそうで、ここから「出たもの(金)が返ってくる」という連想で、「金運が上がる開運日!!!」なのだそうです。
行って帰ってくるなら鹿もそうだろうしダチョウだって帰ってくるでしょう。たまに帰ってこないインコを探してらっしゃる飼い主さんを見かけることがあるけれど。
「虎の力強いイメージ」が勝者や成功者を想起させるというところもあるのでしょうね。
ちなみに鎌倉幕府で、たった3代で源氏の血が途絶えた後、京都から迎えられた藤原頼経(ふじわらのよりつね)は、2歳くらいで京から鎌倉へ送られます。
寅年・寅月・寅刻に生まれたということで、彼は「三寅(みとら)」と呼ばれていたそうです。
敵ヲ知リ己ヲ知ラバ
どうしてこんなに「最強開運日 for 財布」について書いてるかというと、私自身が「よーしこの日に開運するぞー!」と思っているのではなくて、「よーし最強!この日に開運するぞー!!」と心の底から思っている「ゲンを担ぐ人」が実は意外にめちゃくちゃ大勢いるという客観的事実から、「そういう人らのせいで欲しい財布が買えなくなる現象を喰らう」ということを知ったからです。
たとえ私個人が「最強開運日?はぁ?」と疑問を持って信じていなかったとしても、「絶対この日じゃないとダメなのです!」と力説するスピリチュアルな詐欺師とそれを強く信じることで決定コストを他人に丸投げしたい頭の弱い連中のせいで、たまたまその時期に普通に財布を変えようと思っていても、熱狂した「開運信者」のせいでかんたんに売り切れてしまうのです。
なので、これらは「信じてなくても知ってなきゃいけない」ことに属します。
信じてる人らを馬鹿にして済む話ではないのです。
別の言い方をすれば「彼を知らずして己を知れば、一たび勝ちて一たび負く。彼を知らず、己を知らざれば戦うごとに必ず敗る」(『孫子・謀攻編』)ということになります。なりますかね。
それにしたって皆、財布(金)への執着は凄まじい。
だって財布だけ変えたって、その変える日をいくら選んで工夫したって、収入源やその多寡が変わらない限り財布の中身が潤うことはないわけでしょう。
いくら吉日でも事故は起こるし病気は悪化します。
天赦日に天はすべてを赦しても司法は犯罪者を釈放したりはしません。
その割に(そんな当たり前のことはわかっていながら)、おまじないに過ぎない「暦による吉凶」にすがろうとする、プリミティブな心理。素朴で非科学的な伝承は、「考えなくて済む」という方向性を与えられた場合、商売のキャッチコピーとの親和性が著しく強くなるんですね。
それがたとえば財布、なんですね。
どこまで行っても(どこを読んでも)「貴様は何を無根拠なことをダラダラ喋ってるんだ」的な説明が並びます。せっかく腕ききの職人さんが伝統の技術の粋を凝らして製作した技の結晶である皮革製品が「風水によりますと…」というヴェールを纏って「なん努力もせずに持つだけで幸せになれる」的な、怠惰な呪文を帯びた物になる。実際、上のリンクで売ってる財布、呪文さえ書いてなかったらデザイン的にも素晴らしいものばかりです。
財布の唯一の、幸せな選び方・使い方とは?
それはただ一つ、「自分の好きな財布を好きなだけ、好きなように使う」でしょう。それしかありません。
色とか形とかタイミングとか、最も幸せに近づける正しい選択は「その時に思った通りに、好きなようにする」です。
「財布に大金が入ってきた日」があったとして、その日を自分で記念日だと決めたら、それを基準に考えるのは良いことだと思います。
実際にその日はお金にまつわる、自分にとって記憶すべき日なんだから。
だけど「一粒万倍日だから」という理由をそのまま鵜呑みにして行動に移してしまうとなると、これはもう哀れで愚かな羊の群れ、と言われても仕方がない。別の言い方だと「いいカモ」ということになります。
自分のタイミングで自分なりの、自分の「好き」を貫こうとする姿勢こそが、幸せの第一歩だと私は考えます。
「この日が最強!」「こうすればこうなる!」という赤の他人の、スピッた文言を鵜呑みに信じてしまうというのは、「幸せの基準」を他人に決められてしまっていることになります。
ほぼすべてのスピババアが曰(のたま)う「幸せ」とは「金持ちになること」「金持ちと結婚すること」「優雅に他人に自慢できるブランド物に囲まれること」「しつけを一切しない小さい犬を飼うこと」「海外旅行先で撮った自撮り写真をSNSにアップして取り巻きに褒められること」などの、お定まりなワンパターンセレブ憧れに過ぎません。ばかですあいつらは。
※蛇足
そういうわけで最強開運日を去ること約2ヶ月前、先んじて「欲しい財布」を手に入れた私。
上に延々とあんなことを書きながら、使い始めるのは312(サイフ)の日ではなく、3月26日にしようとしていることをお伝えいたします。あはは。2年以上前から欲しくて急いで買ったものを、手つかずで2ヶ月安置するのってなかなかの心理になりますね。正直言うと忘れます。
3月26日(2022年)のアナイアレイションでお披露目します。
https://www.youtube.com/channel/UC-4jR3HUQTOKTK1oBWdbU4w