明治維新後、内務省が設けられ、あたかも藩閥政治家数名の合議のみで政府の重要決定事項が決められる状況になっていた。
西郷隆盛とともに参議を辞していた板垣退助は、後藤象二郎らとともに「愛国公党」を結成し、以後、国会開設要求を掲げて政治運動を展開していく。
1882年、暴漢に襲われた際に発したという「板垣死すとも自由は死せず」は有名な言葉になった。
※第一回総選挙は1890年に開催。有権者は約45万人。投票率は93%を超えた。
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斎藤孝監修。
自然、歴史、文学、科学・技術、芸術、伝統・文化、哲学・思想の7分野から、日本にまつわる365日分の知識を得る。この本を読み、知ってるようで知らなかったことを初めて驚きつつ知り、ああそうなのか〜なんて言いながら、ほんの少しだけメモのように書くことを1年間続ける修行。「ああ、365ページある本を読んだんだ!」という事実が残るだけでも、価値はゼロではないはず。教養が身につくかどうか」なんてどうでもいいんです。そこに拘ってはいけない、基礎の基礎。
1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365