SF老人譚。
突然改造され、ものすごい能力になってしまった二人。
もちろん、「GANTZ」の作者だけに「この感じ(絵の組み合わせとか設定とか)、見たことないでしょう!?」っていうを見せてくれてる感がある。
どうなっていくかわからない
と
どうなってもかまわない
が同居する気持ち。
この漫画のすごいところは、「能力を隠して戦う」のもそこそこに、完全に衆人環視で物語が進むところですよね。
あの、画面から銃弾を撃って来る理屈だけはわかりませんが、パニックとか、大量殺戮とか、滅亡とか、物語ではよくテーマにされることだけれど、どこか日本の日常はクールで、淡々と進む。
その描写は、ああ、そんなものかもな…と思わせてくれます。
この感じは、「GANTZ」にもありましたね。
とにかくまず、主人公は「改造」されて無敵になってしまうんですが、あの、凄まじいテクノロジーとは、一体なんだったのか。
なんだかどんどんストーリーは進んでいくんですけれど、その改造した主体のことは、本人たちもろくに振り返れないし、読者も遡ることをやめてしまう。
あの技術は、もう、「進んでいる」というようなレベルではない気がします。
つまり「よその天体の生物2体を瞬時に、空も飛べて攻撃もできてそれを全て一元的に制御できて元の人格を損なわずエネルギー源を水だけにする」って、もはや地球の言葉では「科学技術」とも言わないくらいの次元のことのような気がするんです。
たとえばわれわれが立方体になった粘土を、思わずお尻で踏み潰しちゃったとするでしょう?
それを「やばい」と、なんとかこねて、立方体に直す。
これって、テクノロジーとか科学技術とは呼ばないじゃないですか。
「粘土と人間」。
これくらいの隔(へだ)たりがあるからできることですよね。
これが「蟻と人間」くらいしか隔たりが無い場合は、人間は、蟻は元どおりにはできない。
折れた箸すら、すぐに復元はできない。
ましてやサイボーグ化するなんて。
それくらいの技術的なすごさを持った存在が、改造をしたということですね。
そんなすごい(しかも宇宙船は犬より小さい!)が、なんでそもそも墜落したのかはよくわからないところですが、それくらいに技術や概念がかけ離れていないと、言ってみればそれくらい存在として優位じゃないと、他の天体を訪れるって、できないんじゃないかと思うんです。
たとえば、人間が、ワニの調査に行く時。
人間とワニの知能の開きは、もう絶対に反転しないことが確実ですよね。
武器や捕獲道具を使用しての強さという点でも、人間にワニはかなわない。
そういう状態じゃないと「安定した生体調査」なんてできないです。
「今回のワニ調査では、残念ながら21名の調査チームがワニの攻撃によって全滅。」とかいうような危うさだと、とても調査なんかできない。そんな状況ではないからこそ、圧倒的に勝っているからこそ、麻酔銃を撃って、捕獲して、タグをつけて、観測を続けられるんですよね。
なので、「宇宙船が、わかる形で地球に来る時」は、もう「圧倒的に軍事力その他もろもろの技術と物量で勝っている状態」なので、侵略しかないと思うんです。
向こうは「侵略」とは呼ばないだろうけど。
「人間とワニ」と同じくらい知能が離れていれば、今すでに彼らは地球に来ていて、いろんな調査をしているのかも知れませんよ。
ワニに「俺ら、何されてるんだろう」が知覚できないのと同じように、たぶん、人間には彼れが何をやっているのかは、わからないんじゃないですかね。
UFOはいるか?の問いに、いつも思います。
UFOはいます。Unidentified Flying Objectですから、います。
いるというか、いて当然でしょう。
「未確認」ていうのは誰かの主観ですから。
我々が目にするもののほとんどが「確認飛行物体」なだけでね。
ただそれが、なぜ「他の天体から来た宇宙人が乗った飛行船…!」だと、すぐに直結して考えるのかが、よくわからないんですよね。
米軍とかロシア軍とか、またはそれ以外の組織の…とか、地球上の、あまり知られていない機関の飛行体の方が、確率としては何十倍も高いですよね。
その前にまず「上空で起こる雲や空気や電気による現象」について、全て網羅して知っている必要がありますよ。雲ですら、すべてわかっているものを指差して「地震雲だ…!」と延々とやってる痴れ者がたくさんいるんです。
検証をして、それらでないとわかった場合、初めて「じゃあ、なんなんだろう…?」と悩む資格が、やっと生まれるはず。
それらを全てすっ飛ばして「空になんか光ってる!宇宙人だー!!!」って、あほなのかと。あほとまでは思いませんが、いやーさすがに順番おかしくないですか?とは言いたくなります。フィクションとしては、すごくおもしろいんですけどね。
「いぬやしき」は、「生きること」「生きがい」「なんのために生きるのか」にまで踏み込んで描かれています。
でも案外、読者は主人公の観点ではなく「社会がこんな自体になったら、自分ならどーするかなー…」と、ぼんやり思ってしまうのではないでしょうか。
飼い犬が走る時、その擬音が「チャッ チャッ」だったのが、とても良かったなぁと思い出しています。
そこなの?と言われたら、ええそこなのよ、と答えたいと思います。
アニメ化もされてます。
Amazonプライムにあった。
こちらは実写化。