なんのために七五三があるかというと。
よくぞ、三歳になってくれた。
よくぞ、五歳にまでなってくれた。
よくぞ、七歳を迎えてくれた、もう大丈夫。
っていう意味なんですよね。
まさに祝辞。
今は小学生くらいまで育つのも当たり前と言っていいほどになっていますけど、昔は違った。
平均年齢がすごく低かったと言われてますが(人生50年とか)、これって幼児死亡率が異常に高かったから、なんですよね。
なんと大正時代でも、全体の平均寿命は43歳だったそうですよ。
これは、厄年を迎えたあたりの人らがなぜかパタパタ死んでいく、というのではなくて、子供がパタパタと死んでしまうことによる数字だったんですね。
ガベージニュースからグラフをお借りしました。
栄養状況も、衛生環境も、今とは比ぶべくもない時代。
5歳くらいまでに死亡する子供がどれくらいいたか。
江戸時代のお話なんかを読むと、贅沢に暮らして居るはずの藩主や将軍家クラスであっても、生まれてすぐに死んでしまう後継ぎがものすごく多いことが伺えます。
そりゃ大奥ぐらい作っとかないと、っていう。
ようやく安心して医学に頼れるレベルになるのは昭和を待たなければならないほどで、もう祈祷につぐ祈祷。祈&祷。
祈祷成功しなかったら神主も坊主も即刻クビ、っていう。
後継問題は深刻だったでしょう。
養子縁組が盛んだったのは、時代の要請だったのですね。
でももう、子供は死なない。
だからもうちょっと、年齢を引き上げてもいいんじゃないか。
「十七五三」くらいにしてもいいかも。
いや、医療の発達と衛生の進歩で今の状態へ到達したんだし、もはや「百七五三」のお祝いをしなきゃならない時代になってきてます。
子供は生まれないし、老人は死なない。
「少子&高齢化」はどんどん進んでます。
子供が生まれないのは社会制度の改革やさらなる医療の進歩で改善だけで修正していけるんでしょうか。
「老人が死なない」は加速するばかりで歯どめが効かない。
というか今のところ、「高齢化」は誰も止めようとしてない。
いや、「死なない」も「高齢化」も社会制度の改革や医療の進歩の結果ですよね。
しかも健康な状態での「死なない」ばかりではないし。
となると。
ちょっと真剣に「安楽死」のことを話し合う時代が、来るのではないでしょうか、もうじき。
極端な言い方ですけれど、「高齢者の価値」が相対的に下がれば、これ、不謹慎と怒られるけれどもほんとに「安楽死」は現実味を帯びてくるんですよね。
つまり、高齢者が持っているという資産が、意味をなさなくなったら。
もちろんお年寄りの持っている資産は有形のものばかりではないから、大切にするべきなんですよ。
「高齢者の価値」とは、高齢者自身が持っている「生きる意欲(というとまた怒られそうだけど)」や「現世利益への欲望」みたいなものも含みますから、それらの価値が下がると、日本社会、そして高齢者そのものの「生への執着」の判断基準も変わってくるはずなんです。
例えば相続税をもう、100%にするとか。
75歳以上は全て国が決めた基準での生活水準以外は全て没収する、とか。
老人としての価値を画一化するというか、高齢者だけ社会主義的に生きてもらうというか。
そうなると、「あまりに長生きすること、それを願うこと」の価値が変わってくるでしょう。
昔は、子供の頃にすぐ死ぬし、長生きしていること自体に「寿」が張り付いていたけど、今はそうではなくなってきている。
これは制度とか法律で「はい明日から」というわけにはいかないから、だんだん醸成されていくことだと思いますが、「安楽死」なんていうのは殺人だ!と言ってしまえる時代はまだ幸せだったよね、という時が、いつか来そうな予感もしています。