相模原殺傷:植松聖容疑者を送検
https://video.mainichi.jp/detail/video/5713179529001
どんな「予兆」があろうとも、誰が日本で、ここまでのことするなんて思います?
植松聖。
相模原 生かされなかった予兆(リンク切れ)
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6209026
こんなもの、防げるわけないじゃないですか。
「教訓いかされず」で行政や施設側を暗に責めるみたいな報道があったりしますが、夜に、警備員もいて、施錠もされてる独立した建物で、必殺の思いを持って窓ガラスを割って侵入する「元従業員」を防ぐための手立てって、どうやればいいんですか。
想定外で警備の難しさ浮き彫り(リンク切れ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160727-00010838-kana-l14
無責任に「防げたんじゃないか」って言いたいんでしょうけど、絶対無理です。
事件はなぜ防げなかったのか
https://webmedia.akashi.co.jp/posts/1990
防げません。
夜中じゅう、居場所が特定できないように施設が移動し続けるなら可能かもしれません、ハウルの動く城みたいに。
それか全窓に、1枚ずつ、熟練格闘技者が24時間常駐してて、しかも外壁には6万ボルトくらいの電流が流れてて、常に監視カメラと連動して不審者が近づいたら地対地弾道ミサイルMGM-140ATACMSが発射される段取りになっていることが毎日テレビCMでゴールデンタイム・プライムタイムに放映されて周知徹底されている、とかじゃないと。
絶対に防げないです。
自爆テロ、と同じですから。
自分勝手に恨みを持って、私怨と公憤の区別がつかなくなって…という動機のようなものも語られてますが、ここまでのことをやる動機としてそれは、評価として適切なんでしょうかね。
もし、「そういう感情になった」としても、これをやるやつって、やっぱり「異常」でしょう。
確かに、ネットの情報を好きなように選んで見ていくだけでは、やがて右傾化します。
それも、「ネトウヨ」的な、ものすごく短絡な方向へ。
ほんと、そう思います。
わかりやすい排外主義と絶対に揺るがない「日本人という自分の立ち位置」が固定されますから、なかなか柔軟な思考ができなくなる。
実際の世間は「思想的に合わないけど、いい人ら」みたいに、折衷ポイントで妥協する場面が多々あって、だからこそ「社会はそんな単純には割り切れないわさ」という世智、を得ることができる。
ネットだけ見てることが悪いんじゃなくて、「情報収集が下手くそ」ってことなんだと思います。
モニター越しに読んだネトウヨ情報を、またネット状に発散して小さい脳内の輪の中をグルグル徘徊して、それが真実だと思い込むようになる。
…としても、です。
誰が、前に働いてた施設に侵入してあれだけの殺傷をする、なんて考えます?
もっと過激な思想を持ってたり、もっと強力な武力を有している集団だって、そんなことしないじゃないですか。
普通は、その行動で自分がどうなり、世間や社会がどう変わらないかを、的確に想像できるからです。
それができないタガの外れ方は、もはや「思想」とか「哲学」とかとは全く関係のない、「わがまま」から発している衝動・欲望なんじゃないかと思います。
つまり「俺が認められないのは自分以外の存在のせいだ」という甘え、です。
甘ったれ、ですよ。
「○○は甘え」という言い方じたいが批判されることもありますが、こんなの、自己抑制が出来れば絶対に起こらないことですし、ほぼすべての人間が抑制できているから、こんなすごいことはほぼまったく起こらないわけでしょう。
「この俺様が、今こんな感じなのは、許せない!」という、甘えです。
時代背景とか、ゆとりとか、不況とか、絶対まったく関係ないですよ、こんなの。
この事件を「防げた」とあっさり言ってる人の、無責任な顔を、じっくり見てみたいもんです。