どこでもドア問題
もうすでにおぼろげにしかない記憶を元に
組み立てる遊びは割と自由でおもしろい。
新しく完璧な情報を仕入れようとしない状態での想起はもう、
手前勝手な遊戯に過ぎないのだが…。

現在ドラえもんについてすでに現役でないわれわれに、
「どこでもドア問題」がわりと激しめに首をもたげてくる。

タケコプターを脳天に装着し、
スイッチを入れた途端に首だけねじれて引きちぎられ遥か上空へ飛び去る、
という想像と同様、さらに科学的根拠を示しようのない「どこでもドア」は
とても興味深いのである。

★「深度2000mの海中!」と叫んでドアを開けようとしたら、
すでに向こうからの水圧でドアは金輪際開かないのではないか。

それは運良く「向こうへ開くタイプ」だった場合だけで、
「こちらへ開くタイプ」だったら叫んだと同時に全世界の海水がこのドアを
通じてこちらへ流れ込む。
しかしこの世界はつながっているのだから、
いつしか均衡を保って水位は落ち着くだろう。

その時自分が生きているかどうかなんて、あつかましい事を考えるのはよそう。
ましてや、その頃ドアは同じ位置に立っているのかどうかだなんて。

★目的地を告げ訪れたその地で、振り返ればドアは立っている。
帰るんだから当たり前だ。
目的地を叫ぶまでは微塵もなかったドアが、
扉を開けた途端、「そちら側にもある」のである。

そこで、
「2m先!」と叫ばせてもらいたい。
そんな至近距離での使用は普通あり得ないが、あえて叫んだ場合、
扉の向こうには、もちろん「2m向こうの世界」がある。

扉を開けてそちら側へ行く。
と言っても普通の「2m先」だ。
歩いて行っても2歩で行ける。

…振り返ると、どこでもドアが2つあるような気がする。
開けたドアと、こちら側のドアと。


★行方不明の人の名を呼べば尋ね人たちまち見つかりけり、
と思いたいところだがそれはどうだろう。

人名は極めて危険だ。
その人の真ん前という空間にドアが現れるという都合の良い考えは危険だろう。
あくまで「その場所」という概念でドアは開くはず。

ドアを開けたら
「その人の中」かも知れん。

内蔵・血・細胞・背骨・神経繊維。

行方が明瞭になった瞬間が、
それはその人がミンチの様に引き裂かれる瞬間。

そう考えるとこれ以上ない暗殺兵器だ。
名前を呼ぶだけでいい。一人一殺。
確実なスナイプ。
帰ってくれば、金輪際バレない。
お風呂は、ドアを閉じてからゆっくり入ればいい。

どこに潜伏しようが
「ビンラディン!」とさえ言えばそれで済む。
同時に隠れ家も発見出来て。

あとは「抽象的な表現をどう解釈するか」である。
たとえば
「南極!の横!」と叫んだら、ドアはどこにつながるのだろう。

「商店街!の先!」なら、どのあたりに開けるのだろう。

でもやっぱり恐ろしいのは、
ドラえもんどころではない正規品であるネコ型ロボットが、
「家庭用」として量産されている22世紀という時代だ。

あと90年くらいしかないんですけど。

そんなに進化しても、のび太の孫は「セワシ」などという、
現代ですら使わないような古めかしい名前だと
いうことになぜか少しホッとする。

そして四次元ポケットから取り出されるすべての道具に対する
法整備・規制の根拠・管轄の省庁など、
乗り越えるべき項目は無数にある。
現在の公営ギャンブルのように、使用するひみつ道具によって管轄省庁が
違うという縦割り利権構造が残っていたらどうしよう。
「タケコプター」は国土交通省で、「ほんやくコンニャク」は文部科学省か。


どちらにしても万能の移動器具「どこでもドア」は、
その機動性及び危険性から、

『どこにもドア』と化すことは間違いない。

使用を全面的に禁止される。


追記:実は、おもしろいのは「デラックスライト」だな。
どんなものでも照らすだけでデラックスに変えてしまうという夢の道具。

いやいや、その前提がおもしろいでしょうソレ。
「デラックス」って、
そんなに「はい、ここからがデラックス」と世界標準が決まってるものですか。
うわぁ、デラックスになったぁ!って、絶対だれもが同じように
思うものですかね。

ひとそれぞれのそれまでの、「非デラックス度」によって、
その度合いって変わりますよね。
宝石がついて金ピカになればそれで良いってもんじゃないでしょう。
「デラックス」っていう響きじたい、どうもおもしろいんですけど…。
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