訴えてやる!!
それはいつも日常から…

弁護士のテレビドラマが盛んに作られている。
本格的な法廷劇は制度の違いで、
ハリウッド映画になんとなくリアリティが感じ
られない日本人であったが裁判員制度の導入な
どで、アメリカ式裁判が将来実現しそうな予感すらする。

大人気番組「行列のできる法律相談所」に出てくる「訴え
てやる!」という文言も、そんなに架空な言葉ではなくな
っていくのだろうか。

新聞を眺めていると、いつだかに始まった有名な訴訟や、
著名人が絡んだ裁判が「和解」という決着になっているの
が目につく。つまり最終的な段階まで争ったりせず、
裁判所の勧告によって妥協点を見つけましょうや、
という解決策である。未来に禍根を残さない(多少は残る
だろうが)やり方で、完璧に勝敗をつけて勝者が敗者を踏
みつけてブン獲る、という感じではないから、ウェットな
感覚ではあるが第三者もなんとなく日本人なら首肯しやすい。

アメリカは違うのだそうだ。
法と言う絶対正義の明文がある以上、正しいか悪いかのふた
つしかない。こちらが一歩譲ったら向こうは一歩半譲り、
まあまあまあと和解する日本式禅譲という考え方はまったくない。
一歩譲ったらココだとばかりに2歩以上踏み込もうとする。訴えて
勝ったら勝ったものが正義。負けたヤツは悪。そういうものだそうだ。

弁護士ドラマや模擬法廷番組で、われわれは徐々に
「なんでも訴えて解決すれば後腐れない」
という風潮に巻き込まれつつある。
やっかいな問題はすべて裁判所へ持ち込み、
法の元の平等という金科玉条を信じてイガミあった方が、
正義に照らして正しい態度だ、と信じ込まされ始めている。
そこに相手を慮る思慮深さは必要ないし、
あるのは「利益・不利益」という損得勘定のみである。


アメリカに似ればそれで最良か


裁判に対する嫌悪感や壁の高さが取り除かれてしまったら、
ごく普通のトラブルでもどんどん訴訟を起こす日常が現れる。
友達が友達を訴える、部下が上司を訴える、いもうとが姉を訴える、
夫が妻を訴える、
子が親を訴える、
犬が飼い主を訴える、
金魚が熱帯魚を訴える、
玄関が風呂場を訴える、
フライパンがシャモジを訴える、
ふきのとうがパクチーを訴える…。

そうなると俄然いそがしくなるのは法曹界。
裁判所はラッシュアワーの通勤電車のごとく混雑し、
連休のディズニーワールドのように長蛇の列ができる。
なんといってもマグレで訴訟に勝てば、賠償金やら慰謝料が
手に入るとなれば、ほとんどバクチ感覚で「訴えてみる」人間も
出て来ないとは限らない。「週末訴訟」とか「連休訴訟」とか
「DIY訴訟」などというのも、冗談ではなくなってくるかもしれない。



法曹界未曾有の好景気!?

足らなくなるのは裁判官・弁護士。
とにかく法に特化した職業の人間が圧倒的に不足する。
なにしろ今まで訴訟とは一生無縁だと思っていた人々まで
参加するようになるのだから、その業界はものすごく規模が大きくなる。

18歳未満は禁止されているパチンコに、
小学生も行ってヨシとなったら夏休みの台取り合戦が熾烈になる、
というのと同じだ。ゲームセンターあらしの
パチスロ版がコロコロコミックにも登場する(どうでもいい)。

しかし一流国立大学法学部を出て弁護士になるような秀才が、
その需要に比例して増加するわけがない。
人口に対する優秀な個体の出現には限界がある。

量は増えても質は下がる。
コンビニのバイトと同等の時給で弁護士やられちゃかなわない。
圧倒的な法知識と正義感で、
一般人を遥かに凌ぐ見識をもった常識人でないと、
困るのだ。





日本が本気で混乱し始める

その場合どうなるか?
ここからが本題、「市場の自由化」である。

国家資格である種々の法律関係の仕事は、
もちろん国内だけに限られた市場だ。もちろん産業系訴訟においては、
海外との折衝もあるが、その活動は日本で得られた日本の
資格を元にしているのであって、
かれらは日本の弁護士として戦っているのである。

市場の自由化が推し進められると、
多くの意味で海外からの参入も可能になる。
アメリカ人弁護士が京都の警官護持訴訟を引き受けて
日本人開発者と争う…というような場面も登場するかもしれない。

そんなことはあり得ない…と考えるのは少し考えが甘すぎるかもしれない。

それには、法律の改正がどうしても関わってくるからだ。
法律をどう拡大解釈したって、
外国人が日本で弁護活動をできるようには…もちろんなるはずがない。


じゃあ、法律が改正されたら?

それは可能だ。



アメリカ化するアジア


20年前、誰が外国資本の保険会社のCMが、
テレビでどんどん流れることを想像していただろうか。

「構造改革」「規制緩和」の波に乗り外資系企業の参加を許した結果、
さまざまな分野で日本企業は今、大変な目にあっている。
自由主義に乗っ取った開放政策で、がんじがらめになった業界の
規制を取っ払って自由な新規参入ができるようにする…という
美辞麗句にひっかかってしまうのがわれわれのパターンである。

新規に門戸を開いたのは国内の同業者だけでなく遠くアメリカ企業に
対しても同様で、じつはその門戸開放につながる法改正が、
アメリカの圧力に屈したものだったとしたら…。

これは想像ではない。
事実、アメリカは毎年、
さまざまなジャンルの法改正を含む要求を日本に出し続けている。
それに従って日本の政治家が、
改革を謳い文句にアメリカの都合のいいように法律を変えて来た。

さまざまな分野で「自由化」と言われてきたのはそういうことだったのだ。
「グローバルスタンダード」とは、アメリカが儲かるように
いろんな国の法律をアメリカ流に改正させることだったのだ。


かくして、おそらく遠大な構想で進められている「司法制度改革」、
その一端を弁護士ドラマや法律バラエティは担っている。
遠回しに遠回しに、改革やむなし、
あるいは改革推進すべしという風潮に、グイグイ持って行かれている。

いつのまにか分野を限定して「英語での裁判も認める」
という制度が確立し、
あぶれたアメリカの弁護士たちが日本の市場を食い荒らす日が来る。

小学生から始められている英語教育がそれにはやっぱり
必要だという、互いを補完する屁理屈で破滅していく日本。

流行は、いつも人工的に作られるものだ。
アメリカの思い通りに操られるのはなにも、
弱腰官僚や腰抜け政治家だけではない。
なにも感じず、
喜怒哀楽だけを理由に生きている「自然派」な日本人をダマすことなど、
アメリカからすれば簡単なことなのだろう。

それに加担する「損得勘定」だけの日本人がいることも事実だ。

娯楽にさえ、ウラがある。
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