ジョアンジルベルトコンサート
■最後の奇跡。

存命中に「最後の」なんて付けられるほど、
この人は生きながらにして伝説になった人なのだそうだ。

会場は大人しかいないかのような「余裕しゃくしゃくムード」。
客電落ちるやいなやアンコール完全終了まで一度も座らない
ロックコンサートや、最初から椅子さえない野外フェスや
ブロック指定のみのライブハウスとは根本からなにかが違う。

音楽はいろいろだ。
とにかくいちリスナーの分際のくせしていつのまにか自分を
神棚に上がってしまったかのようにゴタクを並べ出す
CDショップの店員やこだわりの洋楽ロックマニアもぜひ、
体験すべき時空だったと思う。

ジョアンジルベルトは75歳。
「インタビューに全然来ない」
「自分のコンサートすらすっぽかす」など、
社会生活不適合者的武勇伝を数々持ち(レコード会社の公式紹介に
も書かれ)ながら、なんじゅう年ものあいだ世界的な
ミュージシャンズ・ミュージシャンであり続ける活仏。
とにかく「ボサノヴァ」はこの人が作ったというのだ。ほんとか。

『ジョアンジルベルト ライブ・イン・トーキョー』
というアルバムを聴いてみたらわかった。
こいつぁスゲエぞ。その音楽のスゴさの正体はわかんないけども、
なんだかスゴイぞというのはわかる。

さて、そのアルバムを買うきっかけ。

■恵比寿のカフェで。

ジョアンジルベルトを知るのは3年前。

ぼくはせっかく小旅行的に訪れた東京で、
独りふらふらと歩いていた。
あまりに一旦停止せずに高速で歩き続けるぼくは、
重いブーツに外フクラハギの痛みを覚え、道沿いの「珈琲専門店」
に入った。恵比寿という地名だったような気がする。

「東京と大阪で、これほど落差の激しい同じ地名の土地はない」。

そこは見るからにこだわりの店という感じで大人なムードだった。
テーブルも3000年くらい前からそこに
生えていたんじゃないかと思うほど古めかしいウッドだ。

遠くのテーブルで、エラそうにべらべらと語り続ける
黒シャツのおっさんと、いかにもアクセサリー会社を
経営していますという風な上品で男勝り系のオバはんが、
初対面ながらなにか話している。

この店を偶然訪れたオバはんに、常連のおっさんが
説教がてら話しかけた、とでもいうような風情だ。

おっさんは
「こないだのジョアンでさ、空調いれろよって言ってたの、
俺なんだよ…!」と自慢げに。

オバはんは「ジョアンね…最近なんだか変わってきちゃったって
話よね…昔の方が良かったって…」
としたり顔。

こいつら両方きらい、って即座に思った。
あとで分かったことだが、ジョアンジルベルトはコンサート会場の
エアコンを一切止める。

それどころかブラジルでの生活も、
エアコンいっさい無しで暮らしているらしい。

声のため。乾燥を防ぐため。

ブラジルでは一般人も「暖房を入れる」ということは
なさそうだから、アーティストでありじいちゃんでもある
ジョアンは、冷房を極度に嫌っているのだ。

どちらにしてもエアコン憎しらしいので
冬のコンサート会場はさぞ寒かろう、夏などは推して知るべし。

なんなんだ、そのアーティストは…。
まさかボサノヴァが、今まだ生きている人の創始したものだとは
知るはずもなく、ロックとはまた源流の違う音楽の心地よさに
実は興味がずっとあったぼくは、
やっと3年後、3回目にして最後だと言われた来日公演の最終日、
これまた東京の国際フォーラムという、アダルトな会場に
足を踏み入れたのであった。


■東京国際フォーラム


とにかくぜんぜん始まらない。
開演は7時なのである。

噂どおり、ブラジル時間(そんなものはない)で進行する
ことを知っているかのように、
開演時間を過ぎたのに客席がほとんど埋まらない。

ステージ上も、
ジョアンジルベルトが座る椅子とマイクがあるだけで、
他のセッティングが無いぶんなにも変化がない。
スタッフもぜんぜんウロウロしない。

開演予定時刻を15分ほど過ぎたころ、
「アーティストの到着が遅れております」というアナウンス。

と、到着…??

楽屋、ないのか…?
会場にすら、いない…のか…!?

近所のホテルにいるのだ、と後ろの席の男性たちが話している。
彼らは前日の公演にも足を運んでいたらしい。
聞き耳を立てると、「まだまだ来ないよ…」とも…。

まだまだ来ない…。
“まだまだ始まらない”ではないのだ。
『まだ、演るかどうかすらわからない』状態なのである。
ちなみにチケット代は12,000円。

1時間遅れることなどザラにある、という噂話が
全感覚的に真実味を帯びるころ、そう、
7時45分を過ぎたあたりにまた、アナウンス。

「ジョアンジルベルトがホテルを出発いたしました」

会場爆笑。拍手喝采。口笛(ヒューッってヤツ)すら。
いやいやいや、笑ってる場合か?

…場合なのだ。

われわれの感覚でこの場を推し量ってはいけない。
もうすでに、ここは「彼のテリトリー」なのだ。

オープニングアクトが始まったと考えるべきだ。
普通のアーティストが舞台袖から走り出てくるほんの2秒ほど。
その2秒が「ジョアン時間」では、45分なだけ…。

体を預けてまかせるしかない。
開催期間中はほぼ毎日、1時間遅れて開演している様子。
じゃあ1時間早い時間を、ジョアンに伝えておけよ!
そうはいかんのか…。

開演予定時刻からちょうど1時間が経ったころ、
おもむろにダークスーツの神はステージ中央に
腰を降ろし、静かに唄い始めた。


■全能の音楽神

囁くようなボーカル。
つま弾くギター。
しわぶきひとつおこらない。
観客は沈黙を尊び、演者がそれを統轄している。

ざわめいてはこちらが損をする、と観客みなが本気で感じている。
観客がみなそれぞれに嬌声を上げ発散することも
音楽を聴く楽しみ方のひとつだけれど、
集中して、沈黙して、耳に入ってくる音声だけを信じて、
微動だにせず鎮座するのも音楽だと心から思えた。

3年前の「奇跡の録音」とまで言われて
ジョアンジルベルト本人が希望したと言われるライヴ・アルバム
『ジョアンジルベルト ライブ・イン・トーキョー』に
収録の曲を含め、テンポはおろかキーまで変えて演奏される。

ひょっとしてぼくは、シンプルな楽曲と演奏形態を
勝手にナメていたのでないか。
簡単だからこそ、変化は自由。
我流だからこそ、無形。無形の強さ。
雲のジュウザ。

おお、常に楽しみ、攻めつづけることができる音楽。これはいい。
ジョアンジルベルトから沁み出す歌とギターが、
聴き手のからだにそのまま沁み入るような感覚。

今回の来日公演で世界初演だという曲を含め、短いけれど
バリエーションに富んだ曲たち。
かわいいのもあれば悲しいのもある。
本人のアドリブでサビを繰り返す曲もある。

眼鏡がずり落ちようがコードをやりなおそうが、なんだか
とっても不思議な空間。家で、そばで聴きたい。

ブラジルの観客はいっしょに唄いたくなってしまい、うるさい
お祭り騒ぎをすぐやりたがるのだそうだ。
想像はできる。

だからジョアンジルベルトは、
静謐なる日本の聴衆が好きなのだそうだ。

いっしょに行った人が、となりで眠っていた。
まぁそれもいいか、と思えた。
あんな大勢がいる中で眠れるなんて、なかなかない。

演奏のうまいおじいさんが爪弾いて囁いてくれたら、
どこでだって眠れるはずだし。
眠るのも、楽しみ方のひとつかも。
さすがに小さく「コー」とイビキをかき始めた時は
ヒザを揺すって起こしたが(笑)

しかし「ボサノヴァを愛するのはこういう人たちだ」という、
型にはまったようなマニアには辟易する。会場にも多数。
そういう人たちは、

たぶん他の音楽への無理解から、とても独善的な意見を
持っているだろうし。
どんな音楽を好きな人でも、核心にせまる本物を聴いたら、
感動の質は同じレベルだと思う。

少なくとも、
着メロやMP3の圧縮データだけを音楽だと思っては
いけないのだと改めて思った。音楽は本物だ。本物だけが音楽だ。

初の映像作品がこの来日公演を収録して発売される。
これは買おう。

知識はまず、関係ないんじゃないか。
でもポルトガル語が分かった方がいいに決まってる。
音楽はその母国の、歴史を背景に持っているものだから。

爆音ならばなんでもいい、というのも楽しいけれど、
究極の最小編成「声とギター」。

糸井重里さんも言っているように、ぼくらは音楽との
主従関係がなんとなく、決まって来ていると勘違いしそうに
なっている。
ダウンロードやMP3で、聴く曲順すらコントロールできてしまう
(今や“ランダム”でメチャクチャにして聴いてるもんね)。

聴き手がご主人様になりすぎている今。

ジョアンジルベルトに接し、否が応でも従者にならされることの
心地よさを感じたし、聞く側本来の「受け身としての素晴らしさ」
がホンワリと身体を締め付けて離さない。

このコンサートに行けて、こころから良かったと思う。
後日談:
世界最初のジョアンの映像作品が製作されることが決まり、
当日はハイビジョンカメラなどのものものしい設備が
セッティングされていましたし、DVDの予約用紙も客席には
ヌカリなく配布されていました。
予約を終えて数ヶ月、
「ジョアンはやっぱり当日のプレイを気にいっていない。
DVDへの許可をくれない、発売は中止」というお知らせがきました。
うーん。
発売元サイト(GEMMATIKA Records)のお知らせ文(詳しいいきさつ)
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