ダジャレがおもしろくない理由
ダジャレを連発するヒトが、まわりにいませんか?
思いつく事は思いつくけど、これを発しても同意や笑いは得られず、
しらけた空気製造者として白い目で見られる。
そんな当たり前の気遣いをして黙っているアナタを尻目に、
脳裏にひらめいたダジャレを、生産・即・出荷するヒト。
当然、それでおもしろいことなんていうのは稀で、
そんなダジャレで笑っているのは、おなじような生産即出荷タイプの
ヒトばかり。

そしてそんなタイプは、おじさんに多い。
実際、若い世代ではダジャレを思いつく率も、おじさん世代よりは
低いようです。
さまざまな経験や豊富な語彙ゆえに、ダジャレを思いつく率が
高くなる。
それと相まって(これは男女ともにですが)、「ここでそれを
言っちゃあダメだ」というハードルがどんどん低くなる。
では、なぜダジャレはおもしろくないんでしょう。
ダジャレさえおもしろければ、どんな場面でそれをクチにしても
白眼視されることはなくなるのに。
ダジャレがおもしろくないばっかりに、“ダジャレ世代”は
肩身が狭い。
実際は先ほど言ったように、年齢に比例して、慎ましやかな神経は
鈍ってきてますので、「肩身が狭い」という感覚もあまり自覚症状は
ないようなのですが…。
ダジャレは羞恥のとおり、「シャレ」に「駄」がついたものです。
駄菓子の「駄」ですね。
〔接頭〕名詞に付いて、値うちのないもの、
    つまらないもの、粗悪なものなどの意を表す。(大辞泉)
ということは、
『値打ちのあるもの、つまらなくないもの』なわけです、
「シャレ」ならば。
「シャレ」は「洒落」とも書きますよね。「オシャレ」と同じです。
ダジャレの「シャレ」は「オシャレ」の「シャレ」と同じなのです。
これは、単なる偶然なのでしょうか!?
単なる言葉遊びと、服装にどんな関係があるというのでしょう。
それは、こう考えれば納得できます。

オシャレとは、「ちなんでいること」がその発祥だと思われます。
今では街で着るのが当たり前だったパーカーも、元はヨットパーカー
として、ヨットに乗る人だけが着るものだったでしょう。
デッキシューズもそうですね。それを、「タウンユース」にした。
日常生活とは少しだけかけ離れたジャンルの服装を、街を歩く時に
取り入れてみた。いわば「ヨットマンにちなんだ」わけです。
ミリタリールックもそうでしょう。
軍人が身につける着衣を街で着ることには必然性はありません。
「軍人にちなんだ」ファッションスタイル。
必然性なく「ちなんでみる」ことがオシャレだったのです。
70年代のリバイバルも、50年代にさかのぼったサイケな
ファッションも、すべて「ちなんで」います。

「ちなむ」が分かりにくければ、「かかっている」と
言い直してもいいでしょう。
「なぞかけ」や俳句・狂歌などでおなじみの、ふたつの事柄を
同時に表している状態。
思えば現代の、いくら最先端のファッションでも、雑誌などの
メディアで紹介されたものを、自分に「かけて」いる。
あのモデルと同じように、あの芸能人と同じファッションを、自分も
してみたい。たとえばバイオリンの形のブローチであっても、
それは「音楽の世界」に「ちなんでいる」のであって、クラシック
音楽の持つ優雅で高尚な雰囲気を自分と「かけている」。
その状態を「オシャレ」と呼ぶのです。
ここで注意をしなければいけないのは、「かかっている」のは
「2つ以上でなければ褒められない」という点です。
先ほど言いました「あのモデルと同じように、あの芸能人と同じ
ファッションを、自分もしてみたい」というような欲求は
女性でなくとも持っているものですが、そのままそっくり同じ物を
揃えるだけではただのモノマネです。
決して「オシャレ」とは呼ばれません。
ではどういうヒトがオシャレと呼ばれるのでしょう。
それはもう、みなさんご存知の通り、「まず本人がすばらしい」
ことが大切です。
なにかに「ちなんだ」ファッションと、それに見合うだけの(それら
のアイテムを取り入れた見識や容貌などの背景)ものを持っていて
初めて、醸し出す雰囲気をして「オシャレ」と呼ばれるのです。
物だけで着飾っただけではないムードを本人が持っていなければ
なりません。いくら「ちなんで」いても、本人に魅力がなければ
それは「ただのコレクター」です。
身につける物と、本人と。
この2つがうまく融合してこその「オシャレ」なのです。
なんと、「ダジャレ」もそうなのです。
先ほど狂歌が少しでてきましたが、狂歌・落首の中には、詠み人が
不明なまでも見事な作品が数多くあります。
それらは、豊富な語句の中から見事にコトの本質を言い当て、短い中
に情景を映し出してくれます。
大正時代に作られたという、黒船来航を表した
「太平の眠りを醒す上喜撰 たった四はいで夜も寝られず」が有名
ですが、「上喜撰」とはお茶の種類で、「蒸汽船」とかかっています。
そのうえお茶ということで「夜も寝られず」、列強がついに日本に
開国を迫って来た国情を表現しています。
 このように、2つ以上が「かかっている」状態で始めて「うまい」と
言われ、「ダジャレ」とは言われません。

そうなのです。
 「ダジャレ」がおもしろくない理由は、
「ひとつしかかかってないから」なのです。
お分かりでしょうか。
たとえば、誰かが挨拶に「まいど!」とおどけて言ったとします。
これを受けて、「おいど!」とお尻を突き出した光景を
思い浮かべてください。考えただけで寒気がしますが、これは
「まいど!」と「おいど!」の「いど!」が同じなだけ。
それ以外の必然性も、必要性も、シチュエーションを表現した
わけでもなく、ただ発音が似ていただけでした。
それでは「ダジャレ」なのです。「駄」なのです。
「ダジャレメーカー」などと陰口を叩かれるのを防ぐため、
「2つ以上かかっている」時以外は、いくら思いついても、クチには
出さないようにしましょう。
vol.1 ツッコミは「みんゴル」である

vol.2 ブームってなんだろ 

vol.3 漫才・コントのどこを観れば良いか

vol.4 ダジャレがおもしろくない理由

vol.5 緊張と緩和?

vol.6 空気を読まんかい

vol.7 M-1グランプリをどう観たか

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