七回忌 桂枝雀追善落語会に行って参りました。
まずは5番弟子、
桂九雀さんの『御公家女房』。
『延陽伯』のアレンジですね。
続いて、
桂ざこばさんの『首提灯』。
これ、途中でブツって感じで終わりましたね。
何だったんでしょう。
「上燗屋」で切って舞台を
降りてしまわれました。
なんだか鼻水の出具合が気になる、
てな雰囲気でしたが、人一倍兄弟子枝雀に
愛着を持つざこばさんですから、
演じている途中でなにか
感極まる部分があったのかもしれません。
枝雀一門が居並ぶ口上では、
口上を述べる一番弟子・桂南光さんはじめ
涙ぐみかけている方もいましたから、
単なる観客であるわれわれとは違う
一種異様な雰囲気が舞台上にあったことは
事実です。
次に御大、桂米朝師匠の登場。
『鹿政談』。
奈良の奉行と鹿の守役の巧妙なやりとり。
さすがに齢80を重ねる人間国宝、
座ってるだけでなんだか「ええもん見たなあ」
と感じさせるのがすごい。
傘寿を迎えてまだあれだけの時間、
ハキハキとしゃべる老人はそんなにいませんよ。
…とはいえそこはおじいちゃんらしく、
忘れてるんじゃなくても話の途中でグっと
言葉が止まることがある。
ボケてきたやら物忘れが
なんてご自分で前置きしてるから、
観てる方はいらざる心配とは知りながら、
思わず呼吸が止まってしまう。
あれだけのベテランになると、
無事に高座を終えた後ろ姿に、
上方落語300年の歴史そのものを
見てしまうのであります。
トークコーナーでは
司会の桂南光さんの紹介で、
ABCアナの道上洋三さん、
歌手の佐川満夫さん、
ビル・クラウリーさん、
ミュージシャン 増田俊郎さん、
そしてなんと
上岡龍太郎さんが登場。
上岡さんが作詞したものに曲をつけて、
唄ができあがってました。
傍らで聞いていた桂南光さんが、
故人の偲ばれる歌詞に手ぬぐいで
涙を拭いておられました。
笑福亭仁鶴さんの登場。
『つぼ算』でした。
おや、パンフレットには
『代脈』と…。
当日は2回公演で、
お昼公演ではプログラム通り
『代脈』だったそうですが、
そのあと流された
桂枝雀さんのVTRで、
『つぼ算』のセンテンスが
出てくるということで急遽、
粋な計らいで夜は演目を変更なさったようです。
さすが。
遠目に見てもちっちゃいおじいちゃん、
な仁鶴さんですが、なんであんなに
おもしろいんでしょう。
なにがって言われても、「間(ま)が。」
としか言いようが無い。
前述のVTR、
『つる』。
やっぱり、おもしろいんですよ。
なんだか若手やその他の噺家さんと比べて、
カミシモの振り分けは曖昧な感じがしますね。
物理的な判別は台詞の違いでつくのだから、
それよりは息や間を流暢につなげて
会話をより会話に聴かせる、というか。
映像に涙しているお客さんもチラホラいて、
やっぱり面白い話を明るく
演じるVTRを観ながらも、ああこの人は
あんな方法でアチラへ行ったのだよなあ、
と感慨は深いのです。
「なにもないから」と自決する人は多いです。
「なにもなくなってしまった」と
自決する人も多いです。
しかし枝雀さんは
「ありすぎるから」自決してしまったのだと
思います。
それは金銭や地位や名誉では決してなく、
笑わせるという技術に感じる
「見えざる最高峰」、
そして「それでも結果は第三者からの
判断のみで評価されがち」な現状、
なぜかくも人は笑うのか、という
技巧的および哲学的自問。
なんら才能を持たず知識も持たず、
あまつさえ技術すら持たずに
「お笑いやってまーす」
とヌケヌケとヌカす奴らが多い中、さっさと
最上階からさらに上空へ
移動してしまわれたのですから、
それは真剣に生きるすべての人への、
強烈なメッセージになっていると思います。
がんばんなさい
でも
がんばりすぎなさんな
という、ね。
枝雀さんの写真を見ると、
ぼくはアイルトンセナと同じものを感じます。
写真に写る彼らは、
なにか、
ぼくらには見えない場所を
見ているような気がするのです。
今日ぼくは、ちゃんと、決めました。
DVDやCDを、
きちんと(ちょっとずつですが)、集めようと。
枝雀さんの落語を知らないというのは、
無知の人生どころではなく、
「人生無味無臭」に近いですからね。