ニュース手短に。

死刑と宗教とオウムとあの「麺」について

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麻原彰晃と6人の弟子が死刑に処され、違う角度からの批判が出ている気が、しませんか。

・なんで死刑にしたんだ
・死刑は無くすべき
・欧米では
・本人らが死んで真相が究明できなくなった
・あの一連の事件はまだ終わっていない
・アベシネ

など。

死刑執行の少し前、「オウム事件真相究明の会」なるものが結成され、呼びかけ人の一人である森達也氏が、こんな記事を寄稿していました。

地下鉄サリン事件がテロだったと誰が断言できるのか?
https://www.huffingtonpost.jp/tatsuya-mori/post_4722_b_3208371.html

この記事の冒頭で、森氏は

「テロ」の定義は、「直接的な暴力行為を働きながら、その脅威によって特定の政治目的を達成しようとする行為」だ。暴力行為や破壊行為だけではテロの条件を満たさない。だから秋葉原の無差別殺傷事件や付属池田小事件などを、テロと呼ぶ人はいない。

と書いています。

まったくおかしな論理、だと思います。

 

NHKスペシャル
「オウム 獄中の告白~死刑囚たちが明かした真相~」
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180708_2

で明らかにされた、教団内で録音されていた秘蔵テープには

「今生で救済の成功っていうのは核戦争の回避なんですか」

と問う弟子に対して麻原彰晃は

違う
今生で救済の成功は核戦争を起こさないことではない

変なこと言うぞ

資本主義と社会主義をつぶして宗教的な国を作ることだ

本当の意味でこの世をもう一回精算すべきだ

と語っています。

では「宗教的な国」はなにを示すのか?

資本主義と社会主義を一切廃した国、というのは地球上には現在、存在しませんよね。古来からの生活様式を受け継いでいる一部の少数部族にはあるかもしれませんが、それは「国」ではないし。

ミャンマーも仏教国ですし、サウジアラビアやイランもイスラム教の国ですが資本主義が全く機能しないままなのは、経済的に考えられない。

ましてやまずこの日本で、資本主義と社会主義などの社会体制を破壊しようとして行動を起こしたのならば、それはそのまま「その脅威によって特定の政治目的を達成しようとする」ことに違いないですよね。

 

つまりオウム真理教の起こした殺人事件は「テロだ」としか言いようがない。

この理屈が通らない人らが「真相究明」を望んでるだなんて、何かの冗談ではないですか。冗談ではないみたいなんですよね…。

残念ながら件の団体や、多くの麻原被告らの死刑に反対している人たちの頭の中には、「事件の真相究明が妨げられた」→「死刑そのものに反対」→「死刑を執行した現政権に反対」というチャートがまず存在してて、実際はその順番が実は逆行して活動に結びついているような気すら、します。

つまり「現政権にとにかく反対」→「死刑制度反対」→「オウム事件は解決してない」という順番。これは勝手な推測ですけども。

 

オカルトじたいは悪くない。

空前のオカルトブーム(第二次オカルトブーム)と共に、オウム真理教は面白がられてきました。オカルトの特徴として「科学的事実より大事、みたいな感覚を尊重する」というのがあると思います。事実や裏付けはいったん置いておいて、その表層をとりあえず楽しめるだけ楽しむ、というような。そして表層を楽しんでいる(つもりの)間に、未曾有の無差別殺人が起こってしまった。

犯罪さえ犯さなければ、宗教団体はおもしろさを兼ね備えることができる、これは確かなことです。現に、神社仏閣をパワースポットだと呼び習わして、初詣だ縁結びだ縁切りだと集客して、神の名を書いたグッズを作って売りさばいている。こういう「レジャーランド化」「エンタメ化」は、反社会的でないから成立していること、ですよね。現代社会の動きに合わせて、宗教団体が柔軟に変革してきた結果でもある。

もし仏教が、2500年前のインドのようにお釈迦様の生きていた時代とまったく同じように振舞わなければならなかったとしたら、やっぱり今なら、社会との軋轢は避けられないでしょう。

今でも新興宗教を中心に見られる、「出家した人と、取り戻したい家族」との戦いは、その一端と言えるでしょうし。出家とは根本的に、世を捨てること、家族を捨てること、法に帰依すること、ですから、社会一般の常識と部分的に合わなくなるのは当然です。だけど、そこから始まるのはいわば「自分との戦い」「内奥との確執」、ですよね。どこまでも自分を突き詰めて、やがて悟りへ向かう。その道程に入る者として、「なにとも戦わない者」としての論理を持つ。だからこそ出家した僧は尊敬を集めるし、在家信者はお布施をする。

だけどオウムは勝手な解釈で歪(いびつ)に作りあげた教義で「救うことは殺すこと」「殺すことは救うこと」と、現代社会はおろか古代の社会でも折り合わない行動に出た。

 

神格化は常道、だけど。

麻原彰晃が死刑になり、日本人として火葬された後、遺骨は遺族に手渡されることになると思うのですが、その際、問題になるのは「遺骨」問題なのだそうです。

やはり宗教人として(ずいぶん歪んだ宗教観だとは思いますが)信者がいまだいる状態だと、松本智津夫の遺骨は「仏舎利」化するのではないかという懸念があるらしいです。
ただの欲の塊のおっさんの遺骨がなにが仏舎利か、と、仏教界は激怒しているでしょうけれど、古く建てられた五重の塔などは「仏舎利塔」として、はるかインドから運ばれたと伝承される仏舎利(お釈迦様の遺骨)を聖なる骨として祀るという伝統を、真似ているんですね。

ちなみに現在のオウム真理教はどうなっているか。
公安調査庁が、数々の事件の情報とともに、公表してくれています。

オウム真理教は現在
http://www.moj.go.jp/psia/aum-23nen-genzai.html

これを見ると、ごった煮教義だったオウム真理教は、教祖が死んだことによってその存在を絶対化させ、「仏舎利」を宝とする一方で、キリスト教的な「メシアの復活」みたいなことも、信じてそうですね…。

この「骨」を誰が持っているかで、宗教団体としては「後継者の正統性」を主張する、っていう。部外者には「お前らなにやってんの」っていう感じですが、信者にとっては割と、重要なことだったりするんですよね…。

さて、ここで問題なのは、オウムに殺されなくても自殺者が万単位いる日本で、こういう荒唐無稽な宗教が、なぜ信じられてしまうか、ということ、ですよね。

地下鉄サリン事件から20年以上を経て、もちろん生まれてもいなかった人にとっては「えらい事件だったそうスね」としか言いようがないし、それは私の世代が全共闘時代を体感してないのと同じで、またこれから先、繰り返されることでもあると思います。

 

秀才エリートが多くいたオウム。

おそらく実家や地元地域で、祭祀にまつわる行事にしょっちゅう参加してたらからめとられることはなかったでしょう。例えば伊勢神宮の氏子さんの家で暮らして年中行事に関わってたりとかすれば。

完全に「個」に切り離されたからこそ、いえ仏教の根本もそこにあるのだとは思うのですが、オウムや新宗教などを、初期仏教やキリスト教と同列に語るのは、やはり難しい。

創価学会や立正佼成会が戦後、会員数・信者数を増やしたのも、都会の人口増加や若い世代の都心への流入、と深い関わりがあったから、ですよね。田舎に住んでいた人が、仏壇や神棚を持たずに都会へ出てきて、ここにはわずらわしい人間関係や先輩後輩もないけれど、伝統的な宗教感をよりどころにした祭りもなく盆踊りもない。そんな土着的・宗教的な連帯が絶無な中で、横のつながりが強くなり、それを下支えする宗教観へ没入して行く。「個」の基盤が、今はスマホや娯楽の発達で移り変わって行ってるので、こういう宗教団体は新たに信者を獲得するのが難しいとも、言われていますよね。

オウム真理教が最初、ヨガサークルから始まったように、宗教団体は、宗教団体として勧誘をしたりはしません。まず「コミニュティ」として、なくてはならない存在としてしっかりと個人に関わってくる。

自分と、社会とのつながり、自分という存在に不安を感じる人にとって、どんな集団であろうが「自分の立ち位置」をしっかりと指し示してくれる存在は、所属してあまりあるメリットを感じるんです。ましてや、生活の面倒を見てくれる、となると、それは大げさですけれど「帰依」と呼べるような状態になってくる。
まるで全員を「教義を丸呑みしている狂信者ども」と、簡単に信仰している人を非難する人がいたりしますが、必ずしもそう、単純なものではない、ということですね。

宗教観がふわふわしている、もしくはふわふわしている、と信じ込んでいるのが日本人の特徴、と言ってもいいでしょう。改めて考えてみると、「楽しめればいいじゃない」と多くの人が容認している日本のクリスマスですけれど、どう考えたって敬虔なイスラム教とからは許せるものではない。最近はハラールについても見聞が広まってきて、「あ、まあええやんでは済まない世界がある」ということが、わかってきましたよね。

逆から言えば、日本人が「妙に寛容」なのは、閉じたサークルの中、でだけなんです。

これは「安心社会」と「安全社会」の違い、で説明されていることです。

 

以前、この記事の後段で、触れました。

【追記あり】芸人は風刺をやれという寝言が聞こえたので目覚めた朝w

 

まったくの妥協が許されない相手が現れた時、そこから寛容さを発揮できるようになるまで、つまり完全に理解するまで、どれくらいの時間がかかるんでしょう。

ハラールの場合、「和」の精神で、「まぁいいじゃない、私も少し控えるから、あなたも少し食べなさい」っていう折衷案は、何百年話し合っても出てこないんですよね。

「あなたは食べなくていい」
「私は食べるけど」

という「場」を、時間をかけて作っていくしかない。

日本ハラール協会
ハラールとは
https://jhalal.com/halal

 

歴史的に、外来のものをうまく取り込んで、和風に練りこんで来た日本人。

そんな中。

どこか、新しく、超越した論理であまりにも昂然(こうぜん)と立ち振る舞う宗教者たちに、「あれ?ほんとなんじゃないか?」と、親近感・スター性を求めてしまうところ、あったりします。

それが、オカルトブームでもてはやされ、事件後、および今回の死刑執行後もなぜかほっかむりして逃げている民法各局の、麻原彰晃の「面白がり方」だったんだと思います。

テレビ局は「そもそも無責任」ですから、その時、面白がれればそれでいいんです。
最初からメディアって、「社会を良くしよう」なんて、毛の先ほども思ってませんから。
これは善悪ではなくて、構造としてそういうものです。「社会の木鐸だからメディアは常に正義側」というのは、宣伝文句に踊らされて勝手に我々が、思い込んでいるだけです。

台風情報はなんのためにあるのか〜テレビの構造〜

 

なじるのはかんたん

「あんな宗教信じるなんてどうかしてるよ」と一刀両断することは、確かに簡単です。

創価学会にしても「そんな7文字(南無妙法蓮華経のこと)?を唱えただけで何かが変わるわけないでしょ?」とか、幸福の科学にしても「あの霊言?あれを本気で事実だと信じてるわけ??」とか、常識的には思ってしまいますけれど、「そこ以外」が、自分という存在をしっかり支えてくれるのだとしたら、もはや我々が端的に不思議に感じる部分は、おそらく「枝葉末節」に過ぎないんです。あまり正誤や事実関係など気にならない。もちろん、自分の家族があまりにも熱心になっていくのなら、それはそれでしっかり考えますけどね…。

それにしても情報があふれ、先端科学の発達した現代の日本で、こんなにたくさんの人が信者で、あんなに立派な施設がどんどん建てられるような宗教が立派に存在するということの説明は、うまくできませんよね。
じゃあ彼ら、何万人の信者の人たちはすべて、頭のおかしい狂信者なのか?

「宗教を信じ込んでるやつはおかしい」と思うことが、まず間違ってるんだ思います。

人間は、誰しも、ハマる宗教を無意識に探してる。一生のうちに、それが見つからない人もいる。既存の宗教(地元の檀家とか)で、事足りる人もいる。死ぬまで「お金教」だけの人もいる。「個」がふわついて、自分を強力に見出してくれる存在に魅かれ、それがたまたまインチキな宗教団体だったという人もいる。

オウムのような殺戮集団に関わらないようにするためには、飛躍するようですが「良い友達」を持つしかないんじゃないでしょうか。「私は孤独だ」という思いが強い人には、形を変えて、そこへ埋没する恐れが、常にある。

逆にいうと、個人が個人で持っている「自分の生き方に対する自信」などは、論理と神秘でひっくり返せるだけの用意が、宗教側にある。

 

空中浮遊?

あの写真を信じるようなレトリックが、宗教には周到に準備されているということです。

家に閉じこもってパソコンだけ見て引きこもっていれば宗教にはハマらない、というのは事実かも知れませんが、「宗教にさえハマらなければそれで人生はオッケー」ではないですからね、引きこもりを正当化する理由にはなりませんわな。

神秘体験は、絶対に危険だ、信じるな、と釈迦様は言っています。
なぜか神秘的なものを感じることが「悟り」だとされているような風潮がいつもあるような気がしますが、それを頑として諌めているのがお釈迦様、です。

なんだかオウム真理教にからめてお釈迦様の話を出すのは胸糞悪い気がしますが…オウムの事件は「事件」というだけあって攻撃的に反社会的だったのであり、そしてオウム真理教は人殺しをした団体だった、ということですから、はっきり言って宗教とは切り離してもいい。政治どころか国家転覆をすら目論んでいたことは、先に挙げた肉声テープでもわかる通りです。

洗脳や抑圧、という要素が犯行に繋がっているのは確かですが、例えば「包丁研ぎ真理教」みたいなのがあっても、反社会的行為がなければ別に、ぜんぜんあってもいい。逆に言えば「おはぎ食べ食べ真理教」であっても、「世界の救済のためにはおはぎを国民の喉にあまねく詰めていくべきだ」と、殺人を犯すならアウトです。

 

死刑下から真相究明は無理?

そして今回、法規に沿って死刑が執行されたことは、正しいことですし、非難の対象にすべきことではない。先の森氏の文によると、麻原彰晃の再審をしないことは、「丸腰のビンラディンを特殊部隊で一方的に殺害した政府の判断を、アメリカ国民が熱狂的に支持した」のと同じようなものなのだそうです。

問題意識を持たれるのは実に自由なんですけど、こんなポエムを延々と読まされて、「社会の不安と恐怖が高める目的は、メディアによって半ば達成されている」という認識を流布しようとしてるのを見ると、ちょっとあんたら被害者目線、抜け過ぎてませんかねえ、という感じがしてなりません。

この方のツイート、まったくその通りだと思いますよ。

私が最も印象的に記憶に残っているのは、麻原彰晃が、弟子たちは隔離して監禁して断食させ、薬物も使って幻覚が見える状態にまでして洗脳していたのに、自分は「すかいらーく」でパーコー麺を食べていた、という情報です。許せんなコイツ、と思いました。

その当時、確かにすかいらーく(今はガストになってるけど)のメニューにはパーコー麺、ありましたよね。パーコー麺ていうのは、「排骨麺」。厚切りの豚あばら肉をコロモつけて揚げたのが乗った、ラーメンです。

肉の万世が有名です。

肉の万世
http://www.niku-mansei.com/contents/03menu/03menu04rahmen.html

 

 

 

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