見たもの、思うこと。

春の空気に虹をかけ

 

 

そうか。そういう存在なのだ、小沢健二は。

何度目かの高揚の中、そう思いました。

 


お誘いを受け、武道館へ行ってきました。
こないだ教えてもらった方法で、葉っぱなどを撮りながら。

F値てなによ(α6000で)?

 

そういえば昨年、19年ぶりにリリースされた新曲について、書いていました。

無理やり小沢健二の「流動体について」について考えてみる実験

それからしばらくたち、さらにいくつかの新曲がリリースされましたが、「アルバム」という形にまとめられることはないまま、新しいライブが始まったのです。

 

その前に、行ってみたかったその名も「喫茶 武道」。

なんとなく「喫茶 グレープ(葡萄)」とかにしててもよかったんじゃないか、と思うほどにストレートな名前ですね。前から思ってたんです、こういう会場に隣接して作られてるお店って、「意外とライブ客が殺到してない」ということを。意外と空いてる。1万人からが集まる有名な場所でも、「そういう飲食にはお金使わない」っていう人、実はかなり多いんですよね。その印象は、やはり当たってました。入ると、すぐに座れた。意外に奥が広い。

そして「うわぁこの感じ…昔だ…」と、なぜか田舎のデパートの上にあった飲食スペースとか、まさに40年くらい前のイメージが蘇ります。なぜか嫌なことを思い出しそうになって凹む。古風といえば古風。武道と言えば武道(それは違うか)。

 

春の空気に虹をかけ

題して「春の空気に虹をかけ」。
まさにこの季節だけを春と呼んでいいのではないか、と言えるような4月23日〜5月3日にかけて行われました。東京、大阪、そして武道館。

36人編成のバンドで、このミュージシャンであの往年の曲をやったら…ということで、ご本人にもそういう思いがあったのでしょう、オールタイムラインナップ的な、みんな知ってて聴きたい曲をやってくれた、そんな感じでした。管楽器と弦楽器がロックバンドと重なる。この感じ、特に管楽器セクションの音って、普段、生で聴き慣れていない人間にとっては「ウワァ!」って、感動しちゃうんですよね。振動が心に直接くる、っていうか。「強い気持ち・強い愛」なんて、初めて聴く人でもぐっっっっと来たんじゃないでしょうか。もしあれでなんの思いも持たない人だったら、多分、おつきあい、ちょっと考えた方がいいと思いますよ。

「初めて小沢健二のライブを今日、観たっていう人!?」という問いかけに、ずいぶん多くの人たちが手を挙げていました。ええ、そうなんだ。やはりこの規模になると、そして回数を重ねたツアーともなると、往年のファンだけではなく「小沢健二って名前はしってるけど」という人も、たくさん興味を向けて赴くんですね。これを、小沢さんは期待していたようです。ライブ中のMCで「前のライブとかも褒められたんだけど、“ユートピアだよね”って言われたんです」とおっしゃってました。「これだけ人が多いとそうならないだろうから」という趣旨で、大きい会場でのライブを選択したのでしょう。でもだからこそ、みんなが楽しめる曲選択・ライブ編成になっていた。「ユートピア」というのはこの場合、良い意味でもあり、悪い意味でもあるでしょう。つまり「理想郷」、集まった全ての人の集中力が「あの日のオザケン」に集まり、まるで思い出を取り出して目の前で再現実化しているかのような、いわば「閉じた天国」。ファンの集いとしてこれほどパーフェクトなものはないけど、モノづくり、感性で生きているアーティストにとっては「それでいいのか!?」っていう反問にもなっている。ある意味でそれを目指しつつ、どうやってそこから逃れるのか、という苦しみもあったのでしょう。だけどそれを躱(かわ)す選択は、多くのアーティストにはできないんですよね。普通はファンを囲い込み、懐メロをやるしかなくなる。小沢健二は新曲で、「あの頃の自分」をも軽く蹴飛ばしながら、ほんの軽く軽くだけどあの時代と風潮を笑い飛ばしながら、新しい、確固たる視点で現在を見ようとしている。新しい曲たち(「アルペジオ」や「シナモン、「流動体について」)は、普遍的なもの、大切なもの、動かしがたいものを見守りつつも、もしこうではなかったら自分らはどうなっていたのか…という謎にも挑戦し、答えの出ない苦しみをまた、投げかけてくる。その姿勢と文学性に、改めて驚きと尊敬を惜しみなく捧げることになってます、よね。

 

ちょっとしたエピソードがあった

最終公演の最後に、その満島ひかりさんが促され、「私、オザケン世代じゃないんで…一生懸命覚えました」というようなことをおっしゃいました。場内は笑いに包まれましたが、直後に小沢さんが「そんな、世代とか、ないから」的なことを発し、満島さんがものすごくすまなそうにする、という場面がありました。それに対する、批判があったんでしょうか公式サイトには、こんな文がその夜、掲載されていました。

 

えーと、ライブの熱の中で言ったことが変に響いたそうなので、書きます。「世代は広告がねつ造するもの」みたいな話は、「魔法的モノローグ」の「広告4部作」などで考え、書いてきたことです。興味ある方は、読んでみてください。そして、自分のオーディエンスもよく「オザケン世代」と括られるのですが、今回のツアーで客席を見ているといろんな人がいて、「オザケン世代なんてないよなぁ、フクロウがわかるかわからないかだけだよなー」と思いながら、ツアーしていました。なので、満島さんの冗談をうけて、「オザケン世代なんて信じてません。フクロウがわかる人が僕のオーディエンスです」と、言いました。発言自体は本心ですが、満島さんをディスってるみたいに聞こえたという声があり、そんなつもりは全くないことをお伝えしたく、書いています。満島さんとは過去半年近く、一緒に魂をけずって、長い話をし、お互いに尊敬を持って、作業をしてきました。なので、いつもどおりただ彼女の言葉をうけたのですが、変に響いていたら、すみません。だし、オザケン世代って言葉、自分でも軽口で使います 笑。でも、ああいう本気の場では、本気で長く考えていることが、本気で出てしまいます。ということを、ひかりさんは書かなくていいよと言っていましたが、書いておきます!(今は、ライブ終わって、すぐです。これから打ち上げ。)通常の http://hihumiyo.net/

 

それにしてもあの会場で「オザケン世代じゃないんで」なんて、どんな高い信頼関係があれば言えるんでしょうw あれを批判する人がいるんですねえ、小学校行ってた!?

誤解を恐れずに言えば、小沢健二さんのライブ会場には、「往年のオリーブ女子」と呼んでしまえるような女史がたくさんおられ、その中に、なぜか思いつめたような表情の女性を見つけることも簡単だったりします。どんなアーティストにも自分と彼の人を一直線にだけ結んで「いい。とにかく好き。自分だけのもの」くらいの感覚をドンッドン膨らましていく人はいるでしょう。女性にも男性にもいる。とにかく自分の好きな異性タレントの近くにいる同性タレントに、無条件に自動的に、敵意を向ける人っています。女性にも男性にもいる。端的にいえばそれは病気です。だけどそういう人もいないと、いやそうでないと人気アーティストとは呼べないのかもしれません。私の席の近くにも、開演前からステージだけを見つめ、開演すると一切声を発さず小さく手を振り続けるフリルのついた洋服を着た妙齢の女性がいらっしゃいました。もうそれが気になりだすと公演中気になって気になって歌が耳に入ってこなくなるんですがw、このライブにはお子さん連れの人らもとても多く、私の隣はお父さんと訪れた小学3年生くらいの女の子で「回路(くるくる導線を巻きつけるペンライト代わりのグッズ)」を巻いて、楽しそうに踊っていました。そういうのを見てると微笑ましくも羨ましくもあり、気分はほぐれ楽しくなってきます。しばらくしてまたフとあちらを見ると延々と小さく手を振り続けるフリルのついた洋服を着た妙齢の女性がやはりいて、ドス黒い気持ち・ドス黒い愛が湧き出てきたりもしますが、子供(中には赤ちゃんもいる!)がたくさんいる会場で、やっぱり急に暗転とかすると「うあーーーー!」とか言うわけですよ、子供は。これはもうしょうがない。でもなぜか、あんまり気にならない。子供がいて当然、な雰囲気もすでにあって、ほら、イルカショーとかお祭りの櫓(やぐら)の前とかの、あの雰囲気が、少しだけある。

そして、誰かが指摘されていましたが、満島さんがブルーのTシャツで、小沢さんがピンクのシャツだったりして、物販の上にはカラフルなビニール傘が掲げられていたし、なんだかジェンダーについての「無言の言及」があるような気が、少ししましたね。無意識の「単なるカラフルだよ」と言われればそれまでですけど、オザケンが、そこまで考えてないわけがないでしょうがよ…。

 

「小沢健二」は時代の名前。

いろんな名曲を迫力あるサウンドで聞きながら、「小沢健二」はまるで「時代の名前みたいだ」、と思いました。20世紀を「戦争の世紀」とか「デジタルの時代」とか、21世紀は「ヴァーチャルリアリティが進んだ時代」とか、いろんな別名で呼ぶでしょう?江戸時代とかは江戸時代としか呼ばない気もするけど、鎌倉時代は「武士が活躍した時代」とか、飛鳥時代なら「日本の夜明け」とか、なんだか別の言い方がやっぱりある。

大阪公演よりやっぱり東京だと思う、という感想を誰かが書いてましたけど、東京で同時代を生きた人らからすると、小沢健二はやっぱり「東京の象徴」の一つのようにハッキリ感じるし「あの時代(厳密にはそれぞれ違うんですけど)」を象徴する人、でもある。「小沢健二」という名前を耳にし口にするとき、自分のその時代、その生きていた事実を肯定してくれるように感じさせてくれる。と同時に、あの時代の空気感と高揚感、プラスやっぱり肯定感を、何度でも確認させてくれる。

肉体は朽ちても、あの日の約束はなんとなくまだ有効だよねえ?みたいな、「間違っていなかった感」。サウンドは新しくなり照明は綺麗になり、演出は派手になるけれど、あの時に感じたあの気持ち、が、正確に、拡大だけされて心の奥から引きずり出されてくる。

そんな思いが、「盛り上がる曲の演奏中になぜか泣いている」人の多さでわかりました。

とても良い時間でした。

というかアルバム制作ってもう、やってないんですかね…。
確か数年前のライブで演奏された新曲が、まだあるはずなんですけども。

なんだかライブの感想、になってますかね今回のこの記事w
素晴らしいなぁと感じたのはもう当たり前すぎて、あんまり書く感じではないんですけど、ご本人が上のコメント(ライブ後の)で書いているように、今を生きているということは、自分を「◯◯世代」と区切って型にハメることではなくて、自分の感じることはすべて受け入れるつもりで大胆に、好きな方へ進んでいいんだということですし、その自己肯定の方法を、小沢健二さんは今回も、ちゃんと教えてくれたような、そんな気がしました。そして満島ひかりさんはすごい。

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