見たもの、思うこと。

えーっと、何度目の殺人?『三度目の殺人』。

投稿日:2017年9月28日 更新日:

意外にも(それはあまりにも失礼な言い方だけど)、静かに(それも言い方としてどうなの)ヒットしていると言われている『三度目の殺人』。

あんまり興行成績とか動員数とかを気にしながら作品を観るような感じになってると、「流行ってるから面白い」「ヒットしてるから素晴らしい」という感覚ばかりが強くなって、「俺の感覚はヒットを嗅ぎつけるぜ」みたいな、「人が褒めるものだけを褒める」、スノッブ臭ぷんぷんの薄汚い人になっていくようで、ダメですよね。

HuluとかAmazonプライムで映画を見てると、それがどんな来歴のものなのか、観たあとで「えこれアカデミー賞なの!」という驚きがフツーにあったりするので、公開当時の興行成績とか、一切気にならないです。

Amazonプライムは音楽もあるので恩恵がすごい。やっぱり安すぎる。500円/月。

 

「人生は、いかに行列に並ばないか」

という名言ぽい言葉を今思いついてしまうくらいに、「あ、観たい」と思ったら素直に観ましょう。
人気とか評価とか、そんなもん知るか。
面白いかどうかは、自分だけの判断だけで良い。
そう強く思ってます。

でも確かに「なんでこれが、オメーラにはわからないんだよ…」って思うことは、ありますけどね。
そこじゃないだろう?っていう。

この映画『三度目の殺人』、是枝裕和監督が「監督・脚本・編集」を手がけた作品。
確か「原案」もだったと思います。

「編集」の部分が「武術指導」だと、ジャッキー・チェンね。(ねじゃないだろう)。

さて、公開中の作品について書くときに気をつけたいのは「ネタバレ」っていうやつですね。

ネタバレが死んでも嫌な人、いるんですよね。
フと思ったんですがそういう人って、古典って読まないんですか。
「源氏物語」とか「枕草子」とかだけじゃなくて、「吾輩は猫である」とか「舞姫」とか、ぜんぶ「新鮮な初見」じゃないと楽しめないんですかね。

いや逆に、書物なら何度も前へ戻れますから「あれ?こいつ誰だっけ?」とかが可能ですけど、映像作品、しかも1回しか見れない映画館(任意に巻き戻しできないという意味)だと、ちょっとくらい予備知識あった方が、見やすいと思うんですよね。

ただ、予備知識と言っても、出演されているタレントさんがバラエティ番組でダラダラ私生活を公開する、とかそういうのはただの「客寄せパンダ役」を担っているだけで、あまり意味を感じません。

私は番宣で役者さんが出演されているのを観るとテレビを消します。
余計なことをするな、とすら思います。
逆に、あれをやるからドラマも映画も、作品への集中力(どんな展開なんだろう?)が薄まって、視聴者の感度が下がるんだアホ、とすら思います。

そしてそこでいつも、自宅の位置さえ隠した、渥美清さんを思い出します。

えーと、なんでダラダラ前置きをこんなに書いているかというと、「読む力や時間のない奴はここまでで脱落しろ。読むの諦めろ」と思っているからです。

ネタバレするな!と怒られた記憶は今のところないですが、映画の内容に個人のブログで触れたからと言って、まだ見てない人に怒られる筋合いはないのではないか、とも思いますよね。

お前が見てないことなんか知るかボケ、と。

たとえば私が出演者とか制作スタッフで、公開前に内容を露呈させてしまうのは、これは職責というかルールおよびマナーとして絶対にダメだと思いますが、公開期間中にお金払って劇場で観て、その感想を内容まじりに書こうとすることを「ネタバレだ!お前のせいで面白みを損ずる!」などと批判するのは、「ケチなだけのただのグズ」なんじゃないでしょうか、とか言ってはいけません。

というわけで、見てない人へに配慮はこれくらいにして、『三度目の殺人』に対する感想を、ほんのすこしだけ書いてみたいと思います。

 

 

 

 

三度目の殺人、なので、殺人が計3回ある、と考えるのが普通です。
タイトルになってるくらいですから、やはりこの映画の主題は「三度目」にある。

回想シーン(?)として描かれる、殺人の場面。
これがすごく不可解、というか、謎そのものを表してますよね。
回想というのは主に、「神の視座による」ものだと思うんですが、それが複数あると「あれ?どれが事実だ?」ということになる。

冒頭、三隅(役所広司)は社長を、多摩川の河川敷へ誘導しますよね。
そこで一人で社長を撲殺し、ガソリンで焼く。
でものちに、そこに咲江(広瀬すず)が加わっているような回想シーンが混じる。

いや、あれは咲江の単独犯行だったのだろうか?あの返り血は?確かに、犯行時に三隅と咲江が同時にいたという描写はありませんでしたから、娘が父を殺して、その罪を三隅が老獪に、かぶっているという可能性がある。

 

のめりこめない美形ら

それにしても福山雅治さんがかっこよすぎて、いやいや弁護士…この弁護士よ…ってなりますね。

余談ながら、この回↓に書いた、ココマイスターのダレスバッグ、持ってましたよ。
しかしいいバッグだ…いやその大きさとか質感とか、やっぱりこれは「福山雅治だから」かっこいいんですよ。

私らが持ったら「田舎の巡回医」にしか見えない気がすごくする。

「三度目の殺人」の評判がすごすぎる

 

そう、広瀬すずさんも、かわいすぎるんですよ。
衝撃的な告白をする女子高生、役でありながら、ぃーゃーそんな境遇にいるのに光り輝きすぎだろー、っていうくらいに美少女。

演技の素晴らしさは際立ってますが、轟然と贅沢な「いや、可愛すぎるだろー」という思いが胸に去来します。
もうちょいブスならリアリティあるのにな…なんて。

一つ、謎のシーン、ありましたよね。
あれは裁判所を出てきたところだったか、重盛(福山雅治)が、左の頰を手の甲で拭う。

あれは、象徴的に三隅が、返り血を拭う。
咲江が返り血を拭う。

三者による、同じ動作。

捜査内の検証で三隅が供述した動作なのかも知れません(だから重盛が知ってた)が、なぜそれを、重盛がやる必要があったんでしょう。

そして雪の北海道でこの三者が遊んでいるシーン。
あれは、この三者(重盛・咲江・三隅)が、なんらかのイメージを共有しているってこと?なのか?

刑事犯なので、その動機というのは量刑に重大に関わってくるんですよね。

つまり「殺そうとしていた」と「殺してしまった」では違うし、「盗もうと計画していた」と「その場で思いついて盗んだ」は違う。

これって被(こうむ)った被害者からしたら結果の大きさは同じなので、そのせいで死刑か無期懲役かが変わるというのは、ほんとはおかしな話だと思うんです。

例えば1人殺したら無期だけど、3人なら死刑、とか。
殺された方からしたら1回の死、は同じです。
他に誰が何人殺されていようが関係ない。

でも、「悪さ」に軽重をつけておくことは、加害者が更生するかどうか、という部分において重要なんですね。法理として。

整理しないと、誰の感情が誰に流れて、誰がどの部分で嘘ついてるのかわからなくなる。

 

ちょっと整理。

まず、工場長(冒頭で殺された)。
この工場は、食品偽装をやってる。
これは事実らしい。
嫁(斉藤由貴)は、それを知っている。
娘(広瀬すず)も知ってる。

そして嫁は、その偽装に対する報酬で、50万を三隅に振り込んでいる。

この殺された工場長は、娘(咲江)に性的虐待をしていた。
娘は父を、殺したいと思っていた。
これを、嫁(母)は知っている?
娘は、北海道の大学を受験すべく勉強している。
三島の故郷は北海道。

三島は北海道で、以前に人を殺している。

嫁は、その50万を「殺人依頼」だと疑われた方が、食品偽装がバレるよりよっぽどマシだとでも言わんばかりの態度。

三隅と娘(咲江)、三隅と嫁との性的関係は、事実かどうかはわからない。

 

このタイトルはどこへ向けて?

で、三度目の殺人、というタイトルについてですが。

いったい死刑は、「殺人」なのか?単なる「人殺し」なのか?
その不可逆性(元には戻せない)という意味で、死刑はまちがいなく殺人です。

死刑制度反対派の人たちが言うのはここなんですね。
そんな不可逆なことをやってしまっては、犯人と同じだ、と。
それを国家が権力を持ってやっていいのか。と。

私は思います、国家だからやっていいんだと。

もちろん、死刑になってしまったら犯人は、反省・悔悟する機会を奪われてしまうのだし、被害者の遺族への補償や謝罪も、永久にそれ以上できなくなってしまう。だから死刑はとりあえずやめておこうぜ、っいう理屈、わかります。

でも、遺族としては「もう、殺してやりたい」と思うのも当たり前だと思うんです。
死刑制度廃止論者はその論拠として、上に挙げたような「被害者の遺族も死刑を望んでいないケースがある」と言うんですが、そういう説を出すときに「では死刑を望んでいる遺族の数との比較をしてみましょう」とは決して言わない。

極刑を望む遺族の方が、多いに決まってるから、わざと隠してるんでしょう。

↓この本には延々とそれが書いてある。

自分が遺族なら…と想像してみても、まったくもって「この手で殺してやりたい」と思うのは自然な流れのような気がしますし、それが無理なら、せめて死刑執行のボタンを押させてくれ、と思います。

だって、犯行当時、被害者には助命嘆願の機会もなく、弁護してくれる人もいなかった。
勝手な思いつきと自分の利己的な都合のみで、殺されたんですよ。

なんでそんな奴の「人権」を尊重しないといけないんです?ほんとうなら、被害者が受けた苦痛を、同じ苦痛を味わいながら死んで欲しい。そう遺族が考えるのがまっとうですし、もし自分がそうなら…と真剣に想像してみると、裁判の傍聴席から踊り出してでも殺してやろうか、とすら思います。それを堪(こら)えて、冷静に対処なさっている遺族の方々には、同情しつつ頭が下がりますよね。

死んだ遺族は帰ってこないけれど、それくらいしたって、気は済まない。

で、現状ではそれすら(その感情を満たすことすら)、国家に取り上げられている状態なわけです。つまり「報復感情」を、国家が取りまとめているということですね。国民には、勝手に報復することは許されない。昔なら「仇討ち」と呼ばれたことが、今は国家に取り上げられている。

野球でいう「1回裏の攻撃」ができなくなっているのが今、なんです。
勝手に犯人が始めた「1回の表の攻撃」に対してすら、反撃できない。
代わりに国家が肩代わりします、というのが死刑。

どうも犯罪学者とか元朝日新聞の人に限らず、加害者に長く触れている人、弁護士とか、犯罪そのものを研究し続けている方々って、「凶悪」の部分が宙に浮いてしまって、どうも考えが「加害者寄り」になってしまうようなんですね。やっぱり動機を持ってるのは加害者ですし、誤解を恐れずに言えば「犯罪の主人公は、犯人」なんです。

ですから追えば追うほど、研究すればするほど、加害者にシンパシーを感じてしまうのはありえるかも…と思えます。

三隅は、死刑になるのか。
2度目の強盗殺人なら、死刑。
傷害致死と窃盗なら、無期懲役もありえる。

法廷の円滑な運営の方向性として、「犯人性(彼がやったという事実そのもの)については争わない」ということで、擦り合わせは済んでいたはずなんですが、そこを急に三隅がひっくり返す。それは、「咲江が、おおやけに秘密を知られさらに心を痛める証言をしなくても済むように」という、三隅の身を呈した配慮だったのだ…という解釈が、重盛には出てくるわけです。

咲江は、父親に暴行を受けていた。
だから、親しくなった、その工場の社員だった三隅に父親を殺してくれと頼んだあるいは、殺して欲しいんだな、と悟ってもらった。忖度(そんたく)、ですね。

三隅が「金目当ての強盗殺人」ではなく「それなりの理由、少女を救うという正義感のようなもの」を持って犯行に及んだということがわかれば、死刑には、ならないかもしれない。

三隅を救うために、少女はそれを法廷で証言すると言い出す。

でも三隅は「あの娘は…嘘つきですよ!?」と一笑に附す。
ふたりの間には、どんな約束ができていたのか。
この二人にも性的な関係があったと匂わせる台詞もあるけれど、けっきょくどうかはわからない。逃した小鳥。埋めた小鳥。

あの十字架を見る限り、殺人と埋葬のつながりを見る限り、犯行に咲江が絡んでいることは間違いないように見えるけれど…。

父に暴行されていたという話は、咲江しかしていない。
母はそれを看過していたようなそぶりもあるけれど、食品偽装をごまかすことに必死で、それ(知っていたかどうか)も確かではない。

けっきょく三隅は、「娘を救うためだった」とは言わず、つまり正義感を持っていた、とは言わず、「俺はやってない!!」と強弁する道を取る。そうすることによって、裁判所・検察・弁護側で擦り合わせていたはずの「犯人性は争わず」の原則が崩れ、裁判長への心象が非常に悪くなる。なんなんだこいつ身勝手な、となる。

「急にいうことを翻(ひるがえ)した被告の証言は信用に足るものにはならない」となり、死刑判決が出た。

この後、上告するのかどうかまでは描かれていませんでしたが。

少女の言い分は「裁くって、何」。

確かに、上告が棄却されたりして死刑が確定すると、いずれ執行され、ついに三隅からほんとうのことを聞き出すチャンスは永久に失われます。

あの2種の回想を思い出すたびに、「どっちが真実かはわからないのに…」という思いは強くなる。
こんな状態なのに、当事者の一人であることは間違いのない三隅を、永遠に追求の場から退場させて良いのか。

クールでドライな司法感を語っていた重盛も、交差点に突っ立って空を見上げずにはいられなくなる。

 

事実の集積が、真実なのか。

重盛が事務所内で夜、摂津(吉田鋼太郎)と、「俺らは全体の、どこらへんを触ってるのか」というような抽象的な会話をします。「全体像をわかってるわけでないよな」という。

これを表すのに「盲人が、巨象を触る」という例えが出てくるんですね。

これは、「群盲象を撫でる」と言われる故事で、ちょうど最近、なんでも書いておくようのメモに、メモしたところだったので、タイムリーでヒジョーに驚きました。

※他のメモの一部は、あまりにもアレなのでぼかしました。

 

複数の盲人が、象を触る。
大きな象は、一人では部分的に触ることしかできないから、「象ってどんな動物でした?」と問われたら「長い鼻のようなもの」「ザラザラした尻尾のようなもの」「太い柱のようなもの」など、部分的な主観が出来上がるだけ。見える見えないだけの問題ではなくて、自分の感じる世界が、決して全体をうかがい知れるようなものではないと思え、という戒めにつながる教訓。

それプラス、私がいつも肝に銘じている「全体は、部分の総和ではない」という言葉。

 

破綻してるのか、していないのか。

先ほど、福山雅治がかっこよすぎる、広瀬すずが美人すぎると書きましたが、もう、とにかく三隅役の役所広司さんがすごすぎる。

なんというか、倒錯した人格というか自分でも統一されていない感情の主体というものを、表情でみせている。
具体的には「右と左とで、顔が違う」んです。

重要な「面会室での会話劇」では、面会者と服役者とを隔てるアクリル板にどちらかが映りこむ、という手法で2者を画面上に並べてるんですが、顔が違うんです役所広司の。それが怖くもあり、凄みがある。いや、錯乱した犯人の心象なのか、打算に満ちた狙いなのか。その不気味さとわけのわからなさが、この物語の「ただ単に死刑ってどうなの?っていうことを言いたいだけではない」という問いかけに、つながっている気がします。

原田眞人監督による2015年版『日本のいちばん長い日』で役所さんが演じた阿南惟幾(あなみこれちか)は終戦の日、介錯も是とせず切腹し、2時間ほど経って死にました。あの映画のあっさりした覚悟を見せた役所広司さんの芝居の印象がまだ脳裏に強くあったので、「なんなんだこいつ!?」という、『三度目の殺人』における三島の不可解さ・不気味さが、いっそう際立ったのでした。

そして「もし福山雅治と役所広司の、役が逆だったら!」と想像してみると、これはこれで面白みがあるなとも思いながらどこか「はいはい猟奇的な犯人なんでしょ」という安易な納得が早めに観客には訪れそうで、その意味では「すごいおっさんは、本当に顔がすごい」と、本物の役者のアップの凄みを改めて感じたのでした。

ネット上の感想をかいつまんで読んでいったりすると、たいていは幻滅するというか「お前らそこまでアホなのか?」というものも散見できて、楽しいですね。

悪気はないとはわかるんですけど、多いのが「けっきょくよくわからない」「謎が多い」というもの。
おっしゃる通りなんですけど、どうして前提として「すごくよくわかる」「謎が解ける」と思い込んでるんだろう。

名探偵コナンとか見過ぎなんじゃないの。
ハッピーエンドとか、アンハッピーエンドとかいう言い方が物語の最後についてはありますけど、そういう言い方がある、ってことは、「そうじゃないことの方が多い」ってことなんですよね現実には。

というか「エンド」なんか、普通は無いわけですから。

たとえ自分が死んだって、それでなんらかの「物語」が終わるわけではない。
「めでたしめでたし」みたいなエンディングで「これは、こうだから、こうなんです」と、ハッキリ言ってもらわないと意味がわからない、という場合、「あ、自分はまだ、アホなんだな」と思っていいと思います。

それは理解力が低いということではなくて「意味がわからないということの、意味がわからん…!という楽しみ方ができない」ということですね。

この2017年の映画『三度目の殺人』については意味がわからんということはないですけど、そういう人らにとっては法廷で、重盛による「三隅ィ!貴様はこれこれ、こうやって犯行をし、こうやったのダァ!これが真相だぁッッ!(ガクッと膝を落とし悔しがる三隅)」みたいな感じにしないと、スカッとしないんでしょう。

三度目の殺人公式サイト
http://gaga.ne.jp/sandome/

是枝裕和監督ティーチイン付上映会決定!
http://gaga.ne.jp/sandome/news/news_1002.html

 

いやぁ、音楽も素晴らしいですよね。

 

 

 

 







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